第10話
家に帰ると部屋が嫌に静かだった。
克也さんが俺を見てゆっくり口を開く。
「色々あったようですね。話は梨佳さんから聞きました」
ああ、事情知ってたのか。じゃあ俺も言わなきゃいけないな。
今日の1件で解ったことだ。向いていないと思った。
「俺やっぱり管理人見習い辞めようかと思います。すいません」
克也さんは驚きもせずに穏やかに話した。
「そうですか、残念ですがこうなった以上しばらく休止した方がよさそうですね」
俺も克也さんもそれっきり黙ったままだった。
克也さんが自分の部屋に入る前に俺に一言言った。
「梨佳さんですが、彼女は最後まであなたの事を心配していましたよ。みなさんなんだかんだで不器用ですが、本当は優しい子たちばかりですよ。今は時間に身をゆだねてお互い落ち着いた方が良いかもしれませんね」
そう言い終えると克也さんは自分の部屋の戸を閉めた。
風呂に入って部屋に戻ると机に紙が置かれていた。
梨佳からの手紙だった。
あんなことがあった後だ、メールなんかじゃ言いにくい事だろう。
俺は手紙の内容を見た。
あの後みんなから色々話を聞きました。峰屋さんはああいう性格の人だからか、司君を怒らせるようなことをしたのかもしれません。怒ってしまうのも無理はないかもしれませんが、他の人にも我慢していた事とはいえ、槇村さんに事故とは言え、ああいう事をするのはいくら怒っていたとしても良くはありません。いきなり謝るのはお互い難しいかもしれませんが、お互いどちらが悪いとかではなく、いつかは向き合わなければならない事だと思っています。その時は私や智哉君が出来る限り協力します。だからあまり思い詰めないで、辛かったら私に相談してください。本当の友達になるために私も明日から頑張ります。梨佳。
俺は黙ってそれを読んだ。
梨佳は俺なんかよりもずっと大人だった。
俺はメールで梨佳に手紙を読んだことと管理人見習いを辞めることを伝えた。
メールはすぐに返ってきた。
明日は必ず学校にきて、軽音部の練習に付き合ってほしい。辛かったらなんでも言ってという内容のメールだった。
梨佳に酷い事を言ったのかもしれないと思う自分とどうでもいいやっと思える自分が見え隠れしていた。
明日は槇村や峰屋の起きない時間に起きて学校に行こうと思った。
※
それからの俺は朝早く起きて、智哉と公園で話して学校に行くことが多くなった。
瑤子や智哉は楽しく話すことも増えた。
梨佳はあの事件のことを2人に話さなかったのか、表向きは仲のいい4人組でいてくれた。軽音部の練習も長く続けて、俺は今の悩みをドラムにぶつけて気を紛らわしていた。
授業にも慣れ、ドラムもなんとか演奏できるようにもなった。
茉理先輩と瑤子が褒めまくる中で、梨佳の表情が俺を見守るような視線だったのが胸に痛んだ。
梨佳は俺と智哉の3人で帰る時は楽しそうに、本当にいつも通りに話していた。
それがどこか辛く感じる俺がいた。
なんで俺だけこんな嫌な気持ちになるのか解らなかった。
峰屋や槇村と偶然会うことはあったが、俺は無視を決め込んだ。
峰屋はあれから俺を見ても何も言わなくなり、槇村も同じように俺を見るとあの時の事を思い出すのか、目も合わせずに下を向いて歩いていることが多くなった。
女子と楽しそうに話している槇村を見た事があったが、俺を見ると下を向いて元気がなくなっているように暗い感じになった。あの時の1件がトラウマになっているのか、体が震えているようにも見えた。
瑤子が上級生の先輩と仲がいいので噂を聞いたが、槇村はあれで女子に人気があり、男にも優しいそうだ。てっきり男嫌いだと思ったのだが、どうやら一部の男子で顔の良い人気者が槇村に近づいたのだが、きつい事を言われてしばらく学校に来なかったと言う噂もあった。その人はクラスではかっこいいと評判でモテる男だったのだが、何故そういう奴にきつく当たるのか解らなかった。自分より目立ったり、人気のある奴を妬む性格なのだろうか?どのみちもう俺には関係ない。
最近の槇村は何かあったのか元気をなくすことがあったり、新学期が始まった頃は手を握られると怖がることもあったと言う話を聞いた。
それは俺のせいだろうし、向こうもあんな口の悪さだったから頭にくるのは当然だと思った、男ならあれだけ言われて腹を立てない方が変だ、主に俺がそう思う。
梨佳は智哉が部活で帰れない時は2人っきりで帰る時に、いつも通り話しつつも必ずこう言う。
「司君、辛くない?少しでもあるなら遠慮なく言って、1人で抱え込まないでね」
俺はいつもこう言う。
「何度も言うが、俺は峰屋さんがああいう事をしなければ、日ごろから嫌なことを言う槇村にあんなことはしなかったし、槇村にだって言い方に問題がある。仕掛けたのはあいつらが先だ、俺はもうあんなのとは関わりたくもない」
それを聞くと梨佳はいつも寂しそうな顔でこう答える。
「時間が解決してくれるし、私も2人とよく話してるから大丈夫だよ」
そして2人の近況を聞かされる。
これが週に2、3回あるから色々とくるものがある。
それが原因なのか、ゲーセンによって遊ぶことが多くなった。
真面目に勉強しつつ、ゲーセンに行く。
克也さんは2万円でなく5千円を毎月くれた。
「勉強を頑張っているのでお小遣いです」
そう言って渡していた。
そんな2か月が過ぎた。
失敗した分だけ俺は瑤子や茉理先輩と楽しく過ごすことが多くなってきた。
瑤子は笑うと小悪魔的な感じで俺はドキドキすることが多くなった。
茉理先輩は優しいし、面倒見がいいので大切にしていた。
梨佳は手紙の事もあってか、表面上は無難に話す関係を維持し続けていた。
結局梨佳の勉強の手伝いは瑤子に任せることが多かった。
6月になり、ライブハウスでの演奏の日が決まった。
「ねえ司!あんたドラム凄い上手くなったよね。安心できるって言うか素人っぽさが抜けた感じに思えるわ」
瑤子が放課後の練習中にそんなことを言ってきた。
瑤子の長いツーサイドアップの髪が滑らかに揺れる。
俺は見とれていた。
「どうしたのよ?私がそんなこと言うの意外?結構褒めてること多いと思うんだけどなーもしかして甘えん坊?」
そういって小悪魔的な笑みを浮かべる瑤子は俺の心臓に悪い物へと変っていった。
「あ、いや!瑤子に言われると嬉しいよ。茉理先輩の教え方が上手いのもあるし、そのおかげだよ」
茉理先輩がそれを聞くと嬉しそうに笑う。
髪は肩まで伸びた斜め分けの髪とちょっと大きい胸が色気のある雰囲気を作っている。
「そんなことないよ、司君の覚えが早いんだよ。いつも熱心に練習してたしね。私尊敬しちゃったよ」
「いや、尊敬してるのは俺の方ですよ。キーボードの音が凄い綺麗だし、先輩として頼りになります」
梨佳の見る目がニコニコしていて、少し怖かったが気にしないことにした。
峰屋や槇村の嫌悪のせいか、代わりに茉理先輩や瑤子に優しくなることが多かった。
※
バンドライブも近づき、中間テストも近づいた時に克也さんから呼ばれた。
なんでも槇村の兄が家に上がって、俺と話をしたいと言うことだった。
管理人見習いの時のクレームでも来るのだろうか?
裁判になるのだろうか?克也さんが心配になってくる。
俺はこの日は軽音部を用事があると言って早めに帰る。
梨佳には内緒でアパートに戻り、克也さんとデニムシャツにチノパンの今時大学生のような格好をした茶髪の男がドアの前に立っている。
ああ、今日は嫌な日になるんだろうな、妹の事で頭にきた兄が俺に謝らせようとするんだろうか?
そう思い、2人に挨拶すると茶髪の男が俺の肩に無言で手を置く。
殴られるのかと身構えると男は口を開いてこう言った。
「君が司君かい?」
「そうですけど、槇村、その先輩の、お兄さんですか?」
槇村兄は頷くと俺の肩を握っている手の力を強める。
「喧嘩って気分じゃないですが、仕掛けるなら容赦しませんよ?」
俺は睨み付けてそう言った。
「すまなかった!」
槇村兄の口から予想もつかない言葉が出た。
は?何を言っているんだこいつは?
意味が解らなかったので俺は戸惑う。
「何訳のわからないことを言っているんですか?油断させる気ならやめた方が良いですよ?年上だからって鼻息荒くしても無駄なことですから」
俺は肩を持っている手に力を入れる。
「俺の妹のせいで!いや、まさか俺のせいでこんな深刻な事態になっているとは思わなかったんだ!すまない!」
槇村兄は何故か謝っている。
わけがわからなかった。
俺は克也さんに聞くことにした。
「克也さん、いまいち事態が呑み込めないのですが?槇村、さんのことで苦情とかクレームに来たんじゃないんですか?」
克也さんは何も言わずにドアを開ける、そういう時くらい何か言ってほしいのだが。
俺は訳の分からないまま部屋に入った。
※
俺達3人はちゃぶ台の机に腰かけて、話を聞くことにした。
茶髪の男が正座して俺に紹介する。
「初めまして、千沙の兄で大学生の槇村士郎まきむらしろうって言います。お話は克也さんと妹やアパートの方々から聞いています。まさか2か月前にこんなことになっているなんて、思いませんでした。俺が茨城の大学に通っている間に妹と問題を起こすとは思わなかったので、本当にその件はすいませんでした!」
克也さんはお茶を注いで、机の上に置いて俺にこう言った。
「私ではお邪魔なようですし、千沙さんの所に話をしてきますから2人でその辺のことはゆっくりと話してください」
そういって克也さんはドアを開けて、外に出る。
なんなんだ?この流れと空気は?こっちが怒られるんじゃないのか?
俺は喧嘩やクレームに来た訳じゃないと思うと槇村兄に質問をした。
「あの、なんで士郎さんが謝るんですか?俺が妹を泣かせてしまってのは事実ですし、暴力はふるってませんが、手を強く握ったくらいの事と暴言は言いましたし、そりゃ向こうも先に仕掛けてきましたけど」
2か月前のことを思い出し、そう説明すると槇村兄は話を始める。
「千沙に色々と嫌なことを言われたでしょう?もともと千沙があんなに口が悪くなって、冷たく当たるのは私のせいなんです」
「でも噂では男子にも人気があって、口調も丁寧だと聞きましたよ。何故か告白してきた人気者の男子には同じように口が悪くなりましたけど」
「そう、そこなんです。あれは私のせいなんです」
「何かしたんですか?」
「私と千沙は仲のいい兄妹でした。。中学のころに私は千沙が好きで好きでそれはもう心配だったのです。そしてある日私は目覚めてしまったのです」
「あの、何にですか?」
「妹に罵られることや馬鹿にされることに喜びを感じてしまったのです」
槇村兄はいきなりМ発言をするので、対応に困った。
槇村は唖然とする俺に話を続ける。
「最初にそういって欲しいと願ったのは他でもない俺です。千沙は最初はそんな事出来ないし、大好きな兄にそんなひどい事を言いたくないと泣いていました。ですが、私はこう言ったのです!好きな男はみんな千沙の様な可愛い子に本当は罵られたり、冷たくしたり、馬鹿にされると嬉しがる動物だと!」
「………ええと」
「そういうことが中学にあってからか、千沙は本当に好きな男にはきつく当たり、他の男子には丁寧な普通の対応をしていました。ですが、千沙に告白する男はどれも彼女の言葉で寝込むものばかり!」
まさか、考えたくないが、もしかして槇村は?
俺は考えたくもないが、だんだんと聞いていくうちに嫌でも解ってくる。
「俺は振られる千沙にこう言って慰めたのです。それは千沙の事を本当に解っていない男なのだと!本当に解ってくれる男は言われて喜ぶのだと!」
「もういいです、わかりました。つまりあなたのせいでああいう態度を?」
「ええ、ですけどあなたは解ってもらえるでしょう?あんなに可愛い子にそういうことを言われて」
「ちっとも嬉しくないです。あと人によっては俺みたいに手を出そうとします。とりあえず今までちゃんと説明しないのがいけないので、妹の部屋で謝って事情全部言ってください。俺も行きますから」
もう色々と本当に色々と疲れる時間だった。
こんなドМ兄貴のせいで、ああいう勘違いを受けたまま好きだった男を逆効果にしてきた槇村に同情した。
同時にこの気まずい2か月を返してほしいと槇村兄に言いたくなったが、頭を下げてあげもしないので、なんか返ってこないなら謝ってもしかないので許すしかなかった。
槇村がそういうところはズレてるのが、いくら好きな兄とはいえ真に受け過ぎだった。
※
インターホンを押して出てきた槇村と兄が話し込む、離れたところで俺は立っている。
「兄さん!それに」
槇村は俺を見て黙った。
「千沙よ、よーく聞いておくれ!」
ドアの前で事情を説明する兄と俺を見ている槇村の視線から逃れるように空を見た。
「という事なんだ!千沙よ、すまない妹が可愛いとはいえ、まさかこういうことになるなんて」
「兄さん、私の5年間の想い人を返してください!」
槇村は怒っていた、そりゃそうだろう。
槇村兄は喜んでいたが、謝っていた。
難儀な兄妹だとしみじみ思った。
兄が槇村に滅茶苦茶引っ叩かれて、それを喜んでいる兄に俺は悲しくなった。
なんだか、馬鹿馬鹿しいと言うか、そろそろ顔が凄い腫れている兄を見て止めてやる頃だと思い、槇村に話しかけた。
「あのさ」
槇村は手を止めて、こっちを真っ赤な顔で見る。
恥ずかしそうな表情だった。
「俺、君の兄みたくそんな事されて喜ぶ奴じゃないし、むしろ他の奴と同じで普通に接してくれるとありがたいんだけど、難しいかな?」
「え?えっと、えっと、えっと」
槇村は下を向いてどもっている。
「うっさいわね!そんな簡単に戻れたら苦労しないわよ!この変態!」
言って口を手でふさぐ、どうやら難しい様だ。
「わかった、少しずつでいいから直していこうよ。それと手をあんな強く握ってごめんな」
それだけ言うと俺は部屋に戻ろうとした。
「限界だって言ってたじゃない?」
「意外と根にもつな。事情はわかったんだし、短い期間になるかもしれないけど協力する」
「あり、あり、あり」
「何だよ?ありがとうって言いたいのか?」
「うっさい!バカ!変態!」
槇村は兄を離して、ドアを思いっきり閉めた。
「毎日こないと治らないんだから付き合いなさいよ!いいわね?」
そんなことを言って、遠くへ歩く音が聞こえていった。
これ仲直りか?なんかもうすごい疲れた。
槇村兄が笑顔で立ち上がる。
「すなまい司君、妹をなんとか普通にしてあげてくれ!私も可能な限り休日にはここに車でくるから」
逆効果な気もしたので、それは駄目だと念を入れて言った。
もしかして、俺に辛く当たるのは、俺の事が?
やめよう、馬鹿馬鹿しい、というかもう今日は疲れたので寝よう。
俺はそう思って、部屋に戻り布団に入って寝ることにした。
どう説明していいか解らない変な1日だった。
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