第4話

 大会が終わるころには夜の8時になっていた。

 俺が家から出て1時間半だ。

 5連勝していい気分になっている頃に、エスカレーターから無愛想な女と目の腫れた同い年の女の子が俺を見ていた。

 それに気づいたのは5連勝目を達成して、台から目を離した時だった。

 焦げ茶色の髪をしたセミロングの槇村が近づいてきたので、俺は南さんに一言言ってこの場を後にした。

「南さん、店長、すいません。次の試合負けでいいです」

 そう言って俺は台から離れた。

「そうかい、ちょっと残念だねぇ。まぁ、また何かあったらここに来なよ、待ってるよ」

 南さんは女2人と焦る俺を見て、何かを理解した様な口ぶりでそう言った。

「ツカサさんここで降参宣言しました。東側の2人目どうぞー」

 森川店長はそういって俺にウインクした。

 槇村は俺を見ると右手を上げた。

 引っ叩かれると察した俺は右手を肘で弾いた。

「なっ!」

 驚く槇村に俺は冷静に言った。

「こういうの慣れてるんで」

「いい加減に!」

 槇村が手をもう一度上げると小気味の良い音が聞こえた。

 叩かれたのは俺ではなく、真ん中に入った同い年の女の子だった。

「ちょっと!なんで?」

 槇村は戸惑ったが、彼女は腫れた頬を気にせずに笑顔で弱々しく言った。

「止めましょう。みんなで家に帰ろうよ」

「………」

 槇村は何か言いたげだがこれ以上は手を出さずに黙っていた。

 昼にエレキギターについて店員と話をしていた同い年の女の子が俺にこう言った。

「松村君、家に帰ろうよ。みんな探してたんだよ」

 俺はこの同い年の女の子の名前を知らない。

「あなたには関係ない事なのになんで割り込んだんですか?」

 俺は出来るだけ冷徹に言った。

 他人を庇って良い事なんて1つもない。

 ただの自己満足だ、バカのすることだと俺は思っていた。

 理解が出来なかった。

「ごめんね、後で話すよ」

 彼女はそう言ったきり黙り込んだ。

 この異様な雰囲気に耐え切れずに槇村は先にエスカレーターに乗って俺たち2人を見ていた。

 何も言わなかったが、苛立ちが混ざっている顔だった。

 それを見ても、俺はどうでもよくなっていた。

 ゲームのおかげかもしれなかった。

 まるで魔法の溶けたシンデレラが元の家に戻るような、そんな気分だった。

 南さんが俺の前に近づき、紙を渡した。

「ここのサイトで検索すれば明日の今頃には動画上がっているからね。じゃ、また暇なときはここに来なよ、司ちゃん。それとこの子は優しくしといた方が良いと俺は思うよー」

 渡された紙を見て南さんを見ると対戦した人たちも俺を見ていた。

 対戦しただけなのに妙な連帯感があった気がした。

 友達ってこういう事を言うのかと一瞬思ったが、知り合いだと思うことにした。

 それでも嬉しかった。今まで知り合いなんていなかったのだから、俺は胸が高鳴った。

 その反面南さんの最後の言葉の意味がいまいち解らないでいた。

 それでもまたここに来ようと俺は誓った。

 女の子が俺のシャツの袖を握る。

「あの…松村君?」

 俺は同い年の女の子に落ち着いた声で話した。

「わかった、帰ろうか。ってか名前まだ聞いてない」

「ひどいよ!これだけ探したのに!」

 黒髪ぱっつんでさらさらロングヘアのその子の髪が揺れた。

 良い匂いがした。

 俺はスマホの電源を付けた。

 女の子がスマホで話をしながら、俺の手を離さない様につないでエスカレーターに乗る。

 親と、いや人と手をつないだのは何年ぶりだろう?

 俺はエスカレーターに乗りながらそんなことを考えていた。

 女の子のスマホからかすかにだが克也さんの声が聞こえた。

「はい、見つかりました。いえいえ、大丈夫ですよ。すぐに戻りますね。えっ?わかりました、そうします」

 そういってスマホの通話を切ると俺を見た。

 彼女は笑顔で優しく俺にこう言った。

「家に帰る前に少し喫茶店にでも寄ろうか?いいよね?」

 俺はなんだか彼女に流されるまま喫茶店へと向かった。

 本日2度目の美女と生徒会の喫茶店だった。


 ※


 喫茶店に着くと、ウェイトレスが昼と同じ人で俺を見て笑顔でいらっしゃいませと言った。

 おそらく固定客に思われたのだろう。

 俺は少し恥ずかしかったので奥の席に座った。

 お互いソフトドリンクのメロンソーダを頼み、奥の席で無口になっていた。

「あの、私の名前は」

 彼女が言おうとしたときにソフトドリンクが届いた。

 なんだか、さっきから名前を言おうとして、言えずじまいの彼女が不謹慎だが面白かった。

 俺は笑うのを抑えて、名前を聞くことにした。

「確か同じ学年だって言ってたね、えーと」

 彼女はそう言われて、改めて自己紹介した。

「伊藤梨佳(いとうりか)だよ、司君」

 彼女、伊藤さんは出会って約2時間後に自己紹介が出来たのだった。

「そうか、伊藤さんね。で、あの時は何で俺の代わりに叩かれたんだ?」

「梨佳でいいよ」

「えっ?」

「伊藤さんはよそよそしいよ、私だって司君って呼んでるんだし、さっきのゲームセンターのおじさんもそう言ってたでしょ?同じ学校で同じ学年なんだし、ね?」

 変なことにこだわるなと思った。

「あ、ああ、そうかわかったよ。梨佳さん」

「うん、前より表情柔らかくなったね」

 俺はどう反応していいか解らずに、誤魔化してメロンソーダを飲んだ。

「なんで庇ったか聞かないんだね」

 梨佳さんがそんなことを口にした。

 正直それもあるが、俺には彼女が解らなかった。

 今まで同い年の女と話したことなんてあまりない。

 中学の頃に俺に告白した後輩がいたが、話したことも無いのにいきなり告白されても迷惑だったので振ったことはあった。

 泣きながら俺の前を去って以来見かけなくなった。

 勝手に告白して、勝手に泣いて、勝手に俺に呪いの言葉をぶつけて、勝手に俺を悪人にした。

 それ以来女は苦手だった。

 あんたなんか大嫌い、と告白して振られてすぐにそう言われた。

 感情で動く彼女にその時は苦笑いしか生まれなかった。

 梨佳さんも同じ人種だと思って行動したが、俺の代わりに引っ叩かれた。

 理由が解らなかった。

 それがただの自己満足ならそれで十分だと俺は思った。

「言いたくないなら言わなくてもいいけど、俺のせいで叩かれたからな。理由を聞いた後で俺を引っ叩くならメロンソーダ飲み終わった後にしてくれ」

 自分でもなんでこんな言い方しかできないんだろうと思った。

「すまん、嫌な言い方したな」

 俺はとりあえず見習いの事もあるので謝ることにした。

 梨佳さんは黙ったままだ。

 そもそも見習いに戻れるのか俺は怪しかったし、駄目ならバイトすれば良いだけのことだった。

 梨佳さんが俯いたまま口を開いた。

「克也さんね」

「ん?」

「見つかった時に良かったって安心してたよ」

「そうか、迷惑かけたな」

 どうやら克也さんは怒っているわけでもなさそうだった。追い出されることはなさそうだ。追い出されても寮があるので、そこでバイトしながら生活費を稼げばいいし、親父から入学金を出さない事は無かったので、少なくとも卒業までは死なずに済むだろうと俺は色々と考えていた。

「私ね、弟がいたんだ」

 俺がそんな事を考えていると梨佳さんが話を始めた。

「弟?」

 俺は1人っこだったので、兄弟というのが良く解らなかった。

 生まれた順番が違うだけで一緒に暮らす姿もいまいち想像できなかった。

 実際持つとめんどくさい物なのだろうか?

 梨佳さんは話を続けた。

「うん、1年前に事故で死んじゃたんだけど、事故が起こる前に朝喧嘩しててね」

 俺は黙って彼女の話に耳を向けた。

「その時弟を引っ叩いたんだ。お父さんの事バカにしてたから頭にきてね。その日怒った弟は家を出て、夜になっても帰ってこなくて警察の人が来てね」

 梨佳は押し黙ってしまった。

 理由はなんとなくわかった。

 事故で死んだことを警察が言ったのだろう。

 そして弟を叩いたまま、その後の会話がなくなったと言うよりもう存在しなくなった。

「それで?俺が叩かれたら死ぬとでも思ったの?」

 俺はこういう話は初めてだし、何より苦手だったから適当に理由を付けた。

 梨佳さんは違うと言って話を続けた。

「どんな理由であれ人をむやみに叩くのはいけないと思ったし、君が似ていたから」

 似ていた?

 梨佳は消え入りそうな声で言った。

「司君があの時の弟に似てたから、思わず飛び出したの」

 あまりにもお粗末な理由にも聞こえた。

 俺は飲み終わったメロンソーダから手を離し、ストローからも口を離して言った。

「君の弟がどんな顔か写真を見ないと解らないけど、そんな理由じゃ頬がどれだけあっても足りないと思うぞ」

 梨佳さんは黙ったままだ。

「叩いたくらいで毎回死なないよ。安心してくれ。それとありがとうな」

「えっ?」

「庇ってくれたり、気を遣ったり、探したりしてくれてさ」

 恥ずかしいので俺は下を向いて斜めを見た。

「司君」

「な、なんだよ」

「庇ってくれた代わりにお願いがあるんだけど」

「お願い?なんだよ、出来ることと出来ないことがあるからな」

 俺は目をそらしたまま話を続けた。

 梨佳がテーブルに置いてある俺の手を握った。

 思わず梨佳を見る。

「なんだよ、もう逃げないから離せよな」

「うん、あのね…てほしいの」

 上手く聞き取れなかった。

「すまん、もう1回言ってくれないか」

「え?で、でもやっぱり無理だよね?」

 何が言いたいのか少しドキドキしてきた。

 よからぬことを考えたが、峰屋のこともある。

 女ってのはそういう生き物かもしれないが、全部が全部そうではないはずだ。

「あのね」

「あ、ああ」

 この状況で何をされるのだろうか?心臓に悪い。

「軽音部に入ってほしいの」

 一瞬何のことか解らなかったが、軽音部というワードで理解できた。

「は?軽音部?何で?」

「ダメかな?実は私中学まで軽音部だったんだけど、高校には無くて、商店街の楽器店でバイトしてる先輩がキーボード出来るって話してたから、あとはドラムがいれば大丈夫って話しててドラム叩ける人探してたの」

 あの時話していた女の子は先輩だったのかと俺は納得した。

 要するに自分の好きな部を作りたいから入ってくれという勧誘のようだ。

 庇ってくれた礼は軽音部に入部で済むようだった。

「別にそれくらい良いけど、俺ドラム知らないし、出来るかどうか解らないぞ、それでもいいのか?」

 俺がそういうと梨佳は嬉しそうに笑った。

 なんだか小動物の猫みたいだった。

 猫を飼ったことはないが、居るとこんな感じなのだろうか?

「ありがとう!明日から軽音部始動だね!じゃあ、今日はもう帰ろう!みんな疲れて寝てるらしいから、大きな音たてちゃダメだよ?」

 俺はますます彼女の事が解らなくなった。

 喫茶店を出て、2人でアパートまで歩いた。

 どのみち俺は軽音部に入部することになった。

 帰り道は梨佳の笑顔で辛くはなかったのが不幸中の幸いだったかもしれない。

 俺は自虐気味に夜空を見上げた。

 星が綺麗でたまに聞こえる車の音と虫の音色が聞こえる静かな夜空だった。

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