霊泡沫 六話


 最後は、けっきょく神頼みだ。

 

  〽いま日の本のあきらけき、天照あまてる神の教へとて、人の心も素直なる、御代みよのしるしの神祭り……めでたかりける時とかや、舞のたもと數々かずかずの、いわおの上に鶴住めば、君萬歳ばんざいと亀や住む、松に幾千代いくちよよわいも久しき、竹の園生そのふ末葉すゑばさかゆる、神いさめのまつりの儀式ぞ目出たけれ……


 本殿のほうから自販機の精の歌が響いてくる。

 俺は社務所の玄関のなかでそれを聞いていた。

 居候の木っ端神としてはるか格上の神に仁義を通しているのかなんなのか、彼女は毎日、うちの神様へ歌の奉納をしている。

 もとより招神しょうしん (御神体に神を招いて降ろすこと)も自分でできるとのことで、俺の手助けは不要だそうである。

 ……それにもかかわらず、彼女はまだ主神に目通りするには至っていない。

 神社の一柱となる許可を求めなければならないのだが、『だって乗りこんで居座らせてもらうみたいな厚かましい話だし……そんな気軽にいい出せないよ』と二の足を踏んでいるのだ。

 これは鎮守のもりで花を摘む許可をもらうのとは、まるで違うことだという。


「それはそうだろうけれど……消滅寸前で奥ゆかしくためらってる場合かよ」


 ため息混じりにつぶやく俺。

 やはり自販機の精は、この神社に引き取られることについて完全にはふんぎりがついていないようなのだった。主神に対して遠慮があるのも事実だろうが、


(やっぱり俺の告白が主な原因だよな)


 これに成功すれば「神と神官」という関係とはいえ、俺は彼女のそばに常にいることになる。しかし俺の気持ちを知ったいま、彼女はそのことにひどく臆病になっているようだった。

 先刻の彼女の様子を思い浮かべる。

 真っ赤な顔を覆ってこちらに背を向け、切れ切れに声をしぼりだしていた姿を。


『この先、私たちがいっしょにいるところが想像つかなくなっちゃった。だって君はずっと弟みたいなものだと思ってたのに……』


 その雪白のうなじが桜色に染まっているのを見ながら、俺は沈黙しているしかできなかった。幼いころにおぶわれたとき、そこに頬を押し当てていたことなぞを思い出しながら。


『君と……それ以外の関係でずっといっしょだなんて、どう過ごせばいいのか……』


 前のような関係でよかったのに、と思っているのは明らかのように見えた。


「んな理由でここまできて二の足踏みやがって……」


 消えるかどうかの瀬戸際でそんなことにこだわるなよ、とは思うのだが。俺自身も長いあいだ新しい関係に踏み出せなかったので、理解はできなくもない。

 ……勢いでやった告白自体が余計なことだったかもしれない……


「もうやめよう……考えていれば際限なく沈みそうになる……」


 彼女の意思がどうあれ、俺は彼女が消えずにすむよう神格化作業を最後までやり通すだけである。

 と決意してはいるのだが、やはり本人の意思で受け入れてもらえればそれに越したことはないのだ。

 上がりかまちで頭を抱え、うだうだと悩んでいると、社務所の戸ががらがらと音をたてて開いた。

 ずかずかと踏みこんで話しかけてくる者一名。


「いたいた若。これ正月に着てた巫女服。クリーニング終わったから返しに来たよ」


 神社の紙袋を手に提げ、タバコを咥えたセーターの女。

 この神社で結婚式を挙げた元同級生だ。

 この女は、不定期ながらたまに、短期アルバイトでうちの巫女をやるようになっている。そのため、時期によってはひんぱんに顔を合わせる相手となっていた。


「ところで、あれなんなのさ、若。なんで注連縄巻かれた自動販売機が境内にあんの?」


「若はやめろ。普通に名前を呼べ。あとまがりなりにも巫女経験者が境内でタバコくわえてんじゃねえ」


「参拝客がいたら携帯灰皿にカタすって。それよりあの自販機。あんたがやったとみんなに聞いたけど、おじさんがよく許したね」


「……まあな……」


 傍から見たら意味不明の申し出をどう納得してもらうか頭を悩ませたというのに、すんなり通って俺がいちばん驚いている。『いや神社本庁や氏子に説明しなきゃなんないだろ、そんなさらっと許していいの?』と思わずこっちから訊いたくらいだ。

 そうしたら親父はものすごく嫌そうな顔で答えた。


『あの雑神にそこまで入れこんでおいて何をいっている。断ったら一生根に持つだろう。こちらの首を絞めかねんばかりの必死な顔になりおって』


『はあ!? あいつが見えてたのか親父!?』


『ぼんやりとな。……馬鹿者が、「たまに空中と会話する神社の息子」として氏子がたの噂になっていることを自覚しろ。座敷牢に入れる必要があるかと戦々恐々観察していたら……』


 俺にあいつが見えるのだから、親父にも見えても不思議ではない。だがそれにしても、あっさり許可されたのは驚きだった。それを質したところ、


『母さんが死ぬすこし前、うちに花を持ってきていたのはあの雑神だろう。悪いものでないことはわかる。

 祭神として正式な登録まではもちろんできないが、事情があるなら境内に置くことは認める。費用は自分で負担しろ』


 親父もなかなか破天荒な人だと思う。

 元同級生が「ま、いいや」と話題を変えてきた。


「それよりほら、今日バレンタインだからチョコどーぞ。あ、昔と違って義理ね」


「いわれんでもわかっとるわ」


 正直いまはそれどころではないが、いちおう礼をいって受け取……


「……おい……袋に『業務用』と書かれているうえに開封済みだが」


「だってダンナにあげた手作りチョコの材料の余りだもん」


 ……現在はこんな感じで後腐れなく同僚づきあいしている。

 と、ずいと手を出された。


「……なんだよ」


「例のもの持ってきてくれた? あんたの外の勤め場でのアレ。ホワイトデーのお返しはいらないから早く渡してほしいんだけど」


「余り物処分させといてお返しを要求するのか……いや、いい。持ってきてるからさっさと持っていけ」


 図々しいマダムに成長した元同級生を早く追い払うべく、俺は神社の紙袋に入れた「例のもの」を取ってくる。中身は俺が勤める衣料品会社の製品の、新型サンプル数種類。

 率直に言えば女性用水着だ。

 若い女性のテスターを募集中でな、と巫女勢に洩らしたら「あ、やりたい」と手を上げたのがこの元同級生なのである。

 渡す前にふと訊いてみる。


「しかし、いまは真冬だが……近場に温水プールなんてあったかな。家で着てみるだけで楽しいもんかね」


「んあ、別に泳がないし。最近ダンナとの夜がマンネリ気味になってきたんで新鮮な刺激を」


「あっすみませんバイトさん、鳥居の内側は浄界じょうかいなんでヨゴレ発言はNGで。つーかそんな用途なら誰が渡すか!」


 道理で露出度高めの水着なのに軽くOKしたわけだよ!


「えー。ここ縁結びや子宝祈願もつかさどる神社じゃん、むしろ正しい方向性だと思うけど」


 煙をくゆらせながら平然とのたまう元同級生。……きわどい発言ぽんぽん放ちながらも色気のかけらも感じさせない、ある意味貴重な友人である。


「……もういいや面倒くさい。風呂でもいいから水には浸かれ、水着のテストにならん」


 投げやりに押しつけかけ、ちょっと考えて、新型水着の入った紙袋を俺は足もとに下ろした。


「渡してやる代わりに、すこし相談に乗ってくれ」


「あん?」


 いぶかしげな元同級生は、「実は女心についてなんだが」と俺が切り出すと片眉を上げ、巫女服の入った紙袋を置いた。


「あ、もしかして前話してた人とのこと? ずっと告白してないしする気もないという」


「いや……以前はそうだったんだが、最近事情が変わった。もう伝えたんだ」


「なに、心境の変化があって告白したってわけ?」元同級生ががぜん興味を示す。「へえ、脱ヘタレか、やったじゃん。それでどうなったの?」


「……実は、告げたところおおいに困惑されてだな」


「あちゃーフられたか。『あなたのこと大切だけど友達にしか見られません』ってやつね。よくあるよくある」


「いやフられてはいないんだが!」まだだ、まだのはず!「どうも宙ぶらりんというかだな、相手が戸惑っているというか混乱してるというか」


 別に自販機の精とくっつくことが目的ではなく、彼女を説得して神格化を受け入れさせるのが目的なのだが、この場合似たようなものかもしれない。

 というわけで以下、付喪神だの消えるだのは伏せて適宜話を改変しながら説明。

 最後まで聞き終えた元同級生は、無表情ですぱーっとタバコをふかした。


「のろけかっつーの。聞くかぎり相手がウブいだけだ、完全に脈ありだろ。その女あとすこしでオちる」


「マジで!?」


 つい身を乗り出した。いやほら……くっつきたくないわけじゃないし。


「その状態なら、押せ」


「お、押せばいいのですか」


 元同級生(♀)の男らしい断言に思わず敬語が出る。


「ひたすら押せ。すでに一定の好感度があって相手がぐじぐじ迷ってる状況なら、ちょっと強引なくらいに迫れ」


「強引に……わかった、やってみよう」


「あ、もちろん空気は読んでね。しつこい男は場合によっちゃ一気に醒められるから」


「難易度高いわ! 強引としつこいの境目はなんだ!?」


「不快かそうでないか」


「感覚的すぎる! 役に立たないアドバイスしやがって!」


 頭をかきむしらんばかりにうめく俺に、ふんと元同級生は鼻を鳴らす。


「心というものを相手にしなきゃなんないのが恋愛なのに簡単なわけないでしょ。相手の様子を推し量りながら押したり引いたりすんの。あんたがこれまで女心に真剣に向き合ってきていれば、ちょっとはそのへんの機微もわかったでしょーに」


 むむむと俺はうなり、大学時代のことをあらためて悔いる。

 いま考えてみれば俺はまがりなりにも交際した女性たちに対し、適当きわまりない態度をとっていた。告白されて漫然と付き合い、相手をろくに理解しようともせず面倒くさいことは流し、すぐ愛想を尽かされて捨てられた。そんな繰り返しがまともな経験になったはずもない。

 いざ本命の相手に向き合う段になって、過去のツケを払わされた格好。

 元同級生が携帯灰皿にタバコを押し付けながら「悩め悩め」とそっけなくいう。それから彼女は声をひそめた。


「まー、駆け引きできないならできないで手がなくもないけど……しかし、ハイリスクな作戦だ……」


 俺はつられてごくりと固唾を飲む。


「いちおう聞こう。どんな手だ」


「引く選択をはなから捨ててごりごり押せ。相手が動揺しているうちにいいくるめて押し切って既成事実まで一気に持ちこめ。失敗したら絶縁され、ことによっては手錠が待つが、成功時のリターンも大き――」


「鳥居くぐってにさらせ」


 へいへい水着持ってくかんねー、と元同級生は紙袋をつかんで社務所を出ていく。

 あんなのに知恵借りようとしたのが間違いだった、と頭をふって、俺も紙袋を手に庭に出た。

 とたん、自販機の精にばったり出会った。歌の奉納を終えていたらしい。

 彼女は無表情で、こちらの顔をまっすぐ見ている。

 ようやく目を合わせてくれた――と安堵する間もなく、彼女が静かな声を出した。


「いまの女の人、あの子だね。君に昔チョコ渡してた人」


「あ、ああ。あいつここの巫女でさ。いっとくが今は人妻だぞ」


「今年ももらえてよかったね」


「よく見ろ、業務用のうえ開封済みだぞ!」


 咳払いをして、俺は軽い話題を持ちかけてみる。


「そ、そういえば、去年約束したな。手作りチョコをくれるんだろう。ここに材料があるわけだが、なんならさっそく炊事場でやってくれても……」


 駄目もとでかかげたチョコを、彼女は感情の読めない瞳で見つめた。

 ――長い沈黙。

 場の空気のいたたまれなさに俺が冷や汗をかいて「やっぱりいい。悪かった」といいそうになったとき、彼女は腕を伸ばしてチョコレートを受け取った。


「溶かして、固めるんだね」


 胸にチョコを抱いて、彼女はぽつりと言葉を続ける。


「ほかに」


「あん?」


「ほかになにか、前から私にしてほしかったことってある?」


「え? え、ええと」


 急なその質問に、妙に鼓動が速まる。邪な願いが浮上する前にあわてて俺は無難なことを口にした。


「そうだな、お、おまえが別の格好するところは見てみたいと思ってた。いつも同じその赤い小紋じゃん。いやすごく似合ってるよ、ただ一度くらい他の衣装も見てみたいだけで!」手に提げていた紙袋を俺は持ち上げる。元同級生が返してきたクリーニング済み巫女装束。「た、たとえばこれなんかどうだ」


 差し出すと、彼女の手がなんのためらいもなく紙袋をとっていく。


「着替えればいいの?」


 なにか妙だ――俺もさすがに勘づいた。自販機の精は目を伏せる。


「ほかにも……君がしてほしいことがあれば、なんでもしてあげるよ。今日だけ。だから」


 消え入りそうな声で、俺を振った。


「人間のつがいを、見つけなよ」


 無言となって俺の横を通り過ぎようとする。その腕を、とっさにつかんだ。


「ま……待て」


 びくっと震えながらも、彼女は今度は逃げようとはしなかった。


『押せ』


 元同級生のアドバイスが頭に浮かぶ。手のひらがにわかに汗ばむのを感じながら、俺はなにかいおうとした。なにを言えばいいだろう? なにを――

 そんなことは、決まってる。

 ただ率直に本心を吐露すればいいだけだ。


「……強引だったよな。おまえの意思を無視して、こんなこと急に進めたのは悪かったよ。そりゃふられても無理ないと思ってる。でも、俺はおまえと『つがい』になれなくたっていいんだ……いやなりたかったし、残念だけど……」


「離して。お願い」


 小さいが拒絶のこもった声。

 心に痛みとひるみを覚える。だが俺は、彼女にこちらを見てもらうために口説き方を教わったのではない。


「聞いてくれ。消えないでほしいだけなんだ」


 彼女の肩が震えた。


「どんな形でもいい、俺はおまえとこの先もいっしょにいられればそれでいいんだ。だから神社にいてくれよ。うちの神様にもお目通りしろよ、なんとかしてくれるかもしれないだろ」


「やめて!」


 いきなり彼女が悲鳴のように叫んだ。うつむきながら。


「私だってこの先も、君にそばにいてもらいたかったよ! いっしょにいたかった、恥ずかしかっただけで……ほんとは……」


 俺は絶句した。黒雲のように不吉な予感がこみあげ、首筋にぞわっと鳥肌が立つ。


「……何があった」


 自販機の精はこちらを見た。瞳から希望の色が消えていた。


「もう……さっき、勇気を出してお目通りしてきたの。御鏡に」うちの主神の神体は鏡。「ここでは私を受け入れないって。鏡のなかの私を見たら、私の『最期のとき』が映ってた」


 チョコの袋を握りしめた手で、彼女は俺の手を払う。


「今夜にも私の天命は尽きるから……さよなら、少年」


 彼女は神社から姿を消した。

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