恋朧 五話
拝殿の板張りの床に三十人ばかり、ダークスーツや留袖をまとった男女が起立している。
うちの神社の拝殿にこうも人が集まるのはめずらしかった――今日ここは、一組のカップルの結婚式場となっているのだ。
大きな神社から派遣された
この神前結婚式の
かけまくもかしこき大神の前にかしこみかしこみ曰さく
今日の
(うちの神社で結婚式を仕切るのはひさびさだからか、はりきって唱えてるなあ、親父)
参列客とともに神前に頭を下げつつ、荘厳な響きにそんな感想を俺は抱く。
なお、俺も今日は下級の祭員――親父の助手として参加している。こなすのは主に雑用だが、それなりに大事な役目も任されているので気は抜けない。
そして、ここからだった。粗相できないのは。
軽い緊張をおさえ、俺は奏上が終わるやすすみ出た。
神饌として祭壇にそなえられていた
震えるなよ手、と念じつつ、俺は新郎新婦が手にした杯に酒をそそいでいく。
神前結婚式のハイライトともいえる重要な儀式。
いわゆる三三九度である。
白無垢をまとった新婦は酒をそそがれるあいだすまし顔である。ただ一度だけ、俺を見て片眉をちょっとあげてみせた。
元同級生――かつての雪のバレンタインで、俺に告白した友人だ。今日、親父がとりおこなっているのは、彼女の結婚式なのだった。
「あー、式ってすっげー肩こるわ」
拝殿に酒肴を並べての披露宴も終わりごろである。どんちゃん騒ぎから抜け出てきた新婦が、拝殿の裏でいっちにいっちにと屈伸体操をはじめていた。
お色直し後のドレス姿で。
「ウェディングドレスでラジオ体操はやめろ、おいスクワットするんじゃないスカートが地面につくだろうが!」
先に裏で一休みしていた俺は、元同級生を泡をくって制止するはめになった。
こいつ、子供のころとまるで変わらない自由っぷりだな……
「だってこの神社来ると、夏休みの朝を思い出しちゃってさー」
「だからっておまえなあ……」
毎年、小学校の夏休み期間になると、近所の子供がラジオ体操カードをもってうちの神社に集まる。かつては俺やこの元同級生もそうしていた。
「これがマリッジブルーってもんよ。未婚の小娘時代に別れを告げるんだから、最後にしんみりと昔を思いだして、ガキっぽいことしたくなったっていいじゃない。ところで火ある?」
どこに持っていたのかいつのまにかタバコをくわえている元同級生。なにがマリッジブルーだよ、こんな乾ききった態度の花嫁初めて見るぞ……
「……やめとけ、ドレスに煙のにおいがつくだろ」
「ちっ、それもそうだ」
元同級生は舌打ちしてタバコをしまう。
「おまえはいつでもマイペースだったなあ……懐かしいといや懐かしいが」
疲れた雰囲気を隠す気にもならず、俺は盛大なため息を吐いた。こいつと再会したときからこっち、ため息は途切れることがない。この元同級生と自販機の精のせいである。
一月ほど前のことだった。
鳥居をくぐって訪れた元同級生に声をかけられたのである。
「おはよ。おー、あんたもいたんだ」
そのとき俺は境内の掃き掃除をしているところだった。
反射的におはようございますとあいさつを返して顔を上げ、そこで俺はとまどった。
「あんた眼鏡かけるようになったんだ、変な感じ」
器用にタバコをくわえたまま話しかけてくるのは、セミロングヘアの女だ。女性にしては上背があるほうで、むぞうさにジャケットをはおり、中性的なパンツルック。
あれこの人はたしか、と俺がまつ毛をしばたたいたとき、女の目がすっと細まった。
「うわひっで。十年は前のこととはいえ、自分にコクった女を忘れるか?」
「……おまえかあ!」
たちまち脳裏によみがえる、雪の日の対峙の光景。
忘れられるわけがない。トキメキだの甘酸っぱい青春だのという言葉とは、いまいち結びつかない思い出だが……
「わ、悪い! すっかり大人びちまったから見違えたんだ」
「へっ」
言い訳してみたが、鼻先で笑われた。
いちおう嘘ではないのだが、と俺は苦笑する。もっといえばきれいになったと思う。背が高くなり、手足がしゅっと伸び、スレンダー美人といっていい感じになっている。
……ただそれ以上に、眼力も増してて怖い……
「ま、いいや。たしかにひさしぶりだったし」
鳥居に背をあずけ、元同級生はジャケットの内側から携帯灰皿をとりだす。とんとんと灰を落としながら、「ところでおじさんいる?」とたずねてきた。
俺は首をふる。
「いま出かけてるんだ、あいにく。親父になんの用だ? なんなら伝えておくぞ、俺が聞いてもいいことならだが」
「そっか。あんたならいいよ。あたし結婚したいんだけど」
「はい?」
予想外の言葉が飛び出してきて、俺が間抜けな声を漏らしたときである。
ぱた、となにかが地面に落ちる音がした。
顔を向けると、そこには自販機の精がいた。足元に転がるのは花のこぼれた花籠。片袖で口をおおい目をみはり、驚きの表情で鳥居のむこうに立っている。ばっちり誤解されたことを俺は確信し、眼球をぐるりと回して毒づいた。
「…………このモノノケは、なんでこう……」
いなくていいところに居合わせやがるんだ……
「ん?」とうろんげに眉を寄せる元同級生に「ひとりごとだ気にするな」と手をふり、続けて問いただした。
「結婚たあ唐突になんだおい、どういうことか詳しく説明してもらえるか」
そう要求すると、元同級生はこぶしをこちらの眼前にぐっと突き出した。その指にはまった婚約指輪がきらーんと光る。
「この神社、昔から結婚式場でもあったじゃん? いま付き合ってる人とこんど結婚するんだ。そしたら、おじさんに式の斎主やってもらってこっちで式挙げろって家がうるさくて」
「そういえばおまえんとこ、数代前はうちの氏子総代も勤めたことあったな」
この元同級生はなにげに家柄がいいのだった。本人はこんながさつさだが。
「ん。そういうわけで、参拝ついでにおじさんに掛けあってみようと思ったのさ」
「事情はわかった。そういうことなら、すこししたら親父も帰ってくるから社務所のなかで待ってろ」
(おまえもちゃんと聞いたな?)
と、俺は再度自販機の精に目を向ける。そして目を剥いた。
「あっ、こら!?」
あいつ口元を袖でおおったまま、じりじり後じさって去ろうとしてやがる。
自販機の精はとっくのとうに、こっちの会話が聞こえない距離まで遠ざかっていた。追うべきか迷ったが、視界の端から元同級生が呼びかけてくる。
「さっきから落ち着きないけどどしたん?」
「い、いや……」
依頼者――元同級生を放っておくわけにもいかない。けっきょく自販機の精の姿は消え、誤解は放置された。
その誤解は今日になっても解けていない。
あとで話せばすむと思っていたのだが……結婚式の以来を請けてからはがぜん忙しくなり、自販機の精とはあのあと顔を合わせていないのだ。とはいえ何度かは、業務の合間をぬって文房具屋前に行きはしたのである。しかしそんなときに限って、彼女は本体のところにいないのだった。
避けられているんじゃあるまいな……と考えてブルーになっている俺の横で、「ところであんた」と花嫁姿の元同級生が切り出した。
「いま好きな人いんの?」
「……なんでそんなことを聞く」
「あんたに興味示した友達がいるんで。それとなく聞いてみてっていわれた。二次会来たら紹介するよ?」
「聞き方が全然それとなくないのはさておき、なるほどな」
おそらくだが、新婦側友人として参列していた女性のうちのだれかだろう。
俺の答えは決まっている。
「光栄だが……俺はだれともそういう仲になる気はない」もう不誠実で非生産的な恋愛はこりごりなのだった、俺の側からいえたことじゃないが。「うちではこのあと片付けと楽人衆のもてなしがあるからな、悪いが俺は二次会欠席させてもらう」
「わかった、『あの野郎は女にまったく興味なしだから近寄らないほうがいい』って伝えるよ」
「えっあの、もうちょっと言葉を飾ってくれませんか誤解を生みそうな……いやもうそれでいい」
「あの子にはあきらめさせとく。それでさ、あんた好きな人いんの?」
質問がループした!?
俺は眉根を思いきり寄せた。
「おい……答えただろうが」
「答えてもらった覚えないけど。『いる』とも『いない』ともいわず『だれとも付き合わない』と断りいれただけじゃん。隠れて操立ててるみたいでなんか怪しいなと感じて。
ああそっか、もしかして秘めた恋? 神に仕える身で不倫はやめたほうがいいよ」
「ちょっこら、なにを人聞きの悪いことを!」
「ちがうか。あ、もしかして片思い?」
……なにこの女鋭いよ!?
戦慄しながら俺は否定しようと口を開閉させ、考えなおし、
「そうだよ」
あらためて口にするのは気恥ずかしかったが、認めた。
元同級生が口角をにっとつり上げる。
「驚いたね、あんたが色恋沙汰で真剣になる相手がいるとは思わなかったわ」
「ほっとけ。というか、なんで俺にそんなふらふらしてるイメージがあるんだ」
「あんたの大学での乱倫っぷりを伝え聞いたから? 聞くたび『うへえ』と呆れてたわ」
「どこから伝わったんだそんなもん!」
「帰省のとき連れてくる女が毎回違う時期があったらしいじゃない、地元の目撃者多数。うちのお
「こ、これだから田舎はたまに度しがたいんだ!」
親父の野郎……ふだんは謹厳そのものなのに酒入ると口軽くなるんだよな。
「でさ、その人に告白はもうしたの?」
「野次馬根性をすこしは隠せや」
自販機の精といいこいつといい、どうしてこうも人の事情に首をつっこみたがる女が多いのか……いや。
(自販機の精については、認識を修正する必要があるかもな。あいつ今回、関わってこようとしやがらない)
それはあいつがプライバシーの概念を学んで成長した証だろうか。
(――それとも、もしかしたら)
あることに思い至って、心臓がどくんと脈打った。もしかしたらあいつ、俺が結婚するかもしれないことに、嫉妬を覚えてくれているのだろうか。鼓動が早鐘を打ち始め、手のひらが汗ばむ。都合のいい夢想が際限なくふくらんで胸の奥からあふれだしそうになり、
「……告白なんかしてねえしする気もないさ。それでいいと思ってる」
希望をしっかり胸の奥に押し戻し、醒めた声で俺はつぶやいた。
「……ふーん。あいかわらず微妙にヘタレてんね」
「うるせー」
淡々とした雰囲気で憎まれ口を叩き合う。元同級生はそれ以上は事情を詮索してこなかった。マイペースで押しが強く口が悪くときおり理解しがたい行動をとるやつだが、ほんとうに相手を不快にさせる領域にまでは踏みこんでこない。
(タイプは違うが、マイペースで憎めないという部分はあいつも同じか……)
などと自販機の精のことを考えていたときだった。
(あ)
苔むした拝殿の石組みの影から、ちらちらと小紋の袖がのぞいている。ひょこっと顔を出してこちらをうかがうやつと目がばっちり合った。見つかったと知った自販機の精が息を呑んだ。
「あっ……」
こっち来い、と手招きすると、きまり悪げに彼女は俺の前に出てきた。俺は小声でささやく。
「しばらくぶりだな……で、おまえ何してんだこんなとこで」
問い詰めたが、自販機の精は答えずもじもじしている。かと思うと顔を上げ、とっぴなことをいい出した。
「あ、あの……これ結婚式だよね。君たちもしかして、こんどこそつがいになったの?」
「ちっげーーよ!」
反射的に、思いのほか大きな声で否定してしまった。自販機の精が「きゃ」と目を閉じて首をすくめる。彼女がそういう誤解をしていることはずっと前から予測していたはずなのに、彼女本人から面と向かっていわれるとどうしても否定せずにはおれなかった。
元同級生が不審げにこちらを見る。
「あん? いきなりどうした?」
「すまんなんでもない、ほんとなんでもない」
肩ごしに元同級生に言い訳しつつ、俺は自販機の精をにらむ。
「そんなわけがあるかっ」数歩つめよるようにして、口早に小声で伝える。「こいつはうちの神社に式場を借りたいと依頼しに来て、今日式を挙げただけだ! 俺の着ているものを見ろ、これが新郎のカッコかよ!」
「ち、ちがうんだ……そうなの」
必死にいいつのるこちらの剣幕に、自販機の精はびっくりした様子で目をぱちぱちさせた。
「わかったならいい……」
俺はクールダウンしてげっそりと肩を落とす。ようやく誤解を解いたはいいが、焦ってなりふり構わなさすぎた。元同級生のつぶやきが背後から聞こえる。
「さっきから変なやつだなー」
おまえと自販機の精にはいわれたくない、と思いつつも、今回ばかりは一言も返せない。
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