恋朧 四話
八人目にふられたのをきっかけに、人間相手に恋愛ごっこを試みるのはやめた。
不本意ながら俺が女をもてあそんでは捨てる男という事実歪曲もはなはだしい噂(毎回ふられるのはこっちなのに)が広まり、大学内で友人からすら鬼畜眼鏡と呼ばれるようになったことも一因だ。けっきょく、卒業までそのありがたくないあだ名はついてまわった。
『ごめん、これ以上あんたのそばにいるの無理。あたしといても何してても他の女のこといっつも考えてるのが丸わかりなんだもん』
最後の恋人に別れぎわに投げつけられた言葉。
『なんかふとした瞬間に寂しそうな顔見せるのが気になったから、最初はきゅんって来て声かけたけどさぁ……あたしのことまるっきり眼中にないんだってわかっちゃうと、だんだんナメんのもいいかげんにしろって気分になってきちゃうんだよね。
どこのだれか知んないけど、そんなに好きならさっさとその人のとこ行けば? じゃあね!』
部屋の扉が叩きつけられた音とともに、あの言葉がいまも脳裏に鮮やかに響く。
「……あー……」
大学時代のことを回想しつつ、スーツにネクタイ姿の俺はあかね色の空を見上げた。もこもこした綿雲が夕焼けのなかで染まり、燃える羊が行進しているかのようだ。
しばしぼんやり空を見たのち、またうなだれて深々と嘆息する。
「そりゃ付き合った相手にことごとく愛想尽かされて当然か……」
慚愧の念をかみしめながらも、いまも俺の足が向かっているのは文房具屋の前だ。
彼女の姿が目に入ればそれだけで気分が浮き立ち、センチメンタルな気分が吹っ飛んでしまうのだから救いようもない。
通りを竹ぼうきで掃いていた自販機の精は目を丸くした。
「どうしたの、少年。まるでサラリーマンみたいな格好だね」
「そりゃサラリーマン目指してるというか、就活の面接帰りだからな」
答えると彼女は首をかしげる。
「あれ、いまは実家で
「その立場だけど、給料が無いも同然だからな……兼業する。若いうちにちょっと貯めときたいんだよ、金と社会経験を」
平日はほかで働き休日に本業、という兼業スタイルの神職は珍しくなくなってきている。金はなくとも社会的な信用と氏子・同業者人脈のある神主業は、就活にはちょっとだけ有利だ。
「そういうわけで、しばらく就活するよ」
「お勤めしてもこの町から出て行くということは……ないよね」
「ああ。修行のかたわらだからな」
「よかった。また寂しくなるのは嫌だもの」
嬉しそうにほころぶ自販機の精の表情に、一瞬心臓をつかまれたような気分になった。この女深い意味なく思わせぶりなことをいいやがって、相変わらずたちが悪い。
「あ、お掃除すぐ終わるからもうちょっとだけ待っててね、少年」
「……はいはい」
植木鉢をよけて彼女の本体に歩み寄り、俺はコーラを買う。
〽森のねぐらに
ふもとの里に旅人を
静けき墓になきがらを
夢路の暗にあめつちを
送りて響け
穏やかに歌いながら竹ぼうきを動かす彼女を、夕日が照らしている。
本体によりかかってコーラを飲みながら俺はそれを見つめた。
彼女のさっきの言葉を考える。寂しくはないが俺はたまに虚しくなるぞ、と声にせずつぶやいた。
“おまえ、いつまで俺のことを「少年」って呼ぶんだ?”
見た目だけなら俺のほうが年上になっているのだ。
俺が白髪の老人になってもまだおまえは、その呼び方で俺を呼ぶのだろうか。いつまでも変わらないその姿で。
「そろそろ出会って二十年近くか……」
不毛な初恋をこじらせてからは十年近く。中学生のころは一時の気の迷いだと思っていたのだが、いまだに思い切るに切れていない。かといって想いを告げるつもりにもなれない、現状でもそれなりには幸せなので。
「……我がことながらこんな優柔不断野郎のどこが鬼畜なんだか」ぼそっと自虐。
俺のことを悪しざまにいうならヘタレ眼鏡のほうがより当を得た呼称だろう。
なお就活だが、衣料品を取りあつかう企業に就職できた。……製品を見たときはすこしたじろいだものである。
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