恋朧 三話
その翌夏の帰省で、同行した連れに腕と腕を組まされながら文房具屋の前を通りかかった。
自販機の筐体が開いていた。そのすき間から小紋の布地に包まれた丸いお尻が突き出されてもぞもぞしている。自販機前にはレンチやドライバーなどの整備道具が散らばっていた。
なにやってんだあいつ、と俺は連れにひっぱられながら自販機の精の後ろ姿を注視する。と、彼女は視線を感じたのかふりかえった。
「あっ、おかえり少ね……ん……」
鼻の頭に汚れをつけた笑顔が固まった。
彼女の視線は、俺の右腕をかかえこんだ連れに固定されている。「ねえ、あつーい。早く行こうよ」とせっつく声を出す、ゆるふわ茶髪の女性に。
ごしごしと顔の汚れを袖でぬぐい、自販機の精はこっちに歩み寄ってきた。
「よう。自分で本体を整備するスキルなんてもってたのか」
俺の超小声でのささやきを無視し、隣に並んで歩きながら自販機の精は顔を寄せてきた。こそっと問いかけてくる。
「そのひと、どういう関係?」
どうせおまえは他の人間には見えないし聞こえないんだから普通に訊けばいいのに、と思いながら俺は答える。
「そろそろ察するスキルを身につけろ。彼女だ」
「……だってこの前連れてきた子と違うじゃないか」
「そこも察しろといってるんだ。前のには振られた」
「またぁ!? 去年から数えて五人目じゃない!」
並んで歩きながら、自販機の精が呆れた声をだす。
「うるさいな、好きこのんで短期破局くりかえしてるわけじゃない。昨今の神職業界のもっぱらの懸案は嫁と跡取りの確保だぞ。……あいつらはせっかくの嫁候補だったんだ、逃がしたかったわけがあるか」
本当のことだ。大半の神社は儲かっておらず、因習が多い業界ということもあり、なにげに嫁いできてくれる女性は少ないのである。そのせいで伝統とともに血が断絶した社家など腐るほどあるのだ。
『だから愚息よ、出会いの多い大学のうちにうまく相手を確保しておけ。後から嫁探しに血眼になる手間が省ける』というのが親父の教えだった。
というわけで、と俺は右腕につかまる新恋人を指さしてぼそぼそ。
「俺の故郷見てみたいといいだしたので連れてきた。うまくいけば新しい嫁候補になってくれるかもしれない」
「そういう打算むき出しだからすぐフられるんじゃないかい……?」
白い目をしたのち、自販機の精はにっこりした。「……じゃ、またね」小さく手を振られる。
なんの気なしに俺は答えた。
「ああ、また後でこっちに来る。こいつ暑さでばててるし実家で休ませるから、そのあいだにちょっとくらいなら抜けだしてこれそうだ」
自販機の精が複雑な表情になった。戸惑いをおもてに出し、遠慮がちに眉をひそめて、……ほんのすこし困り顔が嬉しげに見えた気がしたのは、俺の願望だったかもしれない。
「カノジョさんについててあげたほうが……一人きりにされたら心細いんじゃないかな」
たしなめられて、俺はようやく自分の非常識な思考に気がついた。
「あ、ああ。そうだな。……じゃ、また今度にゆっくり」
「うん」
立ち止まった自販機の精がほのかな笑みを浮かべた。
しばらく歩いて、俺は自分の馬鹿さ加減にげんなりする。不毛な恋を断ち切る決意でこうして相手を作っているのに、その相手より自販機の精を優先していたらなんの意味もない。隣にいる恋人に対しても罪悪感がいまさらながら湧く。
その恋人には、二週間後にふられた。
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