第二章 恋朧 ―こいおぼろ―

恋朧 一話


 大学の寮では、実家からどれだけ催促されようともなかなか故郷に帰らない者がいる。俺のひんぱんな帰省を理解不能と評するのは、そういう同寮の寄宿人の一部だ。

 故郷の駅の改札から出たとたん、通りの向こうから呼ばれた。


「少年! 少年少年少年っ」


 目を輝かせた自販機の精は、開いていた和傘をもどかしげにたたんだ。緋色の小紋の袖をひるがえし、雪駄でぱたたたと駆けてくる。俺は苦笑で待ち受ける。


「おかえり!」


 笑顔を弾けさせて彼女は、俺の右腕に飛びつきぎゅっと抱きしめてきた。一瞬どきりとしたが、帰省するたび彼女の激しめの親愛表現にさらされるのは割と慣れている。


「ただいま……おまえはいつでもほんと変わらないな」


 こっちはだいぶ変わったのに、と思いながら彼女を見下ろす。

 もう三年半前となった中学卒業のころ、俺はいまほどのっぽではなく、目線は彼女と同じ高さにあった。

 眼鏡もかけていなかったし、「俺」ではなく「僕」と自分のことを呼んでいた。

 無事に付属高校から大学に進み、俺の容貌に子供らしい可愛げがなくなった今でも、自販機の精は俺を小さな弟のように扱うのだ。


「それで、なんで駅で待ってたんだ、おまえ」


「前回の帰省から一ヶ月も間があいたでしょう。そろそろ帰ってくるかなと思ったときに散歩を兼ねてたまに駅に見に来てるの。今日はじめて大当たりした!」

 どや顔で胸をそらす自販機の精。外見キツネ系美女、中身ワンコ系。俺は目を細め、犬耳とぶんぶん振られる尻尾が彼女についているところを想像してみる。和む。

 と、右腕をぐいぐい引っ張られた。


「さっそく私の本体のところに寄っていくよね!」


「なんだ、目当ては俺の財布か。はいはい立ち寄るよ。文房具屋のばあさんにも久々に挨拶しとくかな」


「うふふ」


 上機嫌に笑う彼女。

 帰省のたびいつも俺は彼女のもとでコーラを買い、長時間昔のように並んで話す。別になんということもない学校と寮むこうでの暮らしの話、故郷こっちで起きていたことの話、その他とりとめのない雑談――けれど彼女とのその時間が、じつのところ帰省の主目的だ。親父には悪いが、自販機の精がいなければこの町に帰るのは年一回か二回で済ましているだろう。

 いつまでも変わらない故郷の象徴は、いつ帰っても喜んで出迎えてくれる。

 ……その周囲を見れば、変化した部分がないわけではないけれど。


「ばあさんが園芸趣味に目覚めたのか?」


 彼女の本体のもとを訪れて、俺は開口一番そういった。鉢植えやプランターの花が自販機をとりまいていたので。


「ううん、花を植えてるのは私。お客さんからはおばあちゃんがやってると思われてるだろうけど」


「おまえが? なんで?」


「最近、『再開発』とかで近くの空き地がどんどん潰されて、当たり景品のための花を採れるポイントが少なくなってしまったんだよ。だから自分で花を増やして補おうかなって」


 いわれてみれば、花のほとんどはそこいらで見るような野山の花である。


「採集から農耕へ文明を進歩させたか……それはいいが花の入れ物が汚ないな」


 俺はしゃがんで植木鉢やプランターを検分し、欠けたりひびが入ったりしていることを指摘した。自販機の精が恥ずかしげに首をすくめる。


「その……捨てられていたものを使ったので……」


「ビジュアルをよく考えろ。壊れかけの古くさい自販機が、落ち武者のかぶとに土詰めたみたいな植木鉢をしたがえてるこの光景を。ただよう陰々とした雰囲気で常連客も遠ざかりかねん。あ、もしかしてこの植木鉢連中も化けて出るのか? 付喪神の百鬼夜行だな」


「君は昔っから口が悪くてこまっしゃくれたイヤな子だったねひと月ぶりに思い出したよ!」


「……『しょうがないから俺が新品の鉢やプランターを調達してきてやろう』と考えていたが、考えなおすことにする」


「君は昔から根はいい子だったね! えらいえらい」


 見る間にてのひらを返してにこにこしはじめた自販機の精が、しゃがんでいるこっちの頭を撫でてきた。……胸のうちにくすぐったさと小さな腹立ちが芽生える。


“……こっちはもうすぐ成人だ、歳を取らないおまえの外見年齢をもうすぐ抜くんだぞ”


“俺たちはもう並んでも姉弟には見えない。俺は弟として扱われたいんじゃない”


 そんならちもない言葉がのどまでせり上がってくる。黙って腹の奥に押し戻した。告白しないと決めたくせに、我ながらあきらめが悪い。

 ……高校に入ったときは、いったん距離をおくことで気の迷いが晴れるはずだと確信していたのだが、あいにくそんなことはなかった。

 決めた。

 やっぱりそろそろ恋人を作ろう。この不毛な恋を一刻も早く断ち切ってやる。

 そこまで決意して、俺は気分転換にスマートフォンを取り出した。植物図鑑アプリを起動させる。


「何してるんだい? それはなんだい」


 俺の背にかぶさるようにして、彼女が肩口からスマフォの画面をのぞきこんでくる。くっそ毎回毎回すこしは距離の近さを意識しろこの女――とひっそり腹のなかで毒づく俺。なおこっちの意識の90%は背に密着した柔らかい重みやら温かさやら橘の匂いやらにふりむけられて、せっかく開いた植物図鑑の情報がほとんど頭に入ってこない。

 残り10%の思考能力でどうにか情報処理、返答。


「咲いてる花の種類を調べてんだよ」意馬心猿ムラムラ去りやがれと念じながらまず季節で検索、花弁の色や葉のかたちで絞り込む。「これはカタバミだな。これは萩……これはジシバリか」


 無心の検索が功を奏し、煩悩の波が徐々に引いていく。花の美しさを愛でる余裕も出てきた。こういった野の花は野の花なりに、華やかとはいえないが清雅なおもむきがある……


「ん? と思ったらこの花はけっこう派手だな」


「あ、それ珍しい花でしょう。うふふ、いままで見たことがない種類なんだ! 見つけたときは嬉しかったよ」


「ほう」


 検索。

 ………………。

 ……この花は、


「OH……! ポピー……!」


 恐怖のあまり外国人みたいな声を出す俺。


「あ、ポピヰっていう花なのかい? ヒナゲシに似てるね。人が立ち入らないやぶの奥にいっぱい咲いてたのを見つけたから何株か採ってきたよ」


「こ、こ、このアホ、ポピーってのはケシの花の総称だがこれは海外産の法に抵触する品種だ、群生していた場所を詳しくいえ、だれかが隠れて麻薬畑を作っている可能性がある! いやまずこのプランターを即刻処分だ、文房具屋のばあさんをアヘン原料栽培容疑で逮捕させる気か!?」


 ぶっそうな世の中になってきたものである。

 こんな調子で彼女がまた何かやらかしていないか心配で、俺の帰省の頻度は下がらない。「離れていれば想いが薄れる」もなにもないわけで……確実に最大のアホは俺だ。

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