花霞 三話
しばらくはまだぎこちなかったが、すこしずつ打ち解けていき、やがて僕は彼女と普通に話すようになった。
「私はこの自動販売機に宿った意識が形をとったものだよ、少年」
胸をえへんとそらして、彼女は主張する。
「
「あ、ツクモガミ知ってる! ヨーカイの一種だってアニメで見た! ……やっぱりおばけじゃないか!」
僕が食塩の袋(五百グラム入り)をランドセルからとりだすと、彼女は泣きそうな顔になって開いた傘をバリアみたいにかまえる。
「お、お化けじゃない! ……とはいい切れないかもしれないけど、私はなにも悪いことをしていないし塩で
自動販売機の精。
名無しの彼女を、僕はそう呼ぶことにした。
最初は自販機の妖怪と呼んでいたのだが「妖怪なんて可愛くない呼び方はいやだ妖精にして」と彼女は猛抗議してきた。
「僕の倍以上はあるいいトシした見た目のくせになにが妖精だよイタイタしい。痛ピクシーとなら呼んでもいいけど」と答えたところ、つかみ合いの喧嘩になった。
こいつオトナのおねーさんなのは外見だけだ、と完全に悟ったのはその時である。最初の喧嘩のときから薄々わかっていたが。
とにかく、すったもんだの末に精とだけ呼ぶことで決着を見た。
その自販機の精だが、見た目は人間でも、話を聞いたらやっぱりありえない存在だった。
まず睡眠を必要としない。
「眠いという感覚がよくわからないよ。しんどくならないのかって? 動けば疲れるけれど、しばらく立っていたら治るしね」
寒暖を感じることもないらしい。
「寒い熱いも知識としてしか知らないなあ。少なくとも、人間のように季節に合わせて着込んだり脱いだりはしなくても大丈夫だよ」
着替えの必要がない。
「服はこれしか持ってないの。……汚くないよ、泥ついたってコーヒーこぼしたって時間たてば元通りになってるんだから!」
年をとらない。
「私が出てきたのは十六年くらい前かな。最初からこの姿だったよ」
これだけならちょっと羨ましいくらいである。だがひとつだけ当時の僕が同情したことがある――
彼女は物を食べない。
お腹が空かないだけでなく、料理の本に載った写真を見せても、おいしそうとは思えないらしい。ためしに彼女を夕方の商店街にひっぱりだし、お惣菜が売っている店先を見せてみたりもしたが、やはり無理だそうだ。
「人間って本当にああいうものを口に入れたいって思うのかな。うーん、どう例えればいいのかな。食べられそうだけど食べたくもならない、そういうものが少年にはないかい?」
「消しゴム」
となりの席の田中くんが『カマボコと思えばいける』といって消しゴムを食べてみせたけど僕はそれを見ててもぜんぜん食べたくならなかったよ――細部はうろおぼえだが、そのようなことを彼女に話したと思う。
自販機の精は「ここの文房具屋でも消しゴムを並べているけれど、あれを食べる人間もいるんだね」と感心したあと、
「そうだね。たぶん私にとっての『人間の食べ物』は、君にとっての消しゴムと同じだと思う。それ自体は見ていても嫌悪感が湧くわけじゃないし、やろうとすれば食べられるはずだけど、試したくもならない」
ではなにも口にしないのかというとそうでもなくて、缶ジュースや缶コーヒーを一日一回飲んでいる。つまり自動販売機で売っているものなら口をつけるのだという。
「これだけは体が欲するというのかな? 飲まないとなんだか落ち着かないんだ」
後から知ったが、神へ供えられた飲食物を
正確には、彼女は賽銭(後述する)を使って自分で飲み物を買っているので、供えられた食物とはいいにくいけれども。
なお、缶の中身すべてを飲む必要はなく、「神饌を口にする」という行為そのものが重要とかなんとかで、すこし口をつけるだけでじゅうぶんらしかった。一方、困ったことに神饌は新しいものでなければならず、飲み残しを次の日に飲んでも効果はないのだそうだ。だから彼女は毎日、自分の本体である筐体から缶を一本買っている。
で、それが僕がこいつと仲良くしはじめた理由でもある。
「はいどうぞ、少年」
彼女は僕がその場にいると、缶の中身の大部分をくれるのである。お手軽に懐柔された僕。
中学生の今ではそうでもないが、小学校のころの僕にとって毎日コーラが飲めるのは魅力的だった。
当時、僕は自分から父さんに申し出て一切のおやつを辞退していた。……事情があって、家の金を使うのが心苦しかったのだ。その代わり、こうして外でジュースを飲める機会を確保したという次第である。
そんなわけで下校途中に文房具屋前に立ちよって、変なお化けにおごってもらう日々が続く。
● ● ● ● ●
……通って数年もするとその自動販売機が意外に、というか異様に繁盛していることに気がつく。
その夏の日も、自販機の精が一口だけ飲んだコーラを僕がかたづけている前で、三人もの客が順番待ちの列をつくっていた。上機嫌となった自販機の精は雨もないのに傘を差してくるくる回し、列の横で野ヒバリのように歌っている。
〽夏の日ざかり旅ゆけば、
泉のほとり野の木かげ、
人もとめよる便りあり。
さらに二人の通行人が「なんだかのど渇いたな」という顔つきで集まってくる。そして列に並ぶや夢遊病患者みたいなぼんやりした表情に変わる。ぼーっと瞳の焦点をさまよわせながら無言で金をのろのろ取り出す人々。
セイレーンかよ……と僕は、友達の家でやったゲームに出てきた怪物のことを連想する。歌で人をひきよせて餌食にするという、ヨーロッパのほうの女お化けだ。
さすがにもう自販機の精を怖がりはしないが、この光景を見ていると若干引くなあ……こういう売り方ってアリなんだろうか。
「あのさ、おまえの歌なんだけど……」
缶を手にした人々が解せぬと首をひねりつつ去っていったあとで、僕はためらいがちに話を切り出した。彼女の歌のアブない効果について聞きだし、場合によってはそれをやめるようにいうつもりだったのだが、
「もう、またおまえなんて生意気な口づかいする。
あ、歌のこと? なんで歌ってるかというと、私の本体はもともと缶が買われたときに音楽が流れる仕様だったんだよ。十何種類もパターンがあって、設置された当時は最先端だったんだから」
本体をふりむいてちょっと誇らしげにそっくりかえる自販機の精。
「いや、そこ聞きたいんじゃなくてさ……」
「でも、設置されて四年もしたある日、とつぜんその機能が壊れちゃったんだよね。気がついたら私は傘をさしてここに立ってたんだ。それからずうっと本体の代わりに歌わせてもらっているよ」
目を細めて懐かしげに来歴を語る彼女。こっちの話を聞けよ。
どうにか話を戻させて聞き出したところでは、
「え、人をおびきよせる効果なんて私の歌にないけれど? 列ができてたからみんななんとなく寄ってきたんじゃない」
とのことだった。信用ならない。
「失敬だね。そんな催眠音波商法してないよ。歌に多少のリラックス効果はあるけど」
「あの効きっぷりはリラックスってレベルじゃないだろ!? 客が目ェ虚ろにして、飼いならされたゾンビみたいになってるじゃん!」
歌だけではない。
彼女の本体の繁盛には、ほかにもいくらかのからくりがあるようだった。
自販機の精は割と町中を出歩いているようで、僕が十歳になったある日うちの神社に来た。
学校から帰ってみたら境内に、
〽庭にかくるる小狐の
人なきときに夜いでて
秋のぶどうの樹の陰に
しのびてぬすむつゆのふさ
鎮守の
「何やってんのさ」
「あ、少年。花いただいてるよ」
「せめてうちにキョカを求めなよ」
植えた花ってわけじゃないし、ジュースの恩もあるからいいけどさ。
しかし彼女は「許可もらったよ?」と神社の本殿のほうを指さした。……深く追求してはいけない気がひしひしとしたのでそこは無視し、花を採るわけを訊く。
「当たり景品として使うんだよ、これ」
そういわれて、彼女の本体が当たり機能付きであることを思い出す。
……そういうのって普通は缶をもう一本もらえるとかだと思うんだけど……
「もしかして音楽機能とおなじ事情? 景品が当たる機能ももともとは本体についてて、それが壊れたから代わりにおまえがやってるの?」
たずねたら自販機の精が返事に詰まった。図星か。
何度か当たりが出るのを間近で見たが、彼女が「おめでとう! おめでとう!」といいながら花びらや木の実を相手にふりかけるのである。
ちょうどいいから前からの疑問をぶつける。
「あの花まき儀式、客の得になるの? 花なんて食べらんないし、いい匂いの生ゴミばらまいてるだけじゃない?」
「生ゴっ……こ、これはただの花じゃないもの! 歌より強力な癒やし効果をこめてるんだから。言祝(ことほ)ぎと手摘みの花の
「えっと、よくわかんないけど『神の祝福で回☆復』ってこと? ゲームじゃあるまいしー。うさんくささ極まれりって感じ。僕なら缶もう一本のほうがいいな」
「君みたいな寝て遊んでを満喫するお子様にはこのサービスのありがたさが実感できないんだよ! 癒やしの力は疲れのたまった大人には評価されるの!」
半泣きで罵ってくる自販機の精。
じゃあその癒やし効果ここで試させてよと要求したが、
「あ、それは駄目。買って当たりを引いたらやってあげる」
とたんに冷静に戻った彼女に拒否された。
お客じゃない人に景品をあげるのは自販機のモラルに反するとかなんとかいわれて、断固としてつっぱねられる。日頃はわりと甘っチョロい自販機の精だが、この件では頑固だ。やむなく僕は引き下がり、ふと訊いてみた。
「……その力って病気とかも治せる?」
「ううん、病気は難しいなあ。疲れがたまったのが理由の風邪くらいには効くけど」
「そうなんだ」
世の中そんなにうまい話なんてないな、と残念に思う。
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