そんなことが、当たり前になってしまった


 あれは確か、そう。

 僕が微弱ながらも魔力強化を使えるようになり、クラスでは対立が徐々に表面化してきて、艶のあった委員長の三つ編みがストレスでバサバサになっていた頃だ。


「はぁ? 強くなりたい、っすか?」


 戦い方を学びたいという僕の質問に、呆れ声を返したのはウィー・ファンだった。


「何度も言ってるじゃないっすか。信仰を高めればいいんすよ。お祈りするっす。祈れば祈るだけ強くなれるっすよ」

「いや、そうかもしれないけど、そういうことじゃなくてさ……」


 ひたすら祈れ祈れとしか言わないこの頭がおかしいファッキンプリーストに反論する。

 信仰心が魔力を引き出し、信仰心を高めれば強くなるというこの世界の法則を聞いた時から、胸にもやもやがあったのだ。


「強くなるために、信仰するわけじゃないじゃん」


 僕はサロメ様のことが好きだし、サロメ様のことを信仰しているけど、それは別に強くなるために信仰しているわけではないのだ。だから、強くなるために祈れと言うのは、何か違う気がした。

 僕の言葉に、ウィー・ファンが瞠目した。


「な、なに? 僕、そんな変なこと言った?」

「いや、違うんすよ。この世界だと、信仰することと強くなることは一緒っすからね。そういう言葉は聞いたことがなかったんすけど……確かにそっすね」


 同意したウィー・ファンがにこりと笑った。

 いつもへらへらと笑い、狂気をのぞかせている顔とはまた違った。


「少し、感銘を受けたっすよ」


 まるで同い年のクラスメイトみたいに笑ったウィー・ファンの顔は印象的で、思わず目の前の枢機卿もただの人間なんだな、と思い違いをしてしまった。

 そして、その笑顔は三秒しか持たなかった。


「じゃ、分かったっす」


 またいつものへらへらとした笑顔に戻ったウィー・ファンが僕の襟をがしりとつかむ。


「少し、信仰と戦い方を仕込んであげるっすよ。ダイジョブっすよ。あたしの教練を受ければ、シンイチも立派な異端審問官になれるっす」

「え、いや、そんなもんになりたいわけじゃ――」

「遠慮はダメっすよ。二人で一緒にサロメ様の敵をぶっ潰すっす!」


 壮絶な勘違いをしたウィー・ファンを振りほどけるはずもなく、鼻歌交じりの彼女に僕はずるずると引きずられていった。






 ゆっくりと、目を開ける。

 なんとなく、昔のことを思い出していた。

 実のところ、いまの僕は魔力強化が簡単に上下する。下限はゴブリンに追い回された時くらいの強さだ。簡単に言うと、雑魚レベルの魔力強化しかできない状態を自分のデフォルトにしている。別にわざと弱くなっているとかそういうわけじゃなく、その程度の心でありたいと思っているからだ。

 それは僕の信仰心の表れだ。平気でサロメ様のことをバカにできるようになった今とは違う、かつての心を思い出すだけで僕の魔力強化の出力は段違いに跳ね上がる。上限がどのくらいになっているかは……正直、分からない。

 いま、自分の信仰心を思い出していた。

 冷静になるとは違う。

 冷えるのとは違う。思考のめぐりが良くなったわけではない。そんな大層なものではない。

 ただ、頭の中が静かになる。心が信仰に、浸りきる。

 それはかの枢機卿、ウィー・ファンに仕込まれた心構えであり、同時に僕が自ら溺れた心理でもある。

 深く、深く、愚かしく。

 ただ、神意に沿うようにあれ。


 ――ねえ、信一。あなた、やっぱりそれ……ぁ。


 そうやって切り替えられた心になると同時に、敵がやって来た。

 サロメ様の言葉を遮ったのは、どすん、と重量感のある足音だった。

 隠れることなく姿を現したのは、やはりオークだった。

 でっぷりと膨らんだ太鼓腹。大きく肥えた身体に丸々と膨らんだ丸太のような手が伸びている。異様に大きな上半身のせいか、下半身はひどく小さく見える。とてもアンバランスな体形だ。

 見るからに鈍重そうな図体をしている。オークが強いか、と言われれば実際のところ微妙だ。

 数いる魔物の中では明らかに弱小な部類だ。力はあるが長所はそれだけ。頭も悪いし動きも鈍い。実際、彼らは機動力だけならばゴブリンにすら劣る。

 だが、その脅威度はゴブリンなどとは比べ物にならない。

 体積の多いその体は、内包されている魔力の大きさをそのまま表している。生半可な攻撃は痛手にならず、異様に発達した上半身から繰り出される攻撃は人間なんて容易に粉砕する。討伐するとなれば、そのタフさと攻撃力は侮れない。

 だが、なんてことない。

 言い聞かすまでもなく、そう思う。

 ゴブリン五匹に不意打ちで接敵された前回とは違う。心の準備は整っている。それに言わせてもらえば、僕は数が多いゴブリン相手よりかはオーク一匹のほうが気楽に相手をできる。特にオークは単純なので誘導が簡単だ。

 結局のところ、ゴブリンと一緒。群れなければ、そう怖くはない。

 僕たちを見たオークが立ち止まる。

 その視線は、敵を見る目ではない。苛立たしそうに、障害物を眺める目だ。

 魔物ごときが、生意気だ。


「来ます」

「……っ」


 返答は、硬く息を飲んだ音だった。

 緊張している。見るまでもなく、気配でそれが分かってしまうほどにアンナさんの体がこわばっている。

 仕方のないことだろう。アンナさんが相手をしたことのある魔物なんて、せいぜいホブゴブリンまでのはずだ。人間が生息圏を確保しているところは、そもそも強い魔物が発生しない。アンナさんにとって、目の前のオークはいままでの人生で最も強い強敵だろう。緊張するな、なんて無茶は言えない。

 でも、このままではまともに戦えない。


 ――……しょうがないですね。


 そっと心の中で一つ諦めて、アンナさんよりほんの少し前にでる。


 ――……そうでも、ないわよ。


 僕の心の動きをどう見て取ったのか、サロメ様の言葉はあいまいだ。

 サロメ様の真意がどういうことなのか。それを確かめる前にオークが、僕の動きに反応した。

 僕とアンナさんの両方を認識していたオークの視線が僕に集中する。単純だ。半歩前に出ただけで注意を僕だけに向けるなんて、こんなに楽でいいのかという疑問が浮かんでくるほどだ。

 隣にいたのが貴樹ちゃんだったらこの瞬間にでもオークに飛びかかって不意を突くんだけど、今のアンナさんにそれを期待するのは酷だ。まず先制して手本を見せてアンナさんの緊張を和らげてあげないといけない。オークの攻撃を避けて反撃するのなんて、僕ですら楽勝なんだってことを実証してあげなければならない。

 ミスったら死ぬけど、そんなの当たり前のことだ。

 いや。

 そんなことが、当たり前になってしまった。


 ――……ごめんね。


 サロメ様が自分には一個も非がないのに謝ってきた。


 ――やめてください、サロメ様。


 僕がこの世界に来たことも、僕が戦いに身を投じることになったのも、サロメ様に非があってのことではない。誰が悪いかと言えば僕たちを呼んだ国の上層部が悪くて、あの国はその報いを受けウィー・ファンを筆頭にした中央聖教の勢力によって滅ぼされた。

 そのすべてに、サロメ様の非は一点もない。


 ――サロメ様に謝られたら、なんて言っていいか分からなくなります。

 ――……うん。ごめんね。


 だから、謝らないで欲しいのに。

 もっと明るくあって欲しいのに。

 大声で笑って、心ゆくまで泣いて、力いっぱい騒いでほしいのに。

 オークが地面をたたく。

 土砂が飛び散り、地面が揺れる。ずどんと響いた音の重さは、鼓膜どころか身体に直接響いてくる。

 一瞬前まで僕のいた場所に拳を振り下ろしてからぶった結果だ。背中を撫でるようにして通り過ぎたオークの一撃に、僕の心はまったくぶれなかった。

 祈りを捧げる時のように静謐な心で戦う。

 僕にとって、信仰で戦うというのはそういうことだった。

 ウィー・ファンのような激烈な狂信は僕にはない。それでも、全身を信仰に深く沈めて、その冷たさに感覚が冷えてマヒした心は、ある意味とても強いと言える。

 アンナさんが目を見開く。それもそうだろう。明らかに僕の魔力強化の出力が上がっていた。ゴブリン五匹に追い回されていた時とは、比べ物にならない。

 でも、しょうがない。

 昔を思い出して、信仰心が上がってしまっている。今の僕の魔力強化の出力は、ちょうど貴樹ちゃんとパートナーを組んで彼女の加護の助力を得ていた時と同じくらいだろう。

 まだまだ薄弱だった僕の信仰と、貴樹ちゃんの拙い信仰が合わさった時の魔力強化分。封鎖地域のグレゴリオ火山に訓練の名目でウィー・ファンによって放り込まれ、クラスメイトの足手まといで、それでも何とか生き残れた。必死に生き抜いていたあの頃と同じくらいだ。

 オークが懐に入り込んだ僕を見てとっさに体を引き起こそうとした。

 やっぱり単純だ。その大きな体格に任せて、僕を巻き込んで転がり込んでしまえばそれだけで勝機も転がり込んでくるだろうに。アンナさんは……まだちょっと、動けないか。

 ちらりとアンナさんに意識を咲きつつ、起き上がりの動きに合わせて、クワをオークの軽く顔面に叩きつける。

 ブモ、とオークが鳴く。やっぱり豚だなぁと思いながら、一歩だけ距離を開ける。

 まだまだ致命傷には程遠い。ちょっとひっかいた程度の嫌がらせにしかならない攻撃だ。

 でも隙を作るのには十分すぎる。

 頭を砕けば一発で塵に帰せるが、相手だって警戒している。一発で決められるだなんて思わない。ちょっとずつ、ちょっとずつ削り取って行けばいい。それがいまできる僕の戦い方だ。そして、それで十分なのだ。

 なんせ、敵は一体しかいない。

 本能だけで動く相手の行動を支配するのなんて、あんまりに簡単だ。それが一匹なら、事故も起こりようがない。

 二発目。顔面をこすってひるんだ隙に、今度は足を狙う。

 さっきよりは強めに、ただしすぐに引き戻せるくらいの力加減でオークの右足にクワを叩き込み、その刃を食いこませる。

 通じる。良かった。

 食い込んだクワを確認して、ほっと息を吐く。

 一番最悪なのが、そもそも僕の魔力強化が通用しない事態だった。そうなると、どうやったって勝てるわけもない。いくら攻撃を当てても傷つかない相手なんて最悪だ。

 だが、通った。

 今の僕の信仰でも、削り取れる。

 半円を描くようにして、オークから距離を取る。

 オークが大声を上げた。威嚇と、何より自分を鼓舞する叫びだ。道端に落ちていた障害ではなく、立ちふさがる敵と認識して僕のみを狙う。

 ほんと、単純で助かる。

 その横っ腹に、アンナさんのメイスが叩き込まれる。

 ようやく彼女の緊張も取れたみたいだ。僕の動きで、ちょうどアンナさんがオークの背後に位置するように誘導しておいた。

 相手の注意がアンナさんにそれた。アンナさんの危険度は増えたけれども、僕が動きやすくなったというのと同義だ。

 距離を詰めて思いっきり、耕すように足の甲にぶち当てる。半ばから切断された。

 順調だ。怖いくらいに順調だ。

 オークに一撃をいれたアンナさんが息を整えながら僕の横に並ぶ。動きが少ない割には呼吸が荒い。やっぱりあんまり頼れるような状態じゃない。

 そうしてほんの少し注意をアンナさんに逸らしたのは、確かに油断だった。

 オークが拳を振り上げた。

 狙いは、僕じゃなかった。


「……ぁ」


 アンナさんが、びくりと体を固めた。オークの殺意を真正面から受けて、すくんでしまった。

 見捨てろ。

 僕の信仰がそう告げた。

 アンナさんは、信仰とは関係ない。神意に何ら関わらない。見捨てろ。見捨てて、その隙に相手を攻撃しろ。そうすれば、仕留められる。そちらのほうが重要だ。

 ウィー・ファンにかつて仕込まれた心が、冷静にそう判断した。

 ふざけんな。

 そう思えた。


「ッ!」


 前に出る。アンナさんをかばってオークの攻撃を、受ける。真正面からなんのひねりもなく、オークの拳を受け止める。

 オークの重みがまともにぶつかりのしかかる。普通の状態なら受けれるはずもなく、魔力強化を施してなお耐え難い魔力の重み。ぎしりと骨が軋んだ。ぶちぶちと肉が裂ける音がして皮膚が破けて血が流れだす。

 痛い。

 ただ、僕を叩きのめすほどの威力はなかった。

 僕の祈りは、まだオーク如きに破られるほど脆弱にはなっていなかったらしい。


 ――し、信一……。

 ――あはは、残念です。


 戦闘が始まってから、ずっと黙り込んで様子がおかしかったサロメ様に笑いかける。

 僕は、弱くなっていた。

 信仰の上限がこの程度だなんて、笑えるくらいお話にならないレベルだった。

 でも、それでいいと思えた。

 僕が受け止めきって動きを止めたオークの足に、アンナさんの攻撃が撃ち込まれる。

 幾度も攻撃を受けた足が、とうとう崩れる。たまらず膝を折ったオークに、僕はクワを振り上げた。

 詰み。

 僕より高い位置にあったオークの頭を砕くのは至難だけど、この位置ならやれる。

 僕たちの、勝ちだ。

 自分の運命を察したオークは、憎々し気な瞳を僕に向けた。ホブゴブリンに時と同じだ。彼らは、死ぬ目前ですら僕たち、恐怖より憎悪が勝るのだ。


「ばいばい」


 過去に何百何千とそうしたように。

 僕に振り下ろしたクワに、オークの頭が砕かれた。

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