僕の運命だった
「……さて、と。この辺りでいいですか」
山の中腹にたどり着いた辺りで、アンナさんが足を止めた。僕もとりあえず立ち止まった。
ちなみに僕はこの辺りがどの辺りか分からないので、アンナさんに置いて行かれたら遭難する。方向音痴というか、そもそも野外で自分の居場所を特定する技能がないのだ。
「シンイチさんは魔力探知ができるんですよね。ここから山頂まで届きますか?」
「できますよ。それは割と得意なんです」
「助かります。意外と器用ですよね、シンイチさんって」
魔力感知は、信仰による魔力の接続を外に広げていく魔力強化の応用だ。世界に満ちる魔力に自分を広げて魔力を感じ取る。魔力から生まれている魔物を索敵するのに使われるそこそこ難しい技術だけど、僕はこれができる。それぐらいしか人並み以上にできることがないという理解で構わない。
「じゃあ始めますね。護衛をお願いします」
「はい」
そして魔力探知をしている間は、知覚のすべてが魔力を感じ取るほうへと割かれてしまう。魔力を持っているもの以外、一切知覚できない状態になってしまうのだ。いや、なぜかサロメ様の声は無駄に聞こえるんだけど、それだけだ。
そのため一人でいるときは危なくて不用意に使えない。どのくらい危ないかというと、その昔に魔力探知をしている間の見張りをサロメ様にお願いしたら、危機管理能力が恐ろしいほど低いサロメ様の索敵を潜り抜けた野生のイノシシに突撃されて肋骨にヒビをいれられたという痛ましい事件が起こったくらいだ。
――あ、あれはだって、親子ずれのイノシシで、子供がかわいいなって思ってて……。
――勘弁してくださいよ。イノシシに襲われるだなんて滅多にないのに、それを体験させようだなんていう心遣いはいらないんです。
――うぅ……。
ちなみに僕に突撃して勝利をおさめたイノシシは、僕の悲鳴を聞きつけて駆けつけてくれたベストフレンド貴樹ちゃんによって仕留められて、委員長によっておいしく料理されてその日のおいしい夕ご飯になった。あまりの痛みで涙目になりながらも『慈悲』の加護をもらったクラスメイトの力で重傷を治してもらっている僕の横で、話を聞いた小日向君はげらげら笑っていた。小日向君だけ死ねばいいのに。
以来、一人でいる時は決して魔力探知は使わないようにしているが、今回はアンナさんが見張りをしてくれている。
――な、なによう……私にだっていい加減、見張りくらいはできるわよ。
できるわけがない。
――サロメ様はなんでそんなに自己評価が高いんですか? もうちょっと自分のできるかもしれないことと、できないことと、絶対にできないことをちゃんと分けて認識してください。じゃないと僕に迷惑がかかるんです。
――そんなっ、私だってそれくら……ね、ねえ。今の信一の言葉に、できることが入ってない気がするんだけど?
――いや、サロメ様にできることなんて何もないですし。
僕は自分に自信がないからあんまり絶対という言葉を使わないけど、こればかりは絶対だと言い切らせてもらおう。
サロメ様に見張りなんていう大役が、できるわけがない。
――なら汚名返上の機会をちょうだいっ。私、うまくやって見せるわ!
――絶対に嫌です。
サロメ様に何かを任せると、失敗したうえ厄介事を引き寄せる。それ覚悟したうえでなお、その斜め上の厄災が襲ってくるのだからたまったもんじゃない。僕にとっての二大災厄、ウィー・ファンと魔王はサロメ様の原因で引き寄せられたのだ。
サロメ様のお願いは断固拒否して、集中するために目を閉じる。
魔力探知は、魔力強化の応用だ。世界に満ちる魔力に接続して、そこから知覚を広げる。僕はこれだけは得意だ。知覚できる範囲はかなり広い。ちなみに委員長の加護が魔力探知の上位互換バージョンを可能としているので、使い道はあんまりなかった。
とはいえ委員長がいない今、この魔力探知は魔物を探すのに有用な手段だ。
接続した周囲の魔力から、ゆっくりと自分を引き延ばしていく。精神が身体から離れて溶けていく。
こうすると、どれだけこの世界に魔力が満ちているのか、よくわかる。大気と同じだけ魔力はこの世界に満ちている。大地と同量の魔力が溶け込んでいる。すぐそばにある、まとまった魔力はアンナさんのものだ。
そこから、さらにさらに引き延ばす。この山をひとつ覆えるほどに自分を広げて、魔物の群れがいると予想されている山頂付近まで魔力探知を伸ばし
――え?
感じ取った魔力の群れに、感情が乱れた。
――どうしたの?
僕の動揺を感じたサロメ様がのほほんと聞いてくるが、それに答える余裕もない。
嘘だ。
まず、そう思った。それくらい、感じ取った魔力の群れは異常だった。
数は、十匹程度。数だけ見ればぎりぎり許容範囲だ。だが種類が多い。感じられるだけでも、その魔物は人間の住む場所で発生するはずもない多様さを見せていた。
人間が生活圏としている地域は、そもそも魔物があまり生まれない。魔物が自然発生する場所は封鎖地域とされ教会が管理している。
だというのに、そこには人型が中心だと言っても多くの種類の魔物がひしめいてあっていた。
そして何より異常なのが、それらがぶつかり合っていることだ。魔物同士で局地的な殺し合いが起っていた。
これは、共食いだ。
それを理解して、全身総毛立つ。
その食い合いの中から、一つの気配が飛び出てくる。こちらの気配に気が付いた、というわけではない。ただ逃げたのだ。その殺し合いの場所から耐えきれなくなって、逃げ出したのだ。
あの時の罠にかかっていたホブゴブリンは、あるいは最近人里近くまで降りて来たゴブリンはこいつと同じことをしたんだ。だから散発的に少数の魔物が人里近くに現れるなんて言う事態が起こった。
そんなことに気が付いたが、吟味している暇はなかった。
逃げ出した魔物の進路上に、僕たちがいる。
「アンナさんっ!」
「は、はい?」
魔力探知を解除して呼びかけてから気が付いた。
アンナさんは戦えない。いや、闘えるけど戦闘経験があまりにも少ない。
「説明は後です。にげましょ――」
ここから逃げよう。そう告げようとして、口をつぐむ。
魔物の進路を考えれば、村まで降りてくる。そして村で魔物にまともに対抗できるのは、僕とアンナさんだけだ。結局、戦力としては大差ない。まず間違いなくアンナさんが村を見捨てる選択をしない以上、逃げる意味はあまりない。
そして、魔物の進路で最初にぶち当たるのは、村はずれに建つディックさんの山小屋だ。
「し、シンイチさん? どうしたんですか?」
「いえ……」
くっそ。
追い詰められた状況に舌打ちする。
こっちに向かってきている魔物は一匹だ。これなら戦闘向きの加護ではない委員長ですら一撃で焼き豚にできるだろう。クラスメイトのみんなは、それだけ強かった。彼らには、現状を打破できる力があった。
ただ、いまの僕にはそんな真似は無理だ。
加護が戦闘の役に立たないため、いま持ってるクワを振るって戦うしかない。ていうかなんだ、クワって。なんでクワで戦うはめになってるんだ、僕は。おかしいでしょ。
――戦うの?
僕の心の動きから状況を把握したサロメ様が心配そうに声をかけてくる。
――……そうですね。
うん、まあその通りだ。どうしようもない状況になったら僕は即座に逃げに入るけど、まだまだ追い詰められていない。
魔物に襲われるなんて、よくあることだ。
――楽勝ですよ。知ってるでしょ、サロメ様。僕はオーガに勝ったことだってあるんですよ?
――でもあの時は『友愛』の加護をもらった貴樹ちゃんの助力があったからでしょう?
その通りだ。僕の一番最初で最大の友達、唯一無二の親友である貴樹ちゃんのチート能力『友愛』の加護は、友情を感じた相手へと魔力強化を施せるという支援特化のものだった。
魔力強化は、本来は自分以外の生物には施せない。だが『友愛』の加護を持っていると、他人にも魔力強化を注げるようになるのだ。
普通ならばいくら加護を持っていようと他人に施せる魔力強化に制限あるのだけれども、貴樹ちゃんのそれは制限が取っ払われていた。だから僕は自前の魔力強化に貴樹ちゃんの魔力強化を合わせて戦っていた時期があったのだ。……結局、成長した貴樹ちゃんは『空騎士』なんて異名をとどろかせるぐらい強くなった挙句、僕とは別のベストパートナーを見つけて僕なんていらなくなったんだけど。
あ、ちょっと泣けてきた。いいんだ。ベストパートナーじゃなくなっても、僕と貴樹ちゃんは友達だから。
――死んじゃわない?
――大丈夫です。貴樹ちゃんはいなくても、いまはアンナさんが一緒にいます。
――……そう。
友達じゃないけど、目視できる女神様が一緒だ。
だから、きっと何とかなる。
「アンナさん。魔物がこっちにきます」
「えっ!? な、何匹ですか?」
「一匹です。向こうはこっちに気がついてません。迎えうちましょう」
「そ、そうですね。一匹なら、二人がかりなら簡単に倒せますね」
「……はい」
頬が緩んだ。
アンナさんのセリフは相手がゴブリンだというのが前提のものだった。今までの経験から出た、ちょっと楽観的な答えだ。
けど、まあちょっと嬉しい答えだった。
「そうですね。オークが一匹くらい、楽勝ですね」
「はい。そうです――え゛?」
アンナさんのひきつった顔が、何だか無性におかしかった。
誰かと協力して戦うのは、考えてみれば久しぶりかもしれない。動転した顔にくつくつと笑いを漏らして、少し心の内を変える。
――ねえ、サロメ様。
昔に捨てるって決めたもので、それでも難しくてまだまだ捨てきれないものを取り戻すために、祈りを捧げる。
――人を救うためなら、いいですよね。
――自由よ。全部、信一の。
それがサロメ様の答えで、告げられた言葉は僕の運命だった。
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