人生、何が原因でどうなるか分からない
いま、僕は今世紀最悪の知らせを聞いた。
その知らせを聞いた瞬間、落雷に打たれたかのような衝撃が全身を走った。ものすごい衝撃だった。アンナさんに『嫌いです』と言われた時よりショックを受けた。
まさか、まさか……そんなまさか――
――あのサロメ様にサロメ様より空気が読めないと思われているだなんて、いくらなんでもあんまりです……!
――な、なによ。言っておくけど私、信一よりはコミュニケーションスキルは高いわよ。
サロメ様はどんだけ自己評価が高いんだ。泣くぞ僕。いや。自己評価が底辺の僕じゃなかったら、泣くどころか楽な自殺の方法を模索し始めるくらいひどいことばだ、今のは。
――なにわけの分からないことを言ってるんですかサロメ様! 僕、絶対にサロメ様にだけは負けてる部分はないって思ってますから! コミュニケーションスキルも、場の空気の読み方も、おっぱいだってサロメ様より大きいんですよ!?
――さすがに信一よりはおっきわよぉおおおおおお!
あ、サロメ様が怒った。
――なによっ。なによなによ! なによなによいつもバカにして! いつ胸の話になったのよっ。
――え? いや、流れでサロメ様のことバカにできるなって思って。
――流れってなによぅ! そもそもデートってなによっ。アンナちゃんは仕事中でしょう? 公私混合したりしないって、どっかの誰かさんが言ってたじゃない!
――誰ですかそんな夢のないこと言ったのは? そんなひどいやつは僕が見つけとこらしめてやりますっ!
――なんで本気で自分の言ったことを忘れてるの!?
忘れているだなんて、バカな。現実が嫌で夢ばかり見てる僕が、そんな理想を傷つけるようなひどいことを言っているはずがない。言っているはずがないのだから、忘れているわけではなくそもそもそんな発言を僕はしていないのだ。きっとそうだ。
ああ、もう、サロメ様はわけのわからないことばかり言うんだからサロメ様なのだ。サロメ様のせいでテンションは寝落きの時以上に落ち込んできた。
「でもよかったです。シンイチさんがやる気をだしてくれて――」
「やっぱやめましょう。今日は日が悪いです。帰って寝るのがいいですよ」
「――……あの、さっきからどうしたんですか。情緒不安定ですけど、大丈夫ですか?」
僕とサロメ様のやりとりは周りには聞こえないので、僕の気分上下がかなり不審にみられることが多い。事情を知ってる人ならスルーしてくれるんだけど、他はそういうわけにもいかない。これもサロメ様の加護を持つ弊害だ。そのせいで、僕はよく変なやつ扱いされる。
全部サロメ様のせいだ。なにもかもサロメ様が悪い。
――ふん、だ。もしかしたら自覚がないのかもしれないけど、信一は素で変な子だと思うわ。
まだおかんむりなサロメ様がとっても失礼なことを言ってくるが、サロメ様のせいだって言ったらサロメ様のせいなのだ。
だけどアンナさんの同情を買うのには様子が変だと思われるのはうってつけなので、あえて受け入れることにした。
「はい。精神不安定な体調不良なんです。帰りましょう。それに魔物の群れなんて、せいぜいハイゴブリンだと思いますよ? 適当にそう報告しておきましょうよ。山の中にハイゴブリンを筆頭とした魔物の群れあり、って感じで。そうしたら、後は冒険者が何とかしてくれますよ」
「ダメですよ。適当な依頼を出したら、後で違約金とられるかもしれないじゃないですか」
「そりゃそうかもしれませんけど、なら調査も含めて依頼に出しましょうよ」
神官は別に魔物狩りのエキスパートではないのだ。そりゃ聖騎士とかなら別だけど、アンナさんのような教会勤めの神官は特に魔物に対する武力という意味では頼りない。ならばこそ、プロにお任せすれば万事解決なのだ。
珍しい僕の正論を受けて、アンナさんがふいっと顔をそらした。
「調査依頼は調査依頼で、お金がかかるんです。この村にそこまでの資金は……その、ありません」
「お金、ですか」
なぜか言い淀んだアンナさんの言葉に空を見上げた。
世知がない。しかし切実な問題だ。
そう言われてしまっては無一文で教会に居座っている僕に何かが言えようはずもない。ざっくざくと道を踏破する。僕とアンナさんの二人で歩いている以上、魔力強化を緩める必要はない。驚くべきスピードで僕たちは山の道にもなっていない場所を強行的に突破していく。
その合間に、ふとアンナさんが聞いてきた。
「そういえば、シンイチさんはどうして旅をしてるんですか?」
「どうしてもと言われても……僕は無所属の神官なので、ふらふらするしかないんですよ」
「司祭位までいって無所属というのも珍しいですけど、ふらふらって……目的はないんですか?」
「ないですねぇ」
ただの雑談なのか、それとも素性を探られてるのか。どっちなのか判断はつかないけど、とりあえず当たり障りのない答えを返す。
無所属の神官というのは、要するに役職のない神官のことだ。
アンナさんみたいに教区を管理し中央聖教の関連施設運営に携わる神官が一般的な神職とみなされている。教会や孤児院そのほかの施設の運営、あるいは異端審問官や聖騎士という役割のもと各地を回って異端者のあぶりだしや魔物討伐をこなしていくのがこの世界で一般的な神官様だ。
それとは別に土地に根差すことなく国境の別無しに放浪する神官も意外といる。目的はそれぞれであり、あるいは自分の信仰を磨くために旅に出ていたり、人助けのための旅だったり、巡礼の旅だったり、単純に神様は信仰しているけど教会の空気に嫌気がさしたという僕の境遇に近い人もいたりでいろいろだ。冒険者の中に神官位を持っている人間が混ざったりするのもこれが原因である。
ただ無所属の神官にはある切実な悩みが付きまとう。
「でも、かなりの期間ここにとどまってますよね。どうしてですか?」
「いえ、その……お金がないんで」
「それは……シンイチさんらしいですね」
旅立つために先立つものすらないという僕の答えだったが、さすがにアンナさんも僕の取り扱いが分かって来たらしく平然としている。
無所属の神官は教会に優先的に滞在できたり、街道に設置してある関所の越境審査がものすごく緩かったりという特典はあるが、給金はない。当たり前だ。だって仕事をしてないんだもん。
だから自分で稼ぐしかないのだけれども、僕にはそんな甲斐性がないので無一文のままだ。
「でも、いつまでもここにいるというわけでもないんですよね」
「そうですね。予定は特にないんですけど、まあいつかはどっか行きますね」
「そうですか。その無計画もシンイチさんらしいですね」
うん。アンナさんは本当に僕のことを理解してきたようだ。
「でも、シンイチさんの予定は聞いておきたかったんですよ。実は村長さんに、孫娘を誑かすあの神官は何者なんだって、今日言われちゃいましたし」
「そうで……え? そんなこと言われてたんですか、僕」
モテない男子異世界代表の僕に向かってそんなことを言うだなんて、あの村長ハゲ菌がとうとう頭の中まで侵食して脳みそつるぴかりんになってしまったのだろうか。
しかし、いまのいわれのない評判はさておき、村の中でもそろそろ僕の存在が噂になっているようだ。やっぱりそろそろ潮時なのかもしれない。
閉鎖的な田舎の村だから外に噂が広がることもないだろうと思っていたけれども、一ヶ月も同じところにいるのはよろしくないようだ。アンナさんにも僕の素性がだいぶ怪しまれているし、田舎に司祭がとどまっているなんて噂が外に漏れでもしたら、頭がおかしい割には勘のいい枢機卿のことだ。探索の魔の手が伸びてきてもおかしいくない。
「……でもなぁ。アンナさんみたいに素敵な人がいるのに、むざむざ離れるの惜しいんですよねぇ」
「……おだてても何も出ませんよ」
おや?
つっけんどなアンナさんの様子に目を瞬かせる。おかしい。僕、いまアンナさんのことを褒めたのに、なぜかふくれっ面でご機嫌ななめな返答だった。
サロメ様ほど他の女の人が単純じゃないってことくらいは知ってるけど、いままでのアンナさんだったら何だかんだでちょっと嬉しそうだったのだ。それが、今のような険のある反応になった。褒めたというのに相手が怒り始めるのは、僕の経験上あんまりよくない兆候だった。
「シンイチさん、私に対してに限らずいつも誰にでもそんな感じだそうですね。村長さんに聞きましたよ。あいつは女と見れば誰でも褒め立てるって。実際、孫娘さんとずいぶん仲が良いらしいじゃないですか」
「あの、村長さんのところの孫娘さんってまだ八歳なんですけど……」
貴樹ちゃんみたいなロリっ子というわけではなく、正真正銘子供と仲良くしていただけでそんなことを言われるのはちょっとあれだ。
ちなみにこの村での僕の交友関係は、アンナさんとディックさんと、村長さんの孫娘のパトリシアちゃん(八歳)だけだ。あとは元気に挨拶してもそそくさと逃げられる。
「パトリシアちゃん『かわいいかわいい』って褒めると素直に喜んでくるのでかわいいんですけどねぇ。おままごとで泥団子差し出すまではともかく、それを食べろっていうんですよねぇ。満面の笑みで『食べて』っていうお願いじゃなくて『食べろ』って命令してくるんです。きっとあの子、将来は立派な女王様になれます」
「そうですね。楽しそうですね」
アンナさんの声が素っ気ない。苦労話のつもりなのに、なぜか楽しそうだと言われてしまった。
何がまずかったのだろうと首をひねるも答えは出ない。ちょっとつんけんしているアンナさんは構わず説教交じりで言葉を続ける。
「今日村長さんの話を聞いて分かりました。シンイチさんが誰にでもかわいいとかきれいだとか言いふらすってことを」
「え? いや、その、それは仕方なくないですか?」
「え? いえ、それのなにが仕方ないことですか?」
コミュニケーション手段での認識の齟齬が発生して、僕とアンナさんは二人してきょとんとした顔で見合わせる。
――私もアンナちゃんと同意見なんだけど、何が仕方ないの? 普通に接すればいいじゃない。
――いや、だって普通の接し方っていわれても……。
褒めておだてる。
サロメ様と接して培ったそれしか、女の人に対するコミュニケーション手段を知らないもん、僕。
ただそれをサロメ様にだったらともかく、アンナさんに言うのはまずい。それくらいはさすがに学習してる。
「なんにしても、ダメですよ。神官服を着た方が女の人を口説くような真似をしたら、教会の評判にも関わります」
「口説く……? ああっ、なるほど!」
聞き慣れない単語が耳に入って、ようやくアンナさんが憂慮していたことに思い至った。
なるほどなるほど。やっとわかった。真面目で清廉なアンナさんは、ハーレム野郎が許せないという信条を持っていたんだ。女の子を無作為に褒めるという僕の行為が、ハーレム野郎の行動原理に似通っているように見えたのだろう。
でも大丈夫。あれはイケメンだから許されるのだ。
「そういうことなら安心してください、アンナさん。僕、ハーレム野郎じゃないんで、女の子をちょっとほめたくらいでモテるとかそういうイベントはないです」
「ごめんなさい。さっぱり意味が分かりません」
僕みたいな人間の底辺がモテるとかそういう事態になることはない。小日向君が結成したハーレム野郎はぶっ殺同盟に入ってるしね。僻みと妬みでできたすごくくだらない同盟だけど、理念にはとても共感できたので参加してたのだ。
ちなみに同盟の抹殺リストナンバーワンは白鳥君だったんだけど――
――あの子、もう結婚したじゃない。信一と違って、地に足を付いた生活をしてるっていう話よね。さすがだわ。
――そうなんですよねぇ。
クラス一のカリスマが元の世界に帰ることを諦め、真っ先に結婚という進路を決めたというのは衝撃的なニュースだった。あのモテ男様がハーレムを作るとかそういうことはせずに、誠実に一人の女の子と結ばれたのだ。たぶん一生結婚できない僕なんかとは、格が違うと思い知らされたものだ。
そうしてクラスから一番最初に一抜けし、クラスの女子が何人か泣いた。異世界で白鳥君と一緒にクラスをまとめようと奔走しており、実は彼のことが好きだったらしい委員長もこっそり落ち込んでいた。けど、委員長にはロクに落ち込んでいる暇も与えられなかった。リーダーだった白鳥君がいなくなった後のクラスは分裂が表面化して本格的になり、その調整を押し付けられたおかげで委員長の負担が増大した。失恋の時も泣かなかった委員長が時々泣いてた。それでも真面目な委員長は頑張っていたがクラスの学級崩壊は歯止めがかからず、一応は僕たちの保護責任者であったウィー・ファンは、クラスの分裂を見て面白がり煽ってた。委員長が鬱になった。どのくらいの深度の鬱だったかと言えばどん底もどん底で、サロメ様の声を聞いちゃったくらいまずい症状だった。
とても悲しい出来事だったと思う。
「シンイチさーん? 遠い目をしてどうしたんですかー? ねえ、ほんとうに大丈夫ですかシンイチさん? 今日はいつにもましておかしいですよー?」
人生、何が原因でどうなるか分からない。
そのことをしみじみ感じた一連の出来事を思い出す僕の目の前で、アンナさんがぶんぶんと手を振って僕の正気を確かめていた。
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