信一に空気が読めないって言われた!

 異世界から来た勇者ことただの高校生だった僕たち二十四人は、この三年でほとんど離散したと言っていい。

 市井におりて自活を始めたもの、冒険者になることにしたもの、神官となることを決意したもの、あるいは早くも伴侶を見つけて穏やかな生涯を過ごすことを選択したもの。

 この異世界に召喚されて二年目を迎えた時点で、クラスメイトの半分近くは異世界の生活に折り合いをつけて自分の人生を選択し、それに向かって歩んでいた。二年経ってもなお自分の方針を決められていなかった残りの半分が、魔王討伐だなんて旅に出かけることになったのだ。

 魔王討伐の旅。

 あるいは、僕が『神に最も近い男』だなんて呼ばれるようになった原因でもある冒険は、世間では英雄譚なんかに分類されてしまっているものだけど泥臭いものだった。困難の数々で仲間割れを繰り返し、もともとあんまり仲の良くなかったメンバーが真っ二つどころか四分割ぐらいになった挙句、結局魔王のところまでたどり着いたのは五人に満たなかったという楽しい楽しい旅だった。

 旅の終着点となった魔王のところまでたどり着いたのは、合計で五人だ。


 中央聖教枢機卿第三席『信仰の鎖』ウィー・ファン。

 『四元』の加護を受けた委員長『マルチウィザード』藤堂志貴。

 『友愛』の加護を受けたロリっ子肉食獣の『空騎士』飼葉貴樹。

 『生命』の加護を受けたチャラ男の『生命の御子』小日向裕也。

 そして『運命』の加護を受けた僕『神に最も近い男』神坂信一。


 異世界からの勇者で最終的に残ったのはたったの四人。しかもメンバーに一人として直接戦闘向きの加護持ちがいなかったというのはもはや笑い話の領域だった。

 しかも委員長はサポート要員だったので、魔王の前まで行った異世界人は三人だ。その三人とウィー・ファンで魔王を撃退して魔族を退けた後、僕たちは完全に各々の道を歩むことになった。

 委員長は神官位を返上して教会とは縁を切って好きに生きると言っていた。小日向君はやり残したことがあると言って教会に在籍することを決めた。貴樹ちゃんだけはどうするのか聞きそびれてしまったけど、あのロリっ子なら僕よりよっぽどたくましく生きていけるだろう。その他、聖地に残っていた数少ないクラスメイトも全員が自分の進路を決め、各々の人生を歩み始めた。

 それは折よくこの世界に来て三年が経過した頃で、もし異世界に召喚なんてされていなければ卒業を迎えていたはずの時期だ。

 そして僕はと言えば、やっぱりというなんというか……逃げ出した。

 中央聖教の聖地。

 本来僕は今もそこにいるはずだった。

 サロメ様の声が、つまりは『運命』の神の託宣を常に聞ける僕は中央聖教の聖地で一生を過ごすはずだった。そうあるように乞われていた。だからこそ箔付けの意味も込めて『神に最も近い男』なんていう称号を与えられていたのだ。

 だから逃げ出した。

 頭のおかしい枢機卿こと『信仰の鎖』ウィー・ファンを筆頭にした狂信者に囲まれて生活するなんてまっぴらごめんだったし、神輿に担がれるような真似も嫌だったからだ。

 それに僕は決めたのだ。

 サロメ様を信仰しない、と。

 その選択は、魔王討伐の旅があったこそ選べたものだ。教会に保護されてからしばらくしてからと魔王撃退の旅が終わる僕は、基本的に恥ばかりな僕の人生の中でもまっくろくろすけな黒歴史だ。思い出したくもない。

 たぶん、教会では僕を捜索しているだろう。仮にも『神に最も近い男』だなんて持ち上げられた僕に逃げられたなんて大っぴらに公表するのは外聞が悪いから、秘密裏に探しているようでアンナさんがそのことを知らなかったのは幸いだ。

 僕は根っからの逃亡者だ。

 それは日本で生きていた頃から変わらない。この異世界で過ごしても逃げ続けている。いつまで逃げ続けられるかは分からないけれども、死ぬまでは逃げ続けるつもりで逃げているのだ。

 そうして逃げてたどり着いたこの村に、僕はちょっと長く滞在しすぎたのかもしれない。


「偵察かぁ……嫌だなぁ……」


 今日も今日とて僕は働きに出されていた。

 ごつごつとしたむき出しの不整地を歩き、足元にある石ころをけっとばす。蹴飛ばされた石は、ころころと斜面を転がり下に落ちていった。

 もちろん八つ当たりだが、そんなことで気は晴れなかった。

 サロメ様だ。やっぱりサロメ様に難癖をつけてストレスを解消しないといけない。ストレス発散に最適なのはやっぱりサロメ様しかいないのだ。


「ダメですよ、シンイチさん。下に人がいたら危ないです」

「僕たち以外に人はいないと思うんです。だからいいと思います」

「それでもです。そういう行為がクセにしないために自戒するんです。人がいるいないの問題じゃないんですよ?」

「むう……」


 僕の子供っぽい行為をたしなめるアンナさんの声に、ついつい唇を尖らせてしまう。


 ――そこで素直に納得できないのが、子供っぽいっていうことなのよ。


 世界で一番子供っぽいサロメ様がなんか言っていたが、アンナさんの真似をして僕にお説教し用だなんて千年早い。


 ――え? たったの千年なの? うふふ。珍しく優しいわね、信一。

 ――……あ、はい。


 ちょっと神様の時間感覚を見誤っていた。


 ――でもやっぱり、他の子が怪我するような真似をしちゃダメよ。

 ――はいはい、そうですね。僕が悪かったです。でもあんまり調子に乗らないでくださいね。サロメ様が調子に乗るとロクなことが起こらないんで。

 ――な、なによぅ……。私、加護以外では世界に不干渉なのよ?


 不干渉でも何か厄介事を引き起こすのがサロメ様クオリティなのだ。

 いま僕は、アンナさんと連れ立ってゴブリンの群れがいると思われる山を登っている。

 やっていることは、魔物の状況の把握調査だ。どのくらいの魔物の群れが山にいるのか探ろうというのが目的である。大切なことだ。自分たちの生活圏内にどれだけの脅威が存在するのか確認するのはとてもとても大切なことである。

 だけど、めんどくさい。

 なぜ僕がこんなことをしなくてはいけないのだろうか。仮にも魔王撃退の勇者であり『神に最も近い男』とまで呼ばれた僕が、こんな山狩りのようなことに駆り出されているのだ。不満だって漏れるというものだ。


 ――あの聖地っていうところにいれば、楽はできていたと思うわよ。

 ――まっぴらごめんです。


 それだけは今をもって嫌だと断言できるのが救いだろうか。

 サロメ様の代弁者としてあんなところで過ごせなんて、死んだほうがまだましだ。いや、死にたくないから逃げ出したんだけど。


「魔物が出たって言っても、いざとなれば逃げればいいんだし、そんなに焦ることないと思うんです。もっとゆっくりまったりしましょうよ」

「まあ、旅をしているシンイチさんはそうかもしれませんけど……村の人たちはそうもいかないんです。手遅れになる前に、早め早めに手を打たないといけません」


 不満たらたらの僕の言葉に、一緒に歩いているアンナさんはちょっと微妙そうな顔をしている。

 ちなみに僕の装備はクワのままだ。というか、手になじんできた。まるで最初から僕の手に収まるべきだというかのようなフィット具合である。そろそろ農家への転向も真剣に検討してもいい。ああ、でも農家だと納税の義務とかあるからなぁ……それに比べて、神官様って世界的に特権階級だからいろいろ優遇されてるし、楽は楽なんだよね……悩ましい。


「私たちと違って、村の人たちはここで生まれ育ったんです。簡単に村を捨てるなんて判断は、押し付けられませんよ」

「そういうものですか? 村のみなさん、命より大切なものを持ってるんですね。すごいと思います」

「……そういう皮肉を言う信一さんは嫌いです」

「ぅえぇ!?」


 まさかの発言に、今日一番のショックに襲われた。

 ま、待ってほしい。アンナさんに嫌われたら死にたくなってしまう。心の支えがなくなる。

 つん、とそっぽを向いたアンナさんに、僕は慌てて釈明する。


「ご、ごめんなさい! 冗談ですっ。僕だって、自分の命なんてせいぜい三番目くらいにしか大切にしてませんから!」

「そ、それはそれでどうかと思いますけど……」


 ちょっと引いてるアンナさんに嫌われないために、何とかやる気をひねり出さなければならない。

 昨日の話し合いで結論が出なかったので直接調査をしようということになったのだが、僕とアンナさんがいれば不意をつかれたってゴブリン程度に負けることはない。そのくらいは自信を持って言い切れる。言ってしまえば、僕たち二人があの村の最高戦力なのだ。

 だからだらだらしてても危ない事なんてないんだけれども、そんな情けない姿をさらしてアンナさんに嫌われてしまったら死にたくなる。やる気を出すために、ポジティブになるのだ。何かプラス要素を見つけ出せ。そうだ。今のこの状況で、何かテンションが上がる要素を見つけ出すんだ。

 この山の中……うん。場所でテンション挙げるのは無理だ。なにも楽しい要素がない。ええと、他には登山中……これも無理だ。僕はインドア派だし。あと、横にいるのはアンナさんで、二人きりでお出かけ……?

 あ、やる気出て来た。


「アンナさん! 僕、今日はものすごく頑張りますね!」

「は? そ、そうですか? やる気を出してくれたのなら嬉しいんですけど……また、どうして突然……?」


 困惑しているアンナさんをよそに、僕はテンションをがんがん上げていく。

 そっか。これアンナさんとのデートだったんだ。やった。女の子と二人きりでお出かけとか、これ、僕の人生初めてのデートじゃないのかな。うん。たぶんそうだ。デートだって言いきってしまおう。これは僕にとって人生で初めてのデートなのだ。貴樹ちゃんとはよく二人きりで出かけてたけど、友達だからノーカウントだしね!

 そっかぁ。二人きりでお出かけかぁ。女の子と二人きり――


 ――え? 私もいるわよ?

 ――僕のやる気を突き落して何が楽しいんですかサロメ様は!


 脳内で響いた横やりに、力一杯抗議する。


 ――えぇ!? ちょ、ちょっと待って! 私は、いつでも信一を見守っているわって言うことを伝えたかっただけなのよ? ほら、感動的な言葉でしょう? それでどうしてそんなことになるの!?

 ――感動的な言葉も解きと場所によっては台無しになるんですっ。空気が読めるようになるまで黙っててください。

 ――信一に空気が読めないって言われた! さすがにショックよそれは!

 ――どーいう意味ですかそれ!?


 サロメ様の気遣いが一ミリも見当たらない一言に、僕は力いっぱい抗議の声をあげた。

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