この村から追放しよう
黙々と山を下りていく。
そのペースに緩みはない。ただただ黙って下山していく雰囲気は、上りの行程とは打って変わって重苦しいものだった。腕の傷はアンナさんに治療してもらっていた。『慈悲』の加護を持っている人がいると、こういう時とても助かる。
僕とアンナさんは、お互い沈黙を守ったまま歩いていく。何せあのサロメ様ですら黙り込んでいるくらいだから、ことの重大さが分かるってもんだろう。
まあどうせ何か話しても空回りするだけなので、ぜひともこのまま黙っていて欲しい。
――じゃあ何か話そうかしら。
なんの嫌がらせかそんなことを呟いたサロメ様には気がつかなかったふりをしておく。
――何か話すわ。絶対に何か話してこの場を盛り上げてみせるわ……。
ぶつぶつと何か言ってるが、無視と言ったら無視だ。もし今答えたら、たぶん僕は何かしらの厄介事に見舞われる。だから、思考までも黙々として山を下りていく。
オークに勝った余韻なんてない。それも当然だ。まだ山頂付近で、オーク以上の魔物が十匹単位で食い合いをしていることを僕が告げたのだ。そんな状況で、オークを一匹倒したぐらいで喜べるほどアンナさんは単純じゃなかった。
しかもアンナさんにとっては、初めて間近に参戦した命がけの戦いになったのだ。精神的に大きく消耗しているだろう。僕も初めての実践の後は、怖くてろくすっぽ眠れなかった。あの時は……そうだった。貴樹ちゃんを抱き枕代わりにして寝たんだ。あったかくて抱き心地が良かった。そして貴樹ちゃんの力が強くてあばらが折れるかと思った。懐かしい。
――信一って女の子が苦手苦手って言ってるけど、けっこう大胆なこともしてるわよね。いろいろと思い出すと、本当に女の子のこと苦手なのかどうかも怪しいくらいに。
――は? ……あ。ちっ!
――え? いま何で舌打ちしたの?
しみじみと昔を思い出していたら、サロメ様がすごくおかしなことを言い始めた。うっかり反応してしまった自分の迂闊さを呪いつつも、仕方ない。こうなれば最悪また魔物とエンカウントする覚悟まで決めてサロメ様との会話に応える。
――まったく……なにバカなこと言ってるんですか? 僕と貴樹ちゃんは、友達なんですよ?
――ねえ。だからなんでさっき舌打ちしたの? というか、別に私と話したからって魔物の子と合う確率が上がるわけじゃないのよ?
無視しようとしてしきれなかったからだからだけど、それはともかくサロメ様はもしかしてバカなのだろうか。
――僕と貴樹ちゃんは親友ですよ? 友達に男女の違いなんて関係ないんです。苦手意識なんてあるわけないじゃないですか。
あの時は僕にとっても貴樹ちゃんにとっても初陣と言っていい戦いの直後だった。人肌恋しくなったのは普通のことだし、貴樹ちゃんにとって引っ付きやすい相手が僕だったというだけだ。
なにせあの頃の僕は、貴樹ちゃんの加護の助けがなければ生きていけないくらいに弱かった。四六時中ひっついて戦っていたおかげで、僕の背中に引っ付いていた貴樹ちゃんが『ミス・ランドセル』なんて呼ばれていたくらいなのだ。僕が貴樹ちゃんを背中におぶっているのが、ランドセルを背負っているのによく似ていたかららしい。ちなみに小日向君の命名だ。僕の親友に変なあだ名をつけたあいつだけは、いつかぶっ殺そうと思っている。
――えー……そういうものかしら。よく『生命』の加護をもらった子が言ってたじゃない。『フリーの男女間で友情は成立しない』って。
――小日向君の言葉は全部忘れてください。
サロメ様がチャラ男菌に感染したらことなので、言葉でさっさと消毒しておく。
――サロメ様には友達がいないので分からないかもしれないですけどね、とっても仲が良くなると男女の違いなんて些細なものになるんです。
――い、いるわぉ!? 私、ちゃんと友達いるからね! イリアとかアガサとかとは、とっても仲が良いのよ!
――そうですか。
ものすごくどうでもいいことに『慈悲』の神イリア様と『狩猟』の神アガサ様の名前を持ち出したサロメ様に、僕は慈愛の念を送る。
――でも、人間の友達はいないですよね。
――うっ。
たぶんこの世界のどの人間よりどの神様よりも多くの人類と接しながらも一人として対等な人間の友達ができていないサロメ様が言葉に詰まった。
――僕よりコミュニケーションスキルが高いとか言いつつも、僕より人間の友達少ないとか、どうなってるんですかサロメ様。
――そ、それは、私、話せる時間が短いし……
――わぁ! 言い訳が始まった! ぜひ聞かせてください! 僕より友達ができないっていう驚異の状況に対する言いわ……
「……シンイチさん」
「……へ? あ、はい! なんですか?」
サロメ様をからかって遊んでいたせいで、どんより落ち込んだアンナさんへの返答がちょっと遅れてしまった。
ちっ。やっぱりサロメ様のせいでまた僕の失点が増えてしまった。
――ぅぅう……信一が……またそうやってなんでも私のせいにしようとして……。
「シンイチさんは戦い慣れてるんですね。……私なんかよりずっと」
「そりゃ、まあそうですね」
さっきの戦いで、ほとんど足手まといだったからだろうか。何か恨み言を呟いてるサロメ様よりなお、アンナさんが暗い雰囲気になっている。
「戦い慣れてはいますよ。それだけしかやってないですし」
それは否定する気も起らないほどその通りのことだった。
ここに来た当初ならばともかく、僕は無駄に厳しい場所でばかり戦ってきた。
その旅を潜り抜けてこれたのは周りのみんなが強かったからだけど、僕だって何にもしてこなかったというわけでもない。初めの頃は周りに頼って寄生して、次は友達になった貴樹ちゃんの加護と助力をもらって戦って、最後の辺りは……まあ、最後はいいや。
僕は異世界に来てから多くの戦いを経験した。それは、ただそれだけのことだ。戦えなかったからって、アンナさんが責任を感じる様な事ではない。
「山頂付近で、オーク以上の魔物が十匹以上、ですか」
「そうですね。バカスカとまぁ、派手に暴れてました」
「……何が起こってるんですか?」
アンナさんの言葉に力はこもっていない。それも無理はないだろう。
人間の生活圏にこれほどの魔物が発生するのは異常事態だ。あるいは人の多い都市部付近ならあり得ない事態でもないが、そこら辺に冒険者ギルドの支部が必ずといっていいほどあるので対処に困るようなことにはならない。
それでも、どんな都市部の近くだろうと魔物が同族争いをするようなことは、めったにない。
「あれは魔物を食い合わせることによって、強制的に進化させる手法です」
「そ、そんなこと……誰がそんなことをするんですかっ。そもそも魔物を人為的に動かすなんてこと、不可能じゃ……!」
「はい。人間だったらしませんし、できません」
そもそも魔物は気性こそ荒いが同族では争わない。生まれながらにして人間に敵意を抱く彼らが人間になつくこともない。協調も調教も絶対的に不可能だ。
だが、そんな魔物に上から絶対的な命令を下せる存在がある。
「知性ある魔物……魔人種まで至った魔族が命令を出せば、同族食いすらしますよ、魔物って」
あっけらかんと言い放った僕に、アンナさんが息を飲む。
「ま、じん……」
あるいは、人類の上位種とまで呼ばれる魔物の上位的存在。
生まれながらに知恵と知性を持ち、同族間で協力することを知り、寿命を持たずに生存し、魔力から発生する神秘の生き物。
魔族領と呼ばれるほどの領土を人類から守り抜いて存続させている、人類の天敵だ。
「この間、魔人が出たって話をしたじゃないですか。たぶんそいつが、この辺り一帯の広範囲で魔物をまとめ上げて、同族争いを命じたんだと思います」
「なんで、そんなのがこんな辺鄙な村に……理由は、何かあるんですか?」
「理由?」
神官ならば知らないはずもないほど基本的なことをアンナさんが聞いてきたため、思わず語尾に疑問符を付けてしまった。
魔物は、ただ本能で人を襲う。生まれた時から人類に対する憎悪と敵愾心に満ちている。
けれども魔人は違う。
彼らは本能で人を襲い、理性で人を憎む。
知性があっても魔人と人類は共存できない。逆に彼らの理性は人を拒む。
共存する方法は一つだけあるが、たぶん、この世界の人類にはなしえない方法だ。
「たぶん、理由なんてないと思います」
「理由がないって、そんな……」
「魔人なんてそんなもんです」
そこに神を信仰する人間がいるというだけで、彼らは害意を持つ。その根本は魔物と変わらないのだ。おかげさまで神官の僕は魔人からめっちゃ嫌われている。出会ったら即座に殺しにかかられるだろうというくらいは嫌われている。
魔物を取りまとめて同族争いを命じた魔人自体は、もう別の場所にいるはずだ。奴らにとって、こんな辺鄙な村を襲うなんて人類に対する嫌がらせでしかない。
彼らは、あるいは人間と手を組むこともあるだろう。知性があるのだから、策を弄することもある。
けれども、それでも決して、彼らは聖職者とは通じ合わない。絶対に話が合うことはない。彼らにとって最も憎むべきものは人類ですらないのだ。
彼らは、この世界から神の痕跡を消し去ろうとしている。
彼らにとって真に許されないのは、自分の生み親とすらいえる神々なのだ。
とはいえ、ありがたいことに魔人の痕跡があったといっても、事態はそこまで深刻ではない。
「まあ、群れの規模も分かりましたし、いいんじゃないですか? 早期発見っていうには遅かったですけど、手遅れってほどでもないです」
あの同族食いの規模だと、近日中に間違いなくオーガあたりが生まれる。逆を言えばオーガ以上が生まれることはないが、どっちにしろこんな田舎ではどうにもならない魔物だ。
「あの、一応確認しておきたいんですけど……シンイチさんでも、どうにもなりませんか?」
「僕でどうにかなるように思えます?」
にへらと笑って答えれば、アンナさんは乾いた笑い声をこぼした。
「あはは……。いいえ、思いません」
「正解です」
普通の司祭位の神官だったら、どうにでもできただろう。
でも、僕は悪い意味で普通の司祭ではない。サロメ様の声を聞けるからという理由で神官位を押し付けられた、クラスで最弱の勇者だ。
「どうにもならないですし、逃げましょうよ。見た感じ、三日くらいはまだ殺し合いを続けるはずです。その間に逃げましょう。じゃないと、死んじゃいます」
逃げればいいのだ、逃げれば。そうすれば、別の誰かがあの魔物を何とかしてくれる。この村の誰もが死ぬこともない。もちろん僕だって死ぬ気はないからハッピーエンドだ。さっさと逃げようそうしよう。
「そう、ですね……」
軽々しい僕の提案に小さく呟いたアンナさんは、どこか思いつめているようにも見えた。
山を下りた後、アンナさんは改めて村長さんとお話をすることにしたらしい。
僕はその話し合いが終わるまで、時間をつぶしがてらパトリシアちゃんと遊んでいた。僕が八歳児と遊ぶだなんて、それが日本だったら通報されないほうがおかしいような事案だけど、ここは異世界だ。何の問題もない。
そしてパトリシアちゃんは僕の尊厳を奪って四足歩行を強要していた。とても楽しそうだった。お馬さんごっこらしい。
やっぱりこの子は将来立派な女王様になる。そう確信しながら僕がパッカパッカと頑張って馬の真似事をしているうちに、アンナさんが戻ってきてくれて、ようやく僕は二足歩行を許された。
「話し合いはどうだったんですか?」
また遊ぼうねと言ってくれたパトリシアちゃんに手を振って見送りつつ、僕はアンナさんに尋ねた。
「ええ。大切なことが決まりました」
話し合いは、ちゃんと決着が付いたらしい。
まあ村長さんもバカじゃあるまいし、村のすぐそばの山に中位の魔物が十匹以上もいるなんて聞いたらこの村から避難することにするだろう。別に村を捨てるわけでもなく、魔物が討伐されるまでの一時避難だ。長くても一ヶ月村を空けるだけですむ。
ちょうどいい区切りだ。僕も村から出て、改めてふらふらし始めることにしよう。
――うぅ……。信一が、また地に足つかない生活に戻るのね。
サロメ様が、まるでこの村にいた間は僕が地に足を付いた生活をしていたかのような愚痴を漏らす。
「シンイチさん。その話し合いの結果をあなたに伝えなければいけません」
どうしようかなぁとぼんや先のことを考えていると、なぜかとても真剣な表情のアンナさんが僕に宣告する。
「はい? なんですか?」
村の放棄なんて、よそ者の僕にわざわざ言い聞かすようなことでもないのに、なんでこんな真面目な顔をしているのだろうか。
「シンイチさんを、この村から追放しようと結論に至りました」
「……え」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
――信一……とうとう、アンナちゃんにも愛想をつかされて……。
気の毒そうにつぶやいたサロメ様の声でようやく理解したけど、やっぱり何を言われたか分からなかった。
「……え?」
二度目の僕の疑問符が、虚しく響いて消えた。
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