山奥に埋めてきました


 アンナさんは素晴らしい人だ。

 僕が旅を始めて一か月。ろくすっぽ準備もしないまま旅立ったせいで食糧もお金も底をつき、ついでに道に迷って遭難し、とうとう山の中で埋まって死のうかどうか悩んでいた僕を拾ってくれたのもアンナさんである。

 この異世界に来てから、僕はよくよく偉い人と会話をする機会を得ている。国王様とかお貴族様とか枢機卿とか教皇様とかにお目通りがかない、果ては自称神様とかにすら会話ができる僕だけど


 ――自称!? いま自称って言った!?


 いまさも心外ですとでもいいげに感嘆符と疑問符を語尾に付けた自称女神様で他称何の役にも立たない女神様であるサロメ様とすらお気軽に会話をできる僕だけれども、そのすべてを差し置いてアンナさんの篤実ぶりは群を抜いている。

 僕は他人に救われた経験が少ない。

 なぜならコミュ障気味の僕は他人と関わることをしなかったからだ。関わらず何もしなければ何かをされることなんてないと勘違いをしていた。僕はそんな消極的クズ代表みたいな人間だったから、心を救われた経験は本当に少ないのだ。

 アンナさんと出会う寸前の頃の僕。死にそうになるほど追い詰められていたあの時、僕はアンナさんによって救済された。僕にとってみれば、アンナさんはこの世で目視できる唯一神だと言っても過言ではない。

 そして今日また、僕はアンナさんに救われた。恩はますます重なるばかりで、このままだと僕はアンナさんへのご恩を抱えて圧死する羽目になりそうだ。

 そんな僕の圧倒的恩人たるアンナさんだけれども、いつだって優しいというわけではない。


「それで、シンイチさん」


 ゆっくりと言葉を紡いだアンナさんが、いつもは優しい碧眼を精一杯尖らせて僕を見下ろす。僕はその強烈な視線を真っ正面から受ける勇気もなく、ぷるぷる震えて早くこの時間が終わらないかなとサロメ様ではないどこかの神様に祈っていた。


「改めてうかがいますけれども、何であんなことになっていたんですか?」


 僕はいま、圧倒的質感を持った女神様ことアンナさんにお説教されていた。


「あ、あんなことっていうのはどんなことでせうか?」

「なんでゴブリンに囲まれて殺されそうのなっていたか、ということです」


 場を和ませようとしてちょっと語尾をふざけてみたんだけど、完全にノーリクションだった。

 怖い。

 アンナさんがご機嫌ななめを通り越してお怒り状態だ。いまの剣幕は臆病すぎる僕の心を圧迫する。

 原因の結論だけ言えば僕が弱かったからですの一言で終わるんだけど、ゴブリン討伐に出かけた前後を考えるとそれだけで終わらせられない失点が僕にはあるのだ。


「え、いや、その……」

「『その……』何ですか?」

「あ、ぅ」


 腰に手を当て、ぐいっと怖い顔を正座した僕に近づけてすごんできた彼女の重圧に耐えられず、そっと視線を地面に落とす。

 逃げた視線の先には年季の入った石畳があった。冷たい。とても冷たいその床の上で、僕は正座を強要されていた。

 ここは村の教会の中だ。

 三か月前に始めた旅の途中で行き倒れた果てにアンナさんに救われた僕は、この教会に住まわせてもらっている。

 僕たち二十四人の異世界人は、いまは存在しない国によって勇者として召喚されたのちに、いろいろあって中央聖教に保護された。中央聖教というのはサロメ様も含めた二十四柱の神様を崇めているこの世界最大の組織だ。そこに保護された結果なりゆきで神官位も貰っているから、僕が教会にいるのはそこまでおかしな話ではない。


「シンイチさん。わたしは別に難しいことを聞いてるわけではありません。シンイチさんが答えられる、シンイチさん自身のことを聞いているに過ぎないんですよ?」


 口調こそまだ穏やかさを保っているが、アンナさんの握るメイスは彼女の苛立ちを表すように柄の部分で地面をこんこんと小刻みに叩いている。

 あのメイスこそアンナの扱う武器だ。今日僕を助けてくれた時に振るわれた武器でもあるけれど、いまはそのメイスが恐ろしい。なにせあれはゴブリンをぐちゃってしたメイスだ。ちゃんと洗って片づけて欲しんだけど、とてもそれを頼める雰囲気ではなかった。


「それなのにどうしたんですか、黙り込んで。『その……』の続きは何ですか?」

「……うぅ」


 アンナさんの催促に、ぷるぷるとうつむいたまま何にも言えなくなる。

 ダメだ。いつものやんわりなアンナさんならともかく、いまのアンナさんはちょっとトゲトゲしていて怖すぎる。コミュ障の僕にはまだちゃんと手に触れる女神様はレベルが高すぎた。空気のように手触りが軽やかでお薄っぺらい自意識しか持っていないサロメ様でもっと経験を積むべきだった。コミュニケーションのレベルがRPGのスライムなサロメ様をもっともっと恐れずイジメ倒して経験値を積みレベルをあげるべきだった。そうすれば、こんな状況でも何とかできたのかもしれない。


「私はシンイチさんが『僕ってオーガーも退治したことがあるんですよ? ゴブリンぐらいなら楽勝ですっ。お任せあれ!』って言ったから安心して送り出したんですよ。なのにあの様は何ですか? もしかして嘘を吐いたんですか?」

「えっと……嘘じゃ、ないんですけど……」


 しどろもどろになりながら、何とか言葉を絞り出す。

 だって、僕は嘘なんてついてない。ゴブリンくらいだったら、僕でも楽勝だった。その言葉には一ミリだって嘘は含まれていない。ただ見栄も含めた宣言の中に、ゴブリンの内訳が入ってなかっただけだ。

 具体的に言うなら、ゴブリン一匹ぐらいならいまの僕でも楽勝だった。


「そのあの……と、とりあえず、嘘はついてないんです!」

「へぇー?」


 がつん、とひときわ大きくメイスの柄が地面にたたかれる。アンナさんの青い瞳が鋭く細められ、とがった視線が僕の見栄をはがそうと突き刺さる。


「嘘じゃないんですか。じゃあ、ゴブリン五匹から必死に逃げてたシンイチさんはオーガーに勝てるんですか? オーガーと言えば、魔物の中でも知性の萌芽が始め、魔人に分類されるモンスターですよ? ゴブリン百匹を薙ぎ払えほどの魔物ですよ? それを? シンイチさんが? 退治をしたことが? ある? と?」

「そ、そのぅ……ですね、アンナさん。嘘じゃなんです、はい。嘘では」


 アンナさんの鋭い追求に冷や汗をダラダラ流しながらバカのひとつ覚えみたいな言い訳を繰り返す。

 オーガー? うん。退治したことあるよ。チートの加護をもらったクラスメイトが瞬殺してた。そのグループにいたんだから、僕だってオーガー殺しの称号のおこぼれをもらったっていいと思うんだ。だってあれだよ? この世界の風習だけど、オーガーを殺したパーティーって全員がオーガー殺しの称号を授与されるから、僕の証言に嘘偽りはなく間違ったことなんて何一つ言ってません。


 ――ねえサロメ様。そうですよね。

 ――信一が……信一が私のこと自称って……しかもその前には幻聴って……。


 さっきイジメすぎたせいか、サロメ様が思ったよりもいじけていた。

 どうりでサロメ様の割にはやけに静かだと思った。おしゃべり好きで世話好きのくせに常に空回っているサロメ様がこんなにも黙っているだなんておかしいなとは思ったのだ。


 ――ひどいわ……私、信一がこの世界に来た時からずっと傍にいるのに……一番長く一緒にいるのに、なんでいつもそんな風に言うの?

 ――何ですかサロメ様。今からそんな長く一緒にいるのに、なんの役に立ててないっていう懺悔でもするつもりですか? すごく殊勝な態度だと思うので、ぜひ聞かせてください。

 ――うううう!


 愚痴を聞かせるならともかく聞かさられる気は毛頭ないのでサロメ様を泣かせて黙らせる。

 しかしこれだとアンナさんの説教を神妙に聞くふりしてサロメ様とのお話で時間をつぶそうという目論見がうまくいかない。


「嘘じゃないなら何ですか? ……シンイチさん? 聞いてますかっ?」

「えっ。あ、はい」


 しまった。よく聞いてなかった。しかもあらぶった語尾から察するに、聞いていたなかったことに気が付かれている可能性が大だ。くそっ。サロメ様が話しかけてくるからだ。


 ――私のせいじゃないわよ!? 集中力がない信一が悪いのよ?


 往生際悪く責任転嫁してきたが、こういう時はどうすればいいかの対処は心得ている。簡単だ。

 全力で謝ればいいのだ。


「ごめんなさいすいません大変申し訳ございません、よく聞いてませんでした。それにオーガーを倒せるとか途方もない見栄を張りました。いまの僕なんてせいぜいゴブリン三匹相手が限界なんです。自分を大きく見せたがる、男の悲しいサガなんです。女性の大らかさで許してくれると、とっても助かります!」

「素直でよろしいですねぇ!」


 僕の誠意ある謝罪は、なぜかアンナさんの心を逆なでしてしまったようだ。

 怒りのお言葉と同時に、素早く、しかし十全にアンナさんが魔力強化を行使する。信仰により接続された魔力により、アンナさんの存在力が跳ね上がるのを感じた。

 存在を強化する、魔力強化。信仰を捧げた信者のみに与えられる神の恵みが行使され、アンナさんの細腕では到底扱えなさそうなメイスは軽々と持ち上げらる。

 その振り下ろしは武芸の修練を積んだもの特有の着実な動きだった。

 柄の部分ではなく、さっきゴブリンを一匹ぐちゃってした鈍器の部分が勢いよく床にたたきつけられた。


 ――ひぅ!?


 教会の床が揺れ、僕の恐怖心とサロメ様のちっちゃい心を大いに刺激してくれた。僕がなんで悲鳴を上げなかったかって? 真横を通り過ぎたメイスが怖すぎて声も出なかったからです、はい。

 メイスを叩きつけた石畳みが割れていないのは、アンナさんが魔力強化で無意識のうちに床も強化したからだろう。足場の強化をしないと足元が崩れるので、床を強化するのは基本なのだ。

 ただ、それでも収まらなかった衝撃が教会の石畳を揺らして僕の膝をびりびり揺らしてくる。

 いつもなら暴力なんて決して振るわないアンナさんがここまでしたという事実が彼女の怒り具合を明示していた。


「シンイチさん。素直さというものは美徳です」

「はい。アンナさんの言う通りでございます」


 床にたたきつけたメイスをゆっくりと持ち上げながら話すアンナさんに、僕もかしこまって返事をする。


「それを踏まえた上で言います。シンイチさんは素直さを発揮する場所履き違えてます。私だって怒るときは怒るんですよ?」

「はい。すいません。アンナさんのおっしゃる通りでございます」

「そうですか。謝罪の言葉が出る程度に自覚があるなら何よりです。……で? シンイチさんは自分がどこで素直さをはき違えたのかちゃんと分かって謝ったんですよね? どこですか?」

「…………あ、えと、その、ですね」


 僕がこの世界で出会った中でも随一に優しいアンナさんの堪忍袋もとうとう限界のようだ。


「……ふふっ。そう、ですか」


 笑い声を漏らしたのが、僕のことを許してくれたからではないということぐらいはさすがの僕でも理解できる。


「ふふ、ふふふっ、まったくシンイチさんは……ふふふふふ」


 いつもは優しい人こそ怒らせたら手に負えないというのはどんな世界でも共通なようで、いまのアンナさんは超怖い。ゴブリンに囲まれた時とどっちが怖いかと言われたら迷ってしまうくらい怖かった。


「うふふふ……シンイチさん。ちなみに武器はどうしたんですか? 初めて会った時には持ってましたよね? 魔物討伐に素手って何ですか? シンイチさんは実は拳法でも極めた達人だったんですか?」

「あの、アンナさん。もし僕がそんな風に見えるなら、アンナさんが持っている『慈悲』の加護で自分の目の治療をした方がいいですよ!」

「『慈悲』の加護はそんなくだらないことに使うものではありませんっ。第一、それが分かってるなら何で武器を持っていかなかったんですかぁ!」


 僕の気づかいに、アンナさんは白い頬を先ほどよりも真っ赤にして怒らせていた。


 僕の気づかいに、アンナさんは白い頬を先ほどよりも真っ赤にして怒らせていた。


 ――ねえ信一。あなたわざと煽ってないわよね。

 ――はい? わざとなわけないじゃないですか。


 しくしくモードからようやく復活したらしいサロメ様が変なことを聞いてきた。

 僕は普通にアンナさんの健康を気づかっただけだ。気づかいの結果、他人を怒らせちゃうことは僕にとって見れば良くあることである。


「魔物討伐に武器を持って行った方がいいことぐらいシンイチさんでもわかりますよねっ。なのに何で徒手空拳なんですか! そういえば最近、シンイチさんが武器持ってないなって思ってはいましたけど、どこにやったんですか!?」

「あ、あれは、その……」

「その!?」


 もう口調を穏やかに保つ余裕すら失くしたアンナさんの剣幕に怯えつつも、正直に答えていいものかどうか口ごもる。

 僕もアンナさんに拾われた当初は立派な武器を持っていたのだ。

 ただあれは、僕にはちょっと立派すぎた。


「その……あれは重くて僕の魔力強化じゃとてもじゃないけど扱いきれなかったので、山奥に埋めてきました」

「分かりました! いま気が付きましたっ。シンイチさんはバカだったんですね!?」

「そうですバカですごめんなさい!」


 出会って一か月間で僕のことをバカだと思われなかったのは、もしかしたらアンナさんが最長記録かもしれない。サロメ様ですら三週間目には僕のことがバカだと気が付いていた。


「あああああっ、もう! シンイチさんは……これだからシンイチさんなんですよ!」

 ――まったくよね。これだから信一は信一なのよ。アンナちゃんもやっと気が付いてくれたのね。

 

 文字面は一緒なのにサロメ様の言葉に重みがないのは、もはや一種の才能だ。


 ――サロメ様ってこれだからサロメ様なんですよね。

 ――え? なんで私、そっくりそのまま言葉を返されてるの?


 サロメ様のカリスマのなさにはもういっそ感心しきりだった。

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