圧倒的質感を持った女神


 サロメ様とお話しできる能力。

 くだらない能力だと思うだろう。少なくとも、この異世界に来て初めて与えられた加護の能力を知った時に僕は思った。サロメ様と会話できるだけとか、なにその能力役立たずじゃんとごくごく素直に思った。そう思ったら、僕の思考を拾ったサロメ様がしくしく泣き始めてより一層この能力いらないと思った。


 ――だ、だって、いきなりいらない子扱いされたら、誰だって悲しいのよ?

 ――誰がいらない子扱いなんてしました? 僕は役立たずだって言ってるんですよ?

 ――うぅっ。信一がイジメる……。


 ちなみに今現在進行中で思っている。僕の加護は二十四人いたクラスメイトの中で間違いなく最弱だ。

 クラスメイトの加護は、テンプレチートの博覧会とも言っていいような能力だった。他人のものを強奪できる能力とか、鑑定能力とか、不死身になる能力とか、錬成能力とか、魔剣を操れる能力とか、それはもう垂涎物の能力を持っていたのだ。

 そうした中で僕に与えられた加護こと、サロメ様とお話する能力。

 しかもサロメ様の加護というのは、この世界では全人類が持っている。もともとはサロメ様の加護は、その人が最も不幸な時にサロメ様の声が聞くことができるという加護なのだけれども、異世界天性のチート補正によって僕は常時サロメ様とお話しできるようになったのだ。

 はずれを引いたと思った。だってお話するだけって、何が役立つのって感じだったのだ。それを知った時のクラスメイトの生暖かい視線もよくよく覚えている。こいつ、はずれを引いたなと、クラスメイトの目は雄弁に物語っていた。

 でも、とその時は思い直した。

 神様とお話しできるのだ。お話できる相手は神様なのだ。きっと何か特別な知識を仕入れたり、何かすごい感知能力で周辺のことがわかったり、はたまた仲良くなった女神様から追加で神様のご加護が貰えるんじゃないのかなって期待した。

 何せ異世界に来てチート能力が配られたのだ。そんな期待したって罰は当たらないと珍しく前向きな気持ちになっていた。この何の役に立ちそうもない加護にもきっとちょっとくらいプラス要素はあるだろうとポジティブに考えた。


 ――なかった。なかったんですよサロメ様!

 ――な、ないわよ……最初にちゃんと説明したじゃない。


 今のお言葉の通り、サロメ様の加護には本当に、一切、欠片も、何にも、有用な情報も能力も助言も抜け穴も、なぁんにもなかった。

 サロメ様の加護は、本気の本当に掛け値なしでサロメ様と話すだけの能力だった。

 そしてサロメ様は、超が付くほどの世間知らずだった。この世界について、なんにも知らなかった。なんにも知らないというのがどの程度のレベルだったかというわかりやすい例を挙げると、自分が祀られている教会を見て『あら、あのきれいな建物なにかしら?』と無邪気な歓声を上げた事実があるほどだ。ちなみに僕はその時に『あれ、この女神様なんの役にも立たないんじゃね?』と疑念を抱いた。

 知識方面でサロメ様に何かを求めることが酷だと気が付いた僕は、次に実務的な何かができないかと模索した。つまりサロメ様に神様的なパワーを期待したのだ。

 それも無理だった。サロメ様は非常にどんくさい気質だった。索敵とかサロメ様に任せようものなら、敵味方の区別がつかないサロメ様のおおらかな判断能力によって僕はとっくの昔に殉死していただろう。

 いくつもの紆余曲折と諦観、失望、挫折を挟んでようやく『あ、この女神様何の役にも立たないんだ』と悟った。

 そんなサロメ様が、もちろん戦闘の役に立つはずなどない。

 まず敵を見たら叫び声を上げる。怖がりだからだ。

 血を見たら、わーわー泣き叫ぶ。びびりだからだ。

 人が死んだらガチで泣き始める。泣き虫だからだ。

 つまり戦闘中の僕の脳内では延々とサロメ様の叫び声とびびり声と泣き声が響き渡ることになる。もうマジでうるさくてうるさくて集中力を削がれることこの上ない。

 そんなサロメ様だけれども、神様だけあって大陸史に大きな爪痕を残してある。

 数多の国を傾かせた傾国の神様であり、同時に史上最もこの大陸の人類を減らしたこともある一柱。その加護は不幸を知らせることとして周知されており、そして何より巷では処女神のくせに寝取りゴッドと呼ばれる大矛盾を抱える――


 ――ねえやめて! そのあだ名だけはやめてちょうだい!! ていうか、不名誉な称号ばっかり思い浮かべるのはやめて!? 私にだってもっといい感じの功績があるはずよっ。ねえ!?

 ――あ、ごめんなさいサロメ様。全部事実だけど、それでもごめんなさい。


 サロメ様が涙声になってきたので、この辺りでイジメるのはやめておこう。さっきうっかりかわいいと言ってしまったせいで調子に乗っていたのだ。だからテンションを突き落す必要があったのだけれども、このくらいイジメておけば大丈夫だろう。調子に乗るとひたすらうっとうしいのだ、この女神様は。

 ただ調子を下げるといじけ始めるので、それはそれでめんどくさい。ただ相手にしなきゃいいだけのことなので、サロメ様がしくしく泣き始めたのを契機に僕は現実と向き直った。


「グゥルル……」

「グギャッギャ!」


 いくつも重なるうなり声は、僕を取り囲むゴブリンたちが発したものだ。

 サロメ様をイジメて思考を現実逃避させていたが、現実の危機から逃避はできていなかった。くしくもそれはサロメ様がさっき僕に忠告してきた現実の法則でもある。

 この世の中、甘くない。

 なにが言いたいのかと言えば、とうとう僕はゴブリンに追い詰められていた。


 ――サロメ様。真面目に聞きたいんですけど、僕はどうしたらいいんでしょうか。

 ――しくしくしく……え? そ、そうね。久しぶりに戦ったらどうかしら。


 なんだこの神様。僕に死ねとで言いたいのだろうか。

 これはひどい。助かる方法を聞いたら自殺の方法が返ってくるとか、斬新を通り越してある意味神様らしい救済の仕方だ。

 真正面からこんなひどいこと言われたのは久しぶりだ。他人から面を向かって死ねと言われたのはいつぶりだろうか。たぶん三か月ぶりぐらいだ。


 ――あれ? 結構最近だった……。

 ――ちょっと前までよく言われてたものね。


 こんな時でも緊張感のないサロメ様は、しみじみと呟いて嫌なことを思い出させてくれる。


 ――こんな危機的状況に陥ってる僕に追い打ちかけるなんてサロメ様余裕ですね。

 ――緊張感がないのは信一も同じだと思うけど……いえね。信一なら何とかなる気もするのよ。ほら。信一って、運だけは良いじゃない。運だけでいままで生き延びてきた部分があるから、今回も何だかんだで大丈夫だと思うの。

 ――わかりました。根性で何とか頑張って逃げます。

 ――ねえ。信一は何で自分で訊ねておいてさらっと私の意見を無視するの? しかも毎回。ねえどうして?


 どうしてもこうしてもサロメ様の意見が毎度のごとく役に立たないのが悪いと思う。

 遠回しに自殺を進めて来たサロメ様の声は無視して周りの状況を確認する。サロメ様の言う通りに行動したら、どぶに足突っ込んだり強盗に鉢合わせたり魔物に襲われたり詐欺に引っかかって一文無しになったりするのだ。その経験を積み重ねた僕から言わせてもらえば、サロメ様の助言なんて無視するに限る。

 大丈夫だ。僕は逃げ足に定評がある。あと、サロメ様も言った通りに運だけは割といい。だから今まで生き残れてきたのだし、こんな絶対絶命の状況でも死なないはずだ。何の根拠もないけど、たぶん大丈夫なはずだ。


 ――何の根拠もないなら、このままにらみ合いをしていても状況は悪くなるだけだと思うわ。


 サロメ様がさらに嫌な現実を突きつけてきた。


 ――……そうですね。

 ――そうよね!


 そうだ。その通りだ。認めようじゃないか。さっき逃げるときずっと魔力強化を使って身体能力を底上げしていたおかげで、ただでさえ乏しい僕の集中力は切れかけている。この集中力がぷっつんと切れた瞬間、僕の身体機能を押し上げている魔力強化も切れる。

 いやだってしょうがないのだ。

 この世界で魔法を使うには信仰心がいる。二十四柱いる神様たちへの信仰心を使って行使される不思議パワーが魔法なのだ。

 魔力と呼ばれる力の源は、この世界を見守っている神様の力だ。地球と違って実際に神様がいるこの世界では、その神様たちから漏れだした力が世界にあふれている。その力に信仰心でアクセスして引き出す行為が魔法と呼ばれるものだ。

 魔力強化。

 神様への信仰心でもって世界に満ちる魔力と接続し、存在力を強化する。それが全ての人類が使える唯一無二魔法だ。魔力強化と、あとは加護と呼ばれる力しか人間が使える不思議パワーは存在しない。

 僕の魔力強化は、はっきり言って大したレベルではない。加護? サロメ様とおしゃべりできる加護が何になるというのだ。いま切実に必要なのは、脳内でお話できる神様じゃなくて僕の逃げ足の素早さを増やしてくれる何かだ。


 ――うぅ、信一がまた無理難題を言うわ……。

 ――聞かせてるんです。もう一回いいます。あえて、聞かせてるんです。


 サロメ様は僕の思考をちょくちょく読んでくるけど、読める部分は表層部分だけだ。そういう思考はあえて聞かせているから別に覗かれて構わない。だいたいはサロメ対する悪口だし。

 しかし、いまの僕の力でこの窮地を脱せるかだろうか。

 ゴブリンたちは、ぐるりと僕を囲んでいる。その包囲には隙が無い。扱える魔力が大したことない僕では、これを突破するのは至難の業というか普通に無理だ。

 この異世界では信仰心に応じて使用できる魔力は大きくなるという法則がある。二十四柱いる神々への信仰心が高ければ高いほど魔力強化は強くなっていく。

 つまり、日本人の僕に強力な魔法が使えるほどの信仰心があるわけはない。

 無宗教で無関心で定期テストで一週間を切った時だけ神様仏さまと叫ぶのが日本人の高校生なのだ。通常時に神様は役に立たない上に祈っても無反応なのが神様というのが一般的な認識である日本人の僕に、狂信者が跳梁跋扈するこの異世界でチートをこなせるような魔法を使えと言うのは無理難題だ。

 だからこそクラスメイトのみんなは二十三柱の神様からチート加護をもらったというのに、僕の加護はまさかのサロメ様専用音声チャット機能だ。そんな加護をくださったサロメ様を信仰するなんてこと、したくない。


 ――……え?


 だってサロメ様だよ? 知れば知るほどかわいいという以外に褒めるところが存在しないというので定評のあるサロメ様を信仰しろとか無茶ぶりだ。


 ――え、いや、その信一? 信一って、私の信者だった……わよね?

 ――何言ってるんですかサロメ様。僕がサロメ様の敬遠な信者だってことはサロメ様が一番よく知ってるでしょう?

 ――あ、う、うん。そうね。そうよねっ、うん。でも、そのぅ……さっきから褒めているようで、そこはかとなく私に対する悪意を感じるんだけど……?

 ――まっさかぁ!


 僕に悪意なんてあるはずがない。ただあるがままの事実を述べているだけだ。それが悪口に聞こえるというのは、心の持ちようの問題だろう。

 サロメ様はかわいいだけの神様だ。それ以外の存在意義などない神様だ。


 ――ゴブリンに囲まれてじりじりと包囲を狭められてる状況で、何の役にも立ってくれなくても僕はサロメ様のことが大好きですよ? ねえサロメ様。ねえねえサロメ様。あの、神様ならこの状況を本当にどうにかしてくれませんか……?

 ――あの、何もできない状況でそれを言われると弱いのだけど……そ、それでも私、神様よ?

 ――そうですか。


 やっぱりどうにもできないらしい。わかりきってたから、がっかりすらしない返答だ。

 僕の人生はまだまだこれからだと思ったんだけど、実はこのままゴブリンに袋叩きにされて撲殺されるためにあったのかなぁ。なんだか僕らしい終わり方といってしまえばその通りなんだけど、やっぱりなんだかなぁ。


 ――どうせゴブリンに殺されて死ぬくらいなら、サロメ様に捧げたかったなぁ。

 ――うん。信一。命を捧げてくれるなんて、ちょっと、いえ、けっこう、ううん、かなり嬉しいことを言ってくれたのはいいんだけど、あなた張り合いなさすぎるわよ……? もうちょっと頑張りましょうよ。


 誰かと張り合うような弾力性なんて僕にはない。それにサロメ様が何を勘違いしているか知らないけど、僕がサロメ様に捧げたいのは童貞だ。命じゃない。一個しかない命をサロメ様に捧げてどうするんだ、もったいない。

 ああ、嫌だなぁ……童貞のまま死にたくないなぁ。


 ―――サロメ様。死ぬ前に僕、サロメ様に一句遺し……あ、ごめんなさい。何でもないです。

 ――え? ……えぇ!?


 どうせ死ぬなら辞世の句でもサロメ様に送ってあげようかと思いつつ一文字も文面が考え付かないのでどうしようと途方にくれていると、状況に変化があった。


「伏せてください!」

「ピギィ!?」


 凛とした声が響くと同時に、突如として一匹のゴブリンが吹っ飛んだのだ。


「え?」


 ああ、さっきサロメ様が悲鳴を上げたのってこれが原因かと納得しつつ、僕はとっさにその場で身をかがめる。殴り飛ばされたゴブリンは、しゃがんだ僕の頭上を通り過ぎていった。


「うわ、怖っ」


 影で視界がちょっと暗くなり、頭の上で空気が揺れる。自分の頭上を重量のある物体が吹っ飛んでいくという現象に対する素直なおののきが口を付いて出た。

 いくら子供のような体躯をしているとはいえ、ゴブリンはそれなりの重量がある。それがこれだけ見事に放物線を描いて吹っ飛ぶだなんて、かなりの力で攻撃された証拠だ。


「何やってるんですか、シンイチさん!?」

「ひゃい!?」


 吹っ飛んだ先でピクリとも動かないゴブリンの様子を観察していると、先ほど響いた声が僕の名前を呼んできた。


「って、あぁ! アンナさん!」


 怒鳴られて反射的に怯えてしまったが、良く見れば相手は見知った人だった。


「いつまでたっても集合場所に戻ってこないと思ったら……もうっ! いいから逃げますよ!」


 こぼれ落ちる、さらりと流れる様な金髪。穏やかな色彩の、柔らかい青色をした瞳。おっとりしている顔立ちは、緊張でか強張っている。

 この森には全くそぐわない白い法衣で身を包んでいる彼女は、一か月ぐらい前に初めて出会い、山の中で行き倒れて死にそうだった僕を助けてくれたプリーストな少女だ。

 手に持った凶器にはさっき殴り飛ばしたゴブリンの一部が付着しているけど、些細なことだ。前の世界とは違いこの世界だと、神官は武器を持ってるのがデフォルトなのだ。


 ――良かったわ。アンナちゃんが来てくれたんだったら、もう安心ね!

 ――ほんとですね! アンナさんはどこぞの女神様とは安心感が違いますよ!

 ――ちょ!?


 珍しくサロメ様が良いことを言った。アンナさんが来てくれたのならもう安心だ。これで僕はきっと助かる。


「聞いてくださいアンナさん! 僕、死にそうなんですっ。助けてくださいお願いしますっ!」

「見ればわかります! だから逃げようってさっき言ったじゃないですか!」


 さすがはアンナさん。一目で僕の危機的状況を見抜くなんて、どこぞの女神様とは大違いの慧眼だ。

 僕にお叱りの言葉をぶつけたアンナさんが、メイスをもうひと振り。先ほどの強烈な一撃はゴブリンのちっぽけな脳に焼き付いていたのだろう。空気を揺らす威嚇に動揺が広がり、ゴブリンの囲いにほころびが広がる。


「早くこっちに来てくださいっ、信一さん!」

「全力でいますぐそっちに行きますっ、アンナさん!」


 僕の危機に何にもできなかったどっかの女神様と違って、アンナさんはあっという間に逃げ道を用意してくれた。さすがだ。さすがアンナさんだ。

 伸ばされた手を取って、逃亡を再開する。


「さあ、逃げますよっ」

「はいっ」


 アンナさんという闖入者に仲間が一匹殴殺されたおかげでゴブリンたちはうろたえている。今なら奴らの囲いを突破できるはずだ。

 アンナさんは僕の頭の中で声を響かせるしか能がないサロメ様の百倍頼りになる僕の女神様だ。アンナさんの背後から後光が差して見える。眩しくて涙が出そうだ。


 ――め、女神様って! 信一の女神様は私よ!?


 サロメ様が何かほざいていたが、僕の心には響かない。手を引いてくれるアンナさんの力強さと、遠ざかっていくゴブリンの姿しか僕の心を癒すものはない。

 僕は助かった。アンナさんに救われたのだ!


 ――信一? ねえ信一っ? わたし女神よね。信一の女神様でいいのよねっ?

 ――はいはいオーバーオーバー。サロメ様ってホントにオーバーですね。

 ――どういうこと!?


 圧倒的質感を持った女神の救済の前には、圧倒的失陥を持ったサロメ様などただの幻聴に等しかった。

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