おバカな英雄
アンナは、地面に膝をついて祈っていた。
信一が山に入ってからずっと、明らかに戦闘と思しき音が響いてからはさらに真剣に、果ては遠くの山が崩れるような事態になってその姿勢を崩さなかった。
ただ祈り、無事を願っていた。
「アンナさん……」
真摯に祈りをささげるアンナに近づいてきたのは、狩人のディックだ。
ただ、神への信仰(おもい)とは違うにしても、譲れぬ信念(おもい)を持つ彼を、アンナはアンナなりに尊重していた。
そして、それはあの風変りの司祭様も一緒だったのだろう。
シンイチとはいつの間に打ち解けたのか、ディックの表情にも不安の色があった。
「音が、止みましたね」
ディックの言葉に、アンナも顔を上げる。
彼の言葉を通り、さっきまでうるさいほどだった音が止み、山は静寂を取り戻していた。
「……確認してきます」
「俺もついて行きます」
討伐が成功したにせよ、失敗したにせよ、その結果を見届けなければいけない。長く続いていた戦闘音が止んだのに合わせて、アンナとディックはは山に入っていった。
山の山頂付近に広がる空き地。その戦闘痕は、あまりに壮絶だった。
草木が荒らされているの当然。巨大な槌でも振るったかのように地面がえぐられた跡まである。
「なんだこれ……」
ディックが茫然とつぶやくが、ある予感を抱いていたアンナに戸惑いはない。むしろこの破壊痕を見て確信が持てた。
「……しばらく、山が荒れそうだ」
愚痴のように呟くディックの声を聞き流しアンナは周囲の確認をする。
そこには、もう魔物はいなかった。念のために魔力探知も行ったが、気配はない。中級の魔物一匹と戦っただけとは思えない激闘を予想させる戦闘痕が残るそこに、一枚の布が置いてあった。
そっと拾い上げる。
おそらく、司祭服の裾を破りとったのだろう。上等な布には、赤い血文字が書き記してあった。
――旅に出ます。探さないでください。
「……あの人は」
くすり、と笑みがこぼれた。
彼が逃げた理由が、どうしようもないものだと思い至ったのだ。
「なんですか、それ」
「シンイチさんの書き置きです」
渡して見せるとディックも呆れ顔になった。
オーガを倒してくれたのだから、クワ一本くらいの損害なんてないようなものだ。もっと誇って、胸を張ればいいのに。
だというのにこの書置きがあまりにも彼らしくて、それがあの英雄譚とはそぐわなすぎて、それでもきっと彼はあの英雄なのだろうなとなぜ確信できた。
「あいつ、馬鹿ですね」
「はい。そうですね」
ディックもアンナと同じ回答に至ったのだろう。ディックの言葉は全くもってその通りで、アンナは何のわだかまりもなくうなづけた。
「お礼くらい、させてくれてもよかったのに」
「いいんですよ。あいつ、教会に居候してさんざんアンナさんに迷惑かけたそうじゃないっすか」
「……そういえばそうでした」
あんまりにもらしくない英雄の普段の行い思い出して、アンナはくすりと笑う。
「さ、戻りましょうか。もう安全だって、村長に伝えてきます。あと、パトリシアちゃんにも、伝えなきゃですし」
「そうですね。今日は俺もゆっくりしてます」
別れの挨拶もできなかったが、きっと、またいつか出会えることもあるはずだ。
「ねえディックさん。シンイチさんが、実はすごい人なんだって言ったら信じます?」
「え? そりゃ、神様を信仰するより信じられないっすね」
「ふふっ、ですよね!」
晴れ晴れした平和が戻った帰り道で、おバカな英雄のちょっとした秘密を知ったアンナは楽しそうに笑った。
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