鈍感は、罪


 ――目を、覚まして!


 サロメ様の声が、響いた。

 加護を通して響く、もっとも尊い声。

 世界で一番大切な声が届いて、目が覚めた。

 正気を取り戻してまずやったことは、何が詰まってるのか謎な自分のクソみたいな頭を鉄槌の石突に思いっきり叩きつけることだった。


「――ッっ!」


 名状しがたい音が鳴る。

 肉に覆われた骨と金属がぶつかった鈍い音。まだ正気に返った寸前で、魔力強化の名残があったのだろう。一片のためらいもなく、すさまじい勢いで叩きつけられた僕の頭から、ものすごく表現しにくい音が鳴り響いた。

 痛い。

 痛烈な衝撃に、じんわりと涙が流れて視界がゆがむ。

 まあでもいいや。さっきまでの僕、痛いとか、そんなレベルじゃなかった。むしろなんで生きているんだろう。ああ、もう。僕、さっきので死ねばよかったのに。

 でも、残念ながら生きている。

 体全体が痛くて、何より頭が割れた。額からだらだらと血が流れている。気持ち悪い。というか、そもそも僕、痛いのに耐性がないのだ。泣きそうである。

 でも耐える。


 ――信一……?

 ――……大丈夫です、サロメ様。


 一息ついて、痛みをやせ我慢した僕は、思考をひねり出して答える。


 ――もう、大丈夫です。

 ――……うん。


 サロメ様が、ほっと安堵の息を吐く。


 ――そっか。


 サロメ様が、笑ってくれた。

 よかった。

 サロメ様が笑ってくれたのがうれしかった。何よりもいまの僕を望んでくれたという事実が、どうしようもなくうれしくて口元がにやけそうになっていた。信仰に染まった僕じゃなくて、サロメ様の悪口を言える僕に言葉をかけてくれた。

 生きててよかったって、それだけで実感できる。


「さて、と」


 にやける口元をきりっと引き締めて、まだ生き残っている脅威に目を戻す。

 オーガーは、警戒してこちらをうかがっていた。

 さっきまで強大な魔力強化を身にまとっていたやつが、唐突に雑魚に成り下がったのだ。そりゃ戸惑うだろうし警戒心も湧くだろう。

 それでもしばらくすれば、僕がただの雑魚に成り下がったことに気が付くだろう。その前に武器を構えようとして、やたら重いことに気が付いた。

 そういえば、僕の武器がクワから槌になってる。てか僕のベスト武器が死んじゃってる。どうしよう。あのクワ、弁償しようにもお金持ってないんですけど。


 ――ええっと……謝れば、ゆるしてくれるかもしれないわよ?

 ――馬鹿ですねサロメ様。人間っていうのはそんなにやさしい生き物じゃないんです。

 ――ええー……。


 頭が平和ボケしているサロメ様の意見なんて何の役にも立たなかった。これ終わったらバックレよう。そう決めて、僕は槌を構える。

 重い。魔力強化がだいぶ弱くなってるから、全部金属でできたこの武器、超重い。だからこれ嫌いなんだ。


「来なよ。やっと僕が出会えた最良の武器の敵だ」

 ――農具が理由なのはどうなのかしら……? ていうか、本当に大丈夫なの?


 実はあんまり大丈夫じゃない。いくら相手の腕がなくなっている死にかけでも、相手は中級に分類される。いまの僕の魔力強化では、死にかけの中級一匹の勝率を大目に見積もっても五分五分だ。


 ――まあ、何とかなりますよ。


 いまの僕の全力が、これ以上ないと悟ったのだろう。それとも、自分の死期を悟ったオーガは最後くらい暴れて死のうと思ったのかもしれない。

 戦意がオーガの目に宿った。

 僕の魔力強化は、まだ魔物に敵意を抱かせる程度にはあるらしい。

 そうして闘争心を取り戻したオーガの瞳が、なぜ、と問いかけてきた。

 ほんの少しだけ知性と人格が形成され始めるのが、中級たるゆえんだ。その中級にあるオーガは、僕がなぜあれほどの信仰を捨て去ったのか、疑問に思っているようだ。

 なんでもクソもない。僕が無理を押して戦う理由なんて、ただ一つだ。

 まあその一つが、自然発生する魔物にわかるはずがない。

 信仰を捨てて得た愛を、魔物なんかに理解されたくない。


 ――なんでそこで愛なの?

 ――黙っててくれませんかサロメ様。


 サロメ様の鈍感には付き合ってられない。

 いいんだ、別に。まだ気がつかれなくて。いま気がつかれても、サロメ様を困らせるだけだろうし。ここまであからさまにしてなお気が付かれないと、さすがにちょっとイラッとするけど、いいんだ。いやほんとに。強がりじゃなくて。だから嘘じゃないから! ほんとに気にしてないから!

 だって、僕が愛を告げるときは、ちゃんと決めてある。


 ――ねえ。だから、どういう意味のなの? 愛って、なにが? ……あ! もしかして、信一って好きな子がいたの!? ねえねえ、誰!


 よし。この苛立ちは目の前のオーガにぶつけよう。

 テンションを跳ね上げたサロメ様へのぶん殴りたい気持ちを抑えず、僕は槌の柄を握りしめる。

 かつてないほど心が燃える。思いの原料はもちろん怒りだ。いまなら僕にもわかる。幾多の物語で、多くのヒロインたちが鈍感主人公に抱いていた殺意にも似た気持ちに共感できる。多くの不評をもらっていた暴行系のヒロインの行動も腑に落ちた。


 ――やっぱり順当に貴樹ちゃんかしら? それとも委員長ちゃん? あ、もしかして星輝ちゃんだったりするのかしら!


 これは、殴りたくなるよね。

 鈍感は、罪なのだ。

 殴られて当然の大罪だったのだ。


「よっしゃ、行くよオーガ! いまの僕なら負ける気がしない! 恐れおののけ!」

 ――し、信一? どうしたの。テンションが変よ!


 サロメ様の言葉なんて、無視だ無視。

 いまの僕なら神をも殺せる。あふれる僕の戦意に答えて、死にかけの隻腕の鬼が咆哮する。命を燃やして吶喊を繰り出す。

 それに僕も真正面から応える。


 ――ねえ信一。だから落ち着きましょう! わざわざ戦わなくても、その鬼の子は永くないから、ゆっくり距離を取った後に信一が好きな子を教え……

「うおりゃああああああああ! 死ねぇえええええええええ!!」

 ――ああ!?

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