信仰の槌


 戦いを、隣の山から見下ろしている影があった。

 一人は、大きな女性だった。

 女性に対して大きいという表現はあまり用いないが、彼女を目にすればまず間違いなく誰もがそう思う。まず身長が高い。おそらく、百八十以上の背丈があるだろう。筋肉質な体は均整がとれている。大の男と力比べをしても勝利してしまいそうなほど鍛え抜かれているのが良くわかる。

 こちらは普通の人間である。際立った長身体躯から目立つ容貌であるが、不振がられることはない。彼女の名前は桐ヶ谷陽子。日本人であり、この世界に召喚された勇者だ。『剣』の神から加護をもらい、クラスでも強力な戦闘力を誇っていた。

 問題はもう一人のほうだった。

 片割れの女性とは対照的に、小柄だ。しゃがんで山一つ向こうの闘いを見ているから、なおさらそう見える。さっぱりとした短髪の面立ちはまだ幼さを残している。

 そして、頭に猫耳をはやしていた。

 頭に生えた耳が飾り物の類ではないのは、時折ぴくりと動くことが証明している。よくよく見れば明るい緑の瞳孔は、真昼の陽光のもと針のように細くなっている。人間に酷似しつつも、人にありえざる特徴を持つ彼女は、人間ではない。

 魔人。

 教会が分類する中では、最低でも上級の下位。生まれ落ちてから時間を蓄積し知性を得るまで進化して、人格を得た魔物の上位種である。

 魔人と人間が、並んで立っている。そんな珍しい二人が遠くの戦いを見つめていた。

 とはいえ、遠くで起こっているそれは戦いと呼べるようなものでもなかったのかもしれない。ただ中級下位の魔物であるオーガーが人間を一撃のもと叩きのめした。それでお終いのように見受けられる。

 実際、かつてのクラスメイト戦闘結果をわかりきっていた陽子は、つまらなそうにシンイチが吹き飛ばされら光景を見送った。


「ミャース。ここまで回りくどいことをする必要があったのか?」

「みゃ? 回りくどいって、何のことにゃ?」

「あのオーガーを、わざわざけしかけて神坂信一を襲わせただろう」


 ああ、と頷く。

 山に入ったシンイチを見て、ミャースはここで育てたオーガーに襲わせた。


「そうだけど、文句を言われることでもないにゃ」

「私が言いたいのはそういうことではない。殺すなら殺すで、直接行けば早いし確実だろう。お前の役目は、ここだけにこだわるものでもないだろう?」

「にゃはは。ひどい事を言うにゃ。おみゃーたちは『くらすめいと』とか言う仲間だったんじゃにゃいのか?」

「……昔の話だ」


 ミャースのからかいの言葉は、そっけなく切り捨てられた。


「ふーん? 昔、にゃあ」

「そうだ。私の――いや、私たちの望みに、神坂信一はいらない」


 言い切った。陽子が自分の加護である魔剣を、ぐっと握る。

 その仕草にミャースは気がつかれない程度に唇を持ち上げる。

 陽子が自分で言っているほど割り切れているわけではないのは、簡単に見て取れた。

 だが、別に否定してやることはない。しょせん目の前の人間は利害と利害が一致しただけの関係に過ぎない。陽子が言った『私たち』。その中には、ミャースを筆頭とする魔人は含まれていない。それでも彼らと手を組んだのは、彼らが信仰を持たない人間だからだ。

 心も体も頭も弱っちいが、それでも信仰を持たず魔人たちと協力を結べる人間はミャースたちにとっても有用だ。


「別におみゃーの事情なんてどーでもいーにゃ」

「なら聞くな。そしてなおさらだ。お前の力だったら、神坂を殺すのだって簡単だろうに」

「……にゃはは」


 認識の齟齬に、失笑が漏れて出た。

 自分が、あの男を殺すのが簡単だという。それは陽子がミャースの実力を知っているからだろう。たとえばミャースと陽子が戦えば、ミャースが負ける要素がない。それくらいには、力が隔たっていた。

 だがその事実は、ミャースがシンイチを打倒できるかどうかという推測に、何の役にも立たない。


「そっか。そういえば、おみゃーは早くに聖地を出た勇者だったにゃー」

「そうだが、それがどうした?」

「ふふん。なら知らないのも無理にゃいにゃ。さっきあいつを直接殺しに行けって言ったけどにゃ、そんにゃの嫌だにゃ。のこのこ出て行って殺されたら目も当てられにゃいだろ?」

「お前ほどのものが、何をそんな警戒している?」


 気楽に自分の力不足を認めた魔人へ、陽子は不可解そうな目を向ける。


「いまの神坂には飼葉の助力すらないんだ。確かに多少の魔力強化は使えたが……神坂は、しょせん『クラス最弱』だぞ? なぜ、ここまでのことをする」

「にゃはは。バカいうにゃ」


 クラス最弱。それは一体どの時点のことを言ってるのか。いっそ笑えるほどの的外れな意見は考慮に値すらしない。

 確かに、あの男が召喚された最初の内はその通りだったのかもしれない。戦闘の助けになるような加護はなく、神を知らなかったその身に魔力は宿せない。あの男がこの異世界に来た時には、確かにただの人間でしかなかったはずなのだ。

 それが、たったの三年でどれだけの化け物になったのか。

 ミャースは、じいっとまだ終わっていない遠くの戦闘を見続ける。シンイチは大きく吹き飛ばされ、なぜか自分で掘っていた穴に落ちていった。知性の低いオーガーは、そのせいでシンイチを見失ってしまっている。とはいえ、すぐに穴に気がついて追撃をかけるだろう。

 あれで死ねばそれでいい。

 もし、このまま死んでくれれば、ミャースは喜んで魔人領にいる魔王にその朗報を届けることができる。

 だが魔人は相手のことを最大限警戒していた。即席で作り上げたオーガに追い詰められているように見えても、その人物の底を知る魔人は警戒を怠らなかった。ここの村付近で彼を見た時に、ミャースは己の目を疑った。勝てない相手だと、身に染みて思い知らされていたからだ。その弱体ぶりは、自分のような人間領にいる魔人を吊り上げるものなのだろうとあたりをつける程度には、相手の力を大きく見積もっている。

 かつて魔人領にまで侵犯して、自分たちを蹴散らした大きな大きな存在。他の有象無象など話にならない。『空騎士』も『生命の御子』も『マルチウィザード』も、比較にすらならない。唯一並んで歩いていたのは、あの悪名高い『信仰の鎖』ぐらいなものだろう。

 本来ならば聖地にいるはずの人物だ。こんなところに一人でふらふらと旅をしているなど、あり得ない。

 なにせ相手は異世界から来た勇者。魔族領に押し入り魔王すら撃退した『神に最も近い男』。そしてなにより自分たち魔物が憎み、この世界で最も警戒すべき称号――


「まさか、そんなもんじゃ終わらにゃいよな――『信仰の槌』?」


 瞳孔を細める魔人の視界の中で。

 この世界に来てたったの三年で、世界最強の称号『信仰』の名を冠し枢機卿の座まで至った男の指先が、ぴくりと動いた。

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