なら、満足だ

 微笑んだアンナさんの笑顔は、僕がサロメ様に貞操を捧げてなければ一発で虜になってしまうほどに魅力的だった。

 やっぱりアンナさんはこの地上に舞い降りた女神なのだろう。そんなアンナさんの祝福を受け取った僕は、顔を真っ赤にしていた。

 いや、だって、すごく恥ずかしい勘違いをした。

 山を黙々と歩きながら、僕は顔から火が出そうな気分だった。

 あれだよ? 僕、アンナさんが無茶しようとしていると思って飛び出たのに、実はアンナさんは僕なんかじゃ思い浮かばなかったような頭のいい冴えた方法を考えて実行しようとしてたっていうオチだったんだよ?

 僕、ただのバカじゃん。


 ――大丈夫よ、信一。アンナちゃんは優しいから、そういう勘違いには触れずにそっとしておいてくれるわ。


 まったく慰めにならないどころか、追い打ちをかけてくる。こういう自虐的な愚痴を言ってるときは、その自虐を否定してほしいから言ってるのだ。違うんだよ。君はそんな駄目じゃないだよって言ってほしいから自分のことをダメだって卑下してるのだ。

 それがわからないなんてさすがサロメ様だ。僕、もう泣こうかな。

 歩くのもやめて山の中で膝をかかえていじけようとしていると、サロメ様が慌てて声をかけてくる。


 ――そ、それより、場所は覚えてるの? 武器を埋めた場所!

 ――あ、サロメ様は覚えてないんですね。

 ――うっ。


 僕があれを埋めたときは、サロメ様も見ていたはずだ。それなのに覚えてないなんて……まったくもう。しょうがないなあ、サロメ様は。そんなことも覚えてないなんて、ほんとにしょうがないサロメ様だ。


 ――しょ、しょうがないじゃない。だって、また来るなんて思ってなかったし……。


 確かに、二度と来ないつもりで捨てたものだから、サロメ様が覚えてなくても特に問題はない。問題はないけど、サロメ様をからかうかからかわないかという問題とは別問題だ。

 気持ちを持ち直した僕は、るんと足を弾ませて目的地へと足を進める。


 ――ほら、サロメ様。この空き地に、ポツンと生えているひょろひょろの木の下に埋めたんですよ。


 山の中腹あたりにぽっかり空いた空き地にたどり付いた僕は、サロメ様にそう説明してあげながら、クワを振り上げる。

 穴を掘るのだ。穴を掘って、ここに埋めたあの武器を取り出すのだ。

 クワってすごい。サクサク穴を掘れる。埋めるときは手作業だったからすごく大変だったのに、なんと素晴らしい効率性なんだろう。もう、クワを見たら拝まずにはいられないほどの利便性だ。サロメ様よりすごい!


 --あの、さすがに農具と比べられるのはちょっと……。


 あまりの素晴らしい機能性に感動していたら、地面が振動した。

 地揺れだ。地震ではない。この大陸では、めったに体感できるような地震は起こらない。

 なにかが、地面を揺らすような勢いでこちらに近づいて来てるのだ。

 それを感じながらも、僕はせっせと穴を掘る。まだ出てこないのだ。いや、僕どれだけ深く埋めたんだろう。そりゃ、あの武器にはいい思い出が何にもなかったから二度と手にしないつもりで埋めたんだけど……ああ、うん。少なくとも、人ひとり分がすっぽり入るぐらいの穴掘ってたね、あの時の僕。しかも素手で。

 そうなると、どう考えても掘り出すより先にこっちに近づいてきている何かと顔を合わせないといけなくなる。

 なんだろう。鹿だったらいいなぁ。イノシシでも、まあ頑張れば勝てるし。熊とかも、子連れの時にテリトリーを侵害すると、たまに突進してくるから、それかもしれない。熊だったら苦戦は必至だけど、僕のベスト武器のクワ様があれば勝てるはずだ。


 ――ぁ。


 そう思ってると、サロメ様がびくっと震えた。

 それで、正体を確信した。

 やっぱり、魔物か。

 そうして、改めて思う。

 相手は中級下位の魔物、オーガー。

 僕は今日、死ぬかもしれない。






 加護とは何だろうか。

 ウィー・ファンはかつて言った。加護よりも、魔力強化こそが至高だと。信仰による魔力強化こそが神の僕(しもべ)である我らの寄る辺だと主張した。

 その証明は、教皇『信仰の檻』が体現している、と。

 確かに、彼女の言葉は正しい。ウィー・ファンは頭がおかしいしエゴの塊のような人格をしていたが、その信仰には一点の翳りもなく、彼女の神に対する解釈は紛れもなく真実の一端を掴んでいた。

 人が人知を超えるために行使できる最も大きな力は魔力強化だ。神の漏れた力が魔力であるのならば、それを行使することこそが至高であるとするのは自然な流れだ。なにより、一度だけ対面した教皇の魔力強化は、奇跡を信じたくなるほどに神秘の域にあった。

 それに比べ、加護の力は決して大きいものではない。

 もちろん、軽んじるほど小さな力ではない。二十四柱の神は様々な力を人間に与えてくれる。そのバリエーションは魔力強化ではとうてい及ばない。神様から直接もらったという正当性も大きい。

 それでもなお、魔力強化は加護を優越するというのが、この世界の信仰の一般論だ。

 ただ、僕にとっては違う。

 ウィー・ファンと交流をし、数々の信者と話してきた。

 彼らはどこまで神を信じていた。信仰を捧げることこそが神とつながる最も強い絆だと確信し、人の存在を強化する魔力強化こそが神に至る道であるとした。

 あるいは、僕もそれが正しいのだと思っていた。


 でも、違うのだ。


 いくら魔力強化を極めようが、僕らが神々に至ることはない。考えてみれば、いいや、考えるまでもないことに、僕らがいくら祈ろうが神に至ることなどありえない。

 僕たちは、どこまで行こうとただの人間なのだ。

 ただの人間が神様に捧げる信仰が魔力強化になり、神様がただの人間へ与えるのが加護だ。信仰は僕たちが唯一、自発的に神様に捧げることができる交流手段なのだ。それをはき違えてはならない。

 そして加護は、唯一神様から僕たちへくれた交流手段だ。

 だから加護は、神様から僕たちへ、見守っているよという印でしかない。本来、ただそれ以上の意味なんて込められていないのだ。

 なんてことはない。

 そういう意味では、僕の加護は確かにチートだ。

 僕にはいつだってサロメ様が付いている。いつだってサロメ様とお話ができる。神と接することができる、この世界で最も望まれた能力だ。

 僕はこの異世界でサロメ様の加護とともにある、唯一の人間だ。

 だから、願わくば、いつか――


 ――信一?

 ――ん。なんでもないです。


 いま思ったことは深層心理に沈めて、サロメ様には悟られないようにする。

 ゆっくりと、手に握る武器の感触を確かめる。

 木の手触りは、素朴だ。軽く、何とも頼りないその触り心地に苦笑が浮かんできた。

 しかし、僕はこれに命をあずけなければならない。

 前の武器があれば。

 近づいてくる地響きに、ふとそう思ったが、すぐにその思いを振り払う。大切なのは武器そのものではなくて、信仰による魔力強化なのだから変わらない。司祭以上の神官に与えられる儀礼武器は特注品ではあるが、特殊な品では決してない。丁寧に造られたよくできている武器だけれども、それを持ったから強くなれるとかいう類の武具ではないのだ。

 それに、どうせ地面に埋まってるし。さっきやっと端っこを掘り当てられたけど、まだ大半は地面に埋まったままだし。

 だから、結局のところは変わらない。

 あの武器があっても気分がちょっと変わるだけであって、僕が強くなれるわけではないのだ。


 ――逃げても、いいのよ。


 優しく、サロメ様が声をかけてくる。

 実を言うと、というか、実なんて言わなくても分かってると思うけど、僕はアンナさんも含めたあの村の命をまるごと全部見捨てるつもりだった。

 サロメ様にばれなければ、そうするつもりだった。

 きっと、サロメ様でも分かっている。いまの僕では勝ち目なんてない事を、サロメ様ですら理解できているのだ。

 でも、ダメだ。


 ――逃げたら、僕が逃げてあの村が壊滅したら……サロメ様、泣いちゃうでしょ?

 ――……。


 黙り込んだサロメ様の正直さに、思わず微笑んでしまう。

 それにそもそも、この距離にまで詰められれば逃げられない。


 ――なんてことないですよ、サロメ様。


 知られなかったら、それですんだ。

 でも、知ったら、サロメ様は悲しむ。

 だからこそ、あえて気軽に言う。


 ――僕は魔王をしりぞけた英雄『神に最も近い男』ですよ?


 大丈夫。これでも僕は、強いのだ。

 魔力強化はこの村に来てから最高潮だ。いまの僕が引き上げられる最高の状態にしてある。


 ――オーガごとき、楽勝です。


 とうとう地響きの元凶が、目視できる範囲にまで接近してきた。

 迫ってくる魔物は二メートルを優に超す上背に、甲殻的な肉体を持っている。

 オーガ。

 大鬼。

 魔人の領域に足を踏み入れた、知性ある魔物の原初。

 僕はクワを持ってそれに挑んで、戦いは、一瞬で終った。

 距離を詰めて来たオーガの動きに、クワを振り上げたところで、もう決着はついていた。


 ――ぁ。


 サロメ様が、呆けた声を出す。僕は、声を出す余裕すらない。

 まるで、間に合わなかった。

 僕の魔力強化は、目の前の魔物に対して完全に負けていた。オーガの動きにちっとも付いていけていなかった。

 あまりにも素早く、体格から予想できないほどの俊敏さでの突進。拳を振り上げるまでもなく、大きな体と頑強な肉体を駆使したタックルを、避けられない。よけられるはずもない。

 目もくらむような衝撃が、お腹から全身に響いた。

 ああ、負けたんだ。

 そう気が付いた。

 でも、ちょっとだけ嬉しかった。

 宙を浮いて吹き飛ばされ、地面にたたきつけられるまでのほんのちょっとの間、思う。

 いつか、とは違う負け方で、死に方だ。

 大丈夫。

 僕の命なんて、そんなに惜しいものでもない。

 なら、満足だ。

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