それは……わかりません
中央聖教は最強の宗教集団だ。
その認識に間違いはない。中央聖教の権威の強さは世界に遍在する信者の数と実在する神を崇めているという正当性、そしてそこから得られる魔力強化より派生した武力の強さによるものだ。
彼らは大陸随一の武力を持ってはいるものの、禁忌に触れた際に行われる『異端審問』と『聖戦』以外には積極的に軍事力を行使しない。禁忌に触れた相手は何があろうとも、それこそ相手が国家だろうが確実に抹消するが、逆に言えば禁忌にさえ抵触しなければ能動的に暴力を振るうことはない。
そして悲しいことに、魔物の存在は別に宗教的な禁忌に該当しない。
魔物の存在は人類にとって害悪ではあるが、神様にとっては禁忌ではない。神の力である魔力から発生する彼らを禁忌だなどと、教会が言えるはずもない。魔物の生態は禁忌ではなく、この世界の当然の営みだ。人間の生存圏が脅かされれば対処するが、魔物と魔人が支配する魔人領に聖地にある戦力が投入されることは絶対にない。あの人たちは社会よりも倫理よりも自分も含めたありとあらゆる命よりも神様への信仰を大切にしているという頭のおかしな倫理観があるのだ。
だからこそ僕ら異世界の勇者が魔人領に足を踏み込み魔王撃退だなんてことをすることになったのだが、それはまた別の話だろう。
「アンナさん! 僕、今日はホブゴブリンを討伐したんですよ!」
そんな昔のどうでもいいことはともかく、今日の戦果をアンナさんに報告していた。
「ホブゴブリン……ですか?」
「はいっ、そうなんですよ!」
なぜか真っ先に不信そうな目を向けてきたアンナさんに僕は、おおいばりで頷いた。
「本当ですか?」
「本当ですよ?」
なぜか疑いの色が濃い声に負けじと訴える。
「いやぁ、でもびっくりしましたよ。一匹だけでしたけど、遭遇戦でしたからね。ディックさんの銃弾をかいくぐって飛びかかってくるホブゴブリン! そこに僕の攻撃が命中して――」
――おかしいわね。私の記憶にない信一の活躍があるわ。
――だってサロメ様の記憶力って残念じゃないですか。
僕の些細な脚色にすら文句をいれてくるサロメ様の言葉をきっぱりと論破する。
「そうして最後は僕の必殺技によって頭を砕かれて――」
「……変ですね」
「――はい?」
僕の活躍を優しく聞いてくれているとばっかり思っていたアンナさんは難しい顔をしていた。
変というと、あれだろうか。もしや僕の活躍をちょっとだけ水増ししたことがバレたのだろうか。
――きっとそうよ。嘘はいけないのよ。天罰覿面なんだから。
――嘘じゃないです。あくまで、ほんのちょっぴり僕の英雄願望を混ぜただけです。
たらりと冷や汗を流す僕の焦燥を知ってか知らずか、アンナさんは何かを考こんでいた。
「変って言うと、何がでしょうか?」
「ああ……。信一さんは魔物の群れが、どういう性質か知っていますよね」
「えっと……?」
おそるおそるつついてみた質問に、アンナさんが初級魔物講座を切り出してきた。どうやら僕の吹いたホラが追及されることはなさそうだが、アンナさんの言葉の意図がつかめず戸惑う。
「強い魔物が下位の魔物を統率し始めるんですよね」
「そうです。統率された下位の魔物は団体行動をとるようになります」
「ですよね。ちなみに僕が倒したやつがリーダーってことはないんですか?」
ホブゴブリンというとものすごく弱そうに聞こえるがそんなことはない。ゴブリンの群れのリーダーと言えばホブゴブリンだし、真面目に一対一で戦った場合、アンナさんでも無傷で勝利とはいかないはずだ。
「それだったら嬉しいのですが、たぶん違います」
違うらしい。
まあよりにもよって僕が幸運にもリーダーを倒せるとかそういうことはないだろう。そもそも一匹でうろうろしている魔物がリーダーなわけがない。
「それで、変っていうのは何でですか?」
「いろいろと変ですよ。そもそもホブゴブリンがはぐれで一匹いたということ自体よくわかりません。基本的に、群れになった魔物は一匹にならないはずです」
「えーっと……ここらへんの魔物って、どういう周期で発生してるんですか?」
「年に二、三匹ゴブリンが出る程度ですね。だから、本来なら群れになるほどのものでないはずなんです。ホブゴブリンなんて、生まれようもありません」
人里近くでは、魔物の発生頻度はほぼ把握されている。人の生活圏内は魔物が自然発生しない地域選ばれているが、同時に人が集まるところには必ず魔物が発生する。ある程度人間がまとまって長期間定住すると、人の感情が魔力に影響を及ぼして魔物を生むのだ。ゴブリンを始めとする人型の魔物の発生源がこれで、人間が魔物を絶対に根絶できない理由でもある。
しかし、なるほど。ゴブリンが年に二、三回発生する程度だったら、教会に配備される神官が一人のはずだ。一人で十分狩れるし、魔物が進化する下地もない。
「魔物狩りをサボっていた、とかじゃないですよね」
「この教会に来てからそろそろ二年経ちますが、合計で五匹狩っています。討ち漏らしがあったとしても、決して群れを作れるほどではないはずなんです」
魔物が群れになる理由は、神官が間引きをサボっていたか魔物の発生周期を見誤っていたかのどちらかだ。アンナさんに限って仕事をさぼっているとは思っていなかったが、予想通りの答えに疑問は増えるばかりだった。
「うーん。それだと、他所から魔物が流れて来たとかですか? それではぐれた魔物がちょくちょく流れてきてるんじゃないですか?」
「それは……わかりません。なくもないですが、魔物が移動するような事態が近くであったとも聞きませんし。それにうちの村だけ魔物が人里近く降りてくるようになった理由にもなりません」
それらしい理由を挙げてみるが解決はしない。
やっぱりよく分からない。
「魔物って、いつから出るようになったんですか?」
それならそもそものところから原因を探ろうとしたら、アンナさんが真顔になった。
「シンイチさんが来てからです」
「え?」
「シンイチさんが来てからです」
なにかおかしなことを聞いた気がするから聞き返したら、同じことを二回言われた。
「あ、はい。そうなんですね……え? いや、どういうことですか」
「だからこの村に魔物が出没するようになったのは、シンイチさんが来てからなんです」
「……あ、あのぅ」
三回目のダメ押しを受けて、おそるおそる釈明をする。
「いえ、そのですね。アンナさんに限ってそんな勘違いをしているわけがないってちゃんと分かってるんですけど……僕が魔物をおびき寄せたとか、そういうことはないですよ?」
「……」
アンナさんが、無言でそっと目をそらした。
「アンナさん!?」
「い、いえ、分かってますよ? 信一さんが恣意的に魔物を誘導するようなことはしていないと、私もちゃんと村の人にはそう説明してます。でも、村の人たちがどう感じるかは……その、分かりますよね」
「ああ、なるほど……」
そこまで聞かされれば、いくらにぶちんの僕でも察することができた。
道理でこの村の人たち、僕に冷たいと思ってた。アンナさんを除けば、ディックさんと後は村長さんの孫娘ちゃんくらいしか普通に話してくれる人がいないからなぁ。
昔から他人に冷たくされるのは当たり前の生活をしていたからこんなものかと思ってたけど、今回ばかりはちゃんと原因があったらしい。よそ者が流れてきて、途端に魔物が流れ込んで来たらそりゃ僕を疑いたくもなるだろう。なるほどなるほど。村の人たちが見つめるあの冷ややかな瞳は、なんだこの面白いことを一言も話せないコミュ障はというものではなく、疫病神を見る目だったのか。
ちょっと安心した。
――それで安心するのもどうかと思うわ。
――いいじゃないですか。それに、僕と魔物はちっとも関係ないですからね。なにせ心当たりがありませんもん。
――どうかしら? 意外と信一ってトラブルメーカーだもの。分からないわよ。魔物の子達が変な行動をしてるのって、案外信一が何かの原因だったりしないの?
――……あの、サロメ様。
あまりに無自覚な言葉に、ヘタレの僕ですらこめかみがぴきっとなった。
――僕がトラブルによく巻き込まれたのは、ほぼ全部サロメ様が原因ですからねぇ!?
確かにこの異世界に来てから、そりゃもうしょっちゅうトラブルに巻き込まれたけれども、それはサロメ様の助言に従った結果起こった面倒事か、サロメ様そのものが原因だった厄介事がほぼすべてだ。
だから今回の魔物の発生が偶然ではなく、本当になにがしかの異常事態によるものだとしたら、それはサロメ様が原因だ。断言できる。
――そ、そんなことないわ! 信一自身が原因なのもけっこうあるわよ!
――ほら今認めた! 『けっこう』だなんて言い方したからには、自分がトラブルメーカーだってことをちゃんと自覚してるんじゃないですかサロメ様!
――違うもん! ああいう事件って、何だかんだで絶対信一が原因だったことのほうが多いわ! 今回だって、きっと信一が何かの原因よっ。
――違いますぅ! 絶対に今回もサロメ様のせいに決まってますぅ!
アンナさんとサロメ様。それぞれとの議論は、結論が出ることはなった。
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