ゴブリン食べる気?


 ゴブリン、それも、ホブゴブリンだ。

 その姿は通常のゴブリンと見た目はほとんど変わらない。ただのゴブリンとの違いは、ほんの少し体が大きくなり額にちっちゃな角が生えているだけだ。

 だが存在を強化する魔力の濃度がはっきりと違う以上、見間違えるはずがない。あれは間違いなくゴブリンの一つ先の進化形であるホブゴブリンだ。

 そのホブゴブリンが、まさかそこに仕掛けられていたトラばさみに引っかかっていた。

 珍しい光景というより、猟師の罠にかかっている魔物なんて初めて見た。先に動いたのは予想外の事態に混乱して固まってしまった僕ではなく、ディックさんだった。


「うお!?」


 驚愕の叫び声を上げつつ、とっさに猟銃を構えたディックさんが、ほとんど反射的に発砲する。

 銃声が山に響く。

 ディックさんの腕も良いのだろう。罠に近づく前に念のため弾込めしてあったそれは、狙い誤ることなくゴブリンの頭に命中した。


「グギャッ!?」


 人間が受けたら一発で頭が吹き飛ぶほどの衝撃。その銃撃はあるいはただのゴブリンだったとしたら致命傷を負わせられただろう。だが、相手はその一つ先の進化形だった。

 音速の三倍速で放たれた銃弾は、ホブゴブリンの皮膚を貫き肉に食い込み、しかし頭蓋骨に弾かれた。


「グルルゥ……!」


 傷を負ったホブゴブリンは、忌々しげにディックさんをにらみ付ける。

 通常の生き物なら致死をまぬがれない威力をはねのけたのは、存在を強化する魔力の恩恵だ。血肉が魔力でできている魔物は、僕たち人間のように信仰心による魔力との接続なんて必要としていない。ただ本能的に身に宿す魔力を行使し、物理現象に対抗する。

 生まれながらにして魔力の塊たる魔物は、それが低位のゴブリンであったとしても物理現象に対して圧倒的な優位性を持っている。

 傷を負わされたゴブリンは、痛みでひるむことなく怒りに任せてディックさんに突撃しようとしたが


「グギャッ……ゥ?」


 そのままディックさんに襲い掛かろうとしたホブゴブリンが、何かに引っかかったように動きを止める。

 なにかに、というかいま奴の足にはトラばさみが挟まっている。それに阻害されたのだ。

 だがやはり、そんなものでずっと縛っておけるほど魔物は弱くない。

 びきり、と金属がゆがむ嫌な音が響いた。


「こいつ……!」


 恐怖と、焦り。

 銃弾を頭に受けてなお敵意を丸出しにする相手に、ディックさんの顔色が青ざめる。いまはトラばさみに引っかかっているが、ホブゴブリンの動きを長くとどめることができないのは明白だ。

 それでも彼は脅威に立ち向かおうと改めて猟銃を構えて


「ディックさん、さがって!」


 僕の制止に、二発目を放とうとしていたディックさんは動きを止めた。


「シンイチ!?」


 ディックさんの叫び声には反応せず、前に躍り出る。

 全身に張り巡らせた魔力強化。元の貧弱な僕の身体能力からは信じられないほど素早く力強い動きで、罠にかかったホブゴブリンへ接敵した。

 手に持ったクワを体の延長として、魔力強化を施す。

 信仰によりこの世に満ちる魔力に接続し、存在を強化する。武具ですらないただのクワだが、僕が昔に使っていた武器とその性質はよく似ている。振り下ろし、叩きつけるというわかりやすい攻撃方法。刃が付いているが、別にこれは斬るために付いているものではない以上、技巧に考慮する必要はない。

 ただ、叩き潰せばいいのだ。そのために何よりも必要なのが、ただただ純粋な力である。そしてこの世界で最も純粋で強力な力は、腕力でも努力でもなく――信仰によって得られる魔力だった。


『は? 体さばき? 戦闘技術? やれやれ、分かってないっすね、シンチイは』


 不意に記憶が頭をよぎる。僕に武器と、何より信仰の心得を与えて笑った女の言葉。


『それよりも何よりも、己の信仰を高めるっすよ』


 圧倒的な狂信を誇り全てを蹂躙した彼女に叩き込まれた動きと心得を思い出す。

 かつて僕を浸して支配した教えが、フラッシュバックした。


『この世界は、信仰による魔力強化が全てを優越するっす』


 この世界で最強の一人、中央聖教枢機卿第三席『信仰の鎖』ウィー・ファン。僕らとさして変わらない年齢だというのに、他を圧倒して優越した信仰と狂信の力をまざまざと僕らに指し示したこの世界最強の一人。結局魔王討伐の旅の最後の最後まで僕たちの誰よりも強かった彼女の言葉は紛れもない真実だ。

 いまの僕の魔力強化ですら、銃弾の一撃を凌駕する。

 急激に上がった僕の存在力に、ディックさんが目を見張る。常人からも目に見えてはっきりと感じられるものなのだ。

 例え銃撃を受けても、致命傷には至らない。振りかぶった攻撃の威力は、岩をも砕く。

 それが魔力強化。神の力を借りた、存在の強化。


「……!」


 それを振り上げたと同時に、目の前のホブゴブリンの敵意が膨れ上がった。

 魔力強化を行使した途端に膨らんだ敵意は一瞬で破裂し殺意へと昇華される。怨敵を発見したとばかりに殺意がみなぎらせるホブゴブリンの視線には、先ほどディックさんをにらみ付けたのとは比べ物にならないほどの憎悪があった。


「――グ」


 ばきん、と音を立ててホブゴブリンを押しとどめていたトラばさみがとうとう壊れる。その底力は命の危機を前にしたからではなく、魔力強化を行使した人間を目の当たりにして膨れ上がった憎悪が根源だ。

 彼ら魔物は、人間の扱う魔力を何より憎む。


「ギィゥウウウウウォ!」

 ――ひぅっ。


 憎悪をのどから迸らせた大音声に、サロメ様が小さく悲鳴を上げた。

 怖いのだろう。ホブゴブリンは、僕を通してサロメ様たちに憎悪をぶつけているのだ。だからこそ、サロメ様は魔物の憎悪にことさら敏感に怯えてしまう。


「――」


 反面、僕の心は静かだった。

 僕は魔王撃退なんていう功績を挙げているくらいだ。魔物の憎悪には、とても慣れている。それになにより、遭遇時点で罠に引っかかっていたため、ホブゴブリンの初動が限られていた。まっすぐ突進してくるこいつを迎え撃つなんて楽勝だ。

 命が脅かされることのないこの状況で、たかがホブゴブリンの吠え声ごときに僕が怯える理由はない。


「……じゃあね」

「ギャッ」


 いっそ酷薄に告げ、ホブゴブリンにクワを打ち下ろす。

 僕の信仰を込めた一撃は、ロクな抵抗も許さずホブゴブリンの頭を一撃で叩き潰した。


「ふう」


 頭を潰されたホブゴブリンが塵となって散っていく。

 魔力でできている魔物は、それを統率している意識が消えれば何も残さず消えていく。それが、魔力で発生した生き物である魔物の最期だ。

 間違いなく死んだ脅威を確認して一息ついた。


「ああ、びっくりした……」


 魔力強化を解くと同時に、静かだった心がどっかに消えて緊張がどっと押し寄せて来た。

 相手がほとんど動けない状況だったから一撃で勝負が決まったけど、ホブゴブリンが罠にかかっていなかったら、いまだに死闘が続いていただろう。ゴブリンから進化した固体だけあって、かなり強いのだ。

 具体的に言うと、いまの僕よりちょっと弱い程度には強いのだ。


 ――……ね、信一。あなたさっきの子を倒した時の魔力強化って……

 ――ん? なんですかサロメ様。そういえばさっきのホブゴブリンに泣かされそうになってましたね。

 ――な、泣きはしないわよ!? ちょっと怖かっただけだもんっ。

 ――あははっ。やっぱり怖かったんじゃないですか。


 なにかを言おうとしたサロメ様をごまかして、振り下ろしたクワを肩に担ぐ。

 ああ、ほんと良かった。トラばさみにかかって身動きがロクに取れない状況でいてくれて心底助かった。ホブゴブリンとの遭遇戦なんて勘弁してほしい。


「お、おお……すげえな、シンイチ」

「ねえ、ディックさん」


 戦闘の余韻がまだあるのだろう。おっかなびっくりで少し腰が引けているディックさんに、にっこり笑いかける。


「魔物を罠にかけるとかすごいね。もしかして、ゴブリン食べる気だったの?」

「食わねーよ!?」

「うん。そだね。やめた方がいいよ、魔物を食べるのは。あれ、毒だし食べたら死ぬよ」


 驚愕して否定するディックさんに、ちょっと興奮状態にある僕はなおも言いつのる。


「それに魔物食いって禁忌に指定されてるから、魔物を食べて万が一生き残っても一生異端審問官に追い回されるからね。下手したら『聖戦』になって村ごと消えるよ?」

「何だそれ!? 怖えな!」


 本当にあった教会の怖い話に、ディックさんはおののいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る