PARTⅢの2(20) キケンな再会、青山通り
土曜日の午後六時少し前、オフィス・クレッシェンドの会長、磐船一徹は原宿の自宅を出た。
七時に予定があったが、約束の広尾のレストランに行くにはまだ早すぎるので、ビルの立ち並ぶ青山通りを散歩した。
それは昭和三十年代よりこの
この国でもっともファッショナブルな街の一つに進化した。
若いころは時間さえあればこの界隈を歩きまわり、これはという男女には「タレントにならないか?」と声をかけた。
と言っても「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる」風に手当たり次第声をかけるようなことをせず、
声をかけたのは彼一流のカンにピンと来るごく少数の者だけで、その数は平均して年に四、五人というところだった。
そして、彼が声をかけた男女はみなタレントや歌手や俳優などで成功した。
大浜キャロラインも、そんな風に彼が声をかけてスカウトした人間の一人だった。
大浜はアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフだった。
父はアメリカの兵隊で彼女が幼いころ、アメリカが中東のある国との間に引き起こした戦争に参戦して、戦死した。
それまでアメリカで暮らしていた幼い彼女は母親と共に日本に戻って成長し、
青山で友達と一緒に買い物をしていた時に一徹に「タレントにならないか?」声をかけられた。
当時、一徹はすでに四十余年の実績を持つ、業界随一のタレント発掘の目利きとして一般にも知られた著名人だった。
彼の顔写真入りの雑誌記事を読んだことのある大浜は相手がどういう人物か知っており、「声をかけていただいて光栄です」と答え、二人は喫茶店で話した。
その時に、大浜はこう言った。
「あたしは、俳優とか歌手でなく、報道の仕事をしたいんです」
「ほお、何故報道の仕事を?」
「あたしの父はアメリカの軍人で、戦争で死んだんです。あたしは父を奪った戦争をこの世界からなくすための仕事をしたいんです。
ペンは剣よりも強し、と言いますが、メディアは銃よりも強し、と言える場合がしばしばあるって思うんです。
ですから、そういう理由で報道関係の仕事をしたいんです。そのために、実は大学でもジャーナリズムを専攻しているんです。
ただ、正直に言えば、直接戦地に
「正直な人間は、わしは好きだよ。君は女性だし、戦地での取材は似合わない気がする。
でも、そういう取材の結果を報道するキャスターの仕事なら提供できると思う。
戦争をなくしたいんだったら、地道な報道だけでなく、世間への影響力・発言力が必要なんじゃないかな?
まず、テレビでキャスターとして顔も売りながら勉強を深めていって、
戦争をなくすための文章を書いたり、場合によっては戦争をなくす運動に一役買うとか、そういう具合にキャリアを発展して行ったらどうかな?」
「ありがとうございます。実は、あたしもそんな風に生きていけたらいいな、と思っていたんです」
「歌手であれ俳優であれなんであれタレントというのは社会に影響力のある人間なんだけど、
その影響力を自分の名声欲や金銭欲のために使うのではなく、世界のために使うことを第一の目的とするタレントがいてもいいんじゃないか?
そういう思いもわしにはあって、既に何人かそういうタイプのタレントも世に送り出してきている。
君もそういうタイプのタレントに育てさせていただくということで、わしの会社に所属してもらえないだろうか?」
「あたしでよければ、どうぞよろしくお願いします」
一徹は歩きながら、かつてこの通りで大浜に声をかけたときのことを思い出していた。
彼の会社との専属契約を円満解除したあとの大浜は山岡と一緒に、一徹の所有する青梅の奥の山間の別荘でマスコミや世間の目を避けていた。
世界規模で広がりつつある人々のギャンブル・ゲーム・交際サイトへの没頭現象と並行して、
五日前に日本と中国の首脳が北京で会談した結果、尖閣諸島の海底油田が日中いずれのものかを、ギャンブルによって、
具体的手段としてはサイの目によって、近々に決することに両国が合意したのだ。
続いて、その翌々日の日露首脳の電話会談の結果、北方領土がいずれの国に属するかについても、同様のギャンブルで決めようという合意が形成された。
更にけさから、
「日中露三国が、今後世界の全ての国家間の紛争をギャンブルによって解決することを骨子とするギャンブル国際法を、次の国連総会で提唱することになり、
これに対して各国の政府が賛同の意を示している」
というニュースが世界中を駆け巡っていた。
こういう流れの中で、マスコミの目はほぼ百パーセント大浜から離れたと一徹は確信した。
そこで彼は大浜、山岡、それから天波謡、奏を彼のお気に入りの広尾のレストランで一同に会して食事をしないかと誘った。
みなも参加したいという返事だったので、午後七時から五名でそのレストランの予約を取ったのだった。
突然、車道の方からクラクションが鳴った。一徹が顔を向けると、黒塗りのバカでかいリムジンが自分の歩いている脇に停まるところだった。
「はて、知り合いか? 」
一徹が立ち止ると、リムジンの後部座席のドアが開いて、
中から、ボブカットの髪をパープルに染めた派手な感じの婦人が降りてきて一徹に挨拶した。
「一徹社長、お久しゅうございます」
顔を上げた相手を見て、一徹はびっくりした。
肌はツルツルプリプリで
「君、だよな?」
「ええ。あたしです。ご活躍の様子は雑誌などで存じ上げておりました」
「わしも、噂は聞いてた。いや、びっくりしたよ、本当に若くてきれいだな、君は、相変わらず」
「あたし、もう七十台ですよ。でも、あなたにそう言ってもらえて嬉しいわ。お別れして以来、こんなこと初めてね。
こんな偶然があってもいいんじゃないかって思ってたけど、でも、びっくりしたわ」
「わしもだよ。忙しくしてるんだろ?」
「ええ、まあ ・・・。ところで、今から一時間くらい時間が空いてるんですけど、お食事でも。いかが?」
「ありがとう。でも、先約があるんで。名刺でも貰えれば時間のある時に連絡するから」
「きっとよ。待ってるわ。今だから話せること、話したいことがいろいろあるから ・・・」
銀金トミはそう言って名刺を出し、自分の携帯の電話番号を手書きで書き加えて渡し、「じゃ ・・・」と言って車に乗り、運転手に発進させた。
彼女の胸はひどくときめいていた。そんなことはもう長いことなかったことだった。見送る一徹の胸もときめいていた。
二人は若い時代に
一徹は偶然再会した彼女が潤んだ目で自分を見ながら話しているのに気づいていた。
――昔もあいつはあんな目でわしを見ていた。でも、結局、別れた。俺よりも金を選んだんだ。
でも、俺は
しかし、『「今だから話せること、話したいこと」って何なんだ? 『あたしはお金と結婚します』と言った時のあの目 ・・・。
一徹は走り去るリムジンを見送りながらそんなことを考えていた。
彼女は一徹がこの通りで声をかけて歌手にしてやり、一時は恋心をいだいたのだったが、結局有名な株屋にかっさらわれた。
――彼女と大浜キャロラインは全く違うタイプだな。
一徹はそう思った。自分がスカウトしようと声をかけた時に銀金トミが言ったのは「あんたについて行けばお金稼げるの?」だった。
一徹が「何でお金を稼ぎたいのかな?」と聞くと彼女は答えた。
「あたしの家は貧しくて、
父ちゃんは左官屋だけど酒飲みでろくに働きもせず、かあちゃんが内職したり日雇いに出たり苦労しながらあたしと妹を育てたんだ。
そういうかあちゃんやあたしたち姉妹に対してとうちゃんはしょっちゅう暴力をふるったし、
とうちゃんがちゃんと働いてくれないお陰であたしたちは貧乏で、お金のことじゃほんとに苦労してきてて。
あたしが十八歳になった去年の秋、かあちゃんを殴ったとうちゃんに対して勇気を振り絞って、
『ひどいことしないで、かあちゃんにあやまって』って抗議したら、
とうちゃん、あたしのことも殴って、
『ふん、悔しかったらうんと金を稼いでとうちゃんに百万円よこせ。そしたら、かあちゃんに土下座してあやまってやらあ』ってエラそうに言ったんだ。
あたし自身も貧乏はいやだから、お金稼いでとうちゃんをあやまらせて、かあちゃんや妹にいい生活させてやりたいし、
あたし自身もいい生活したいから、だから、お金いっぱい稼ぎたいんだ」
トミは正直な思いを口にしていた。一徹も『この娘は、これはこれで、正直な娘だ。お金のことで
「よし、それなら、必ずお金を稼がせてあげるから ・・・」
そう請け合って、歌がうまい彼女を歌手デビューさせた。
トミは一徹の眼鏡に叶った娘だけあってどんどん輝きを増し、若いけれども
一徹は仕事を超えて彼女に魅かれはじめ、彼女もまんざらではない態度を見せ始めた。
しかし、その彼女がある日突然、引退して有名な株屋と結婚しますと言いだした。
「ごめんなさい、あたしは沢山お金のある人が好きなんです。
あの人、俺と一緒に世界一の金持ちになろうってプロポーズしてきたんで、ちょっと迷ったけど、あたし、あの人と結婚することに決めました。
歌手になったのも歌を歌いたいからではなくて、お金を稼ぎたかったからです。
そのために、レコード会社から必ずヒットさせるからと言われて与えられた歌を、与えられたイメージをかぶって歌ったけど、
あの人と結婚した方がはるかにお金持ちになれそうなんで、歌手はやめて結婚します。
でも、あたしが歌手になって目立ったからあの人の目に
そういうことも含めてこれまで本当にお世話していただいて、心から感謝しています」
彼女の意志が強いもので今更覆すことはできそうにないと思った一徹は、
「そうか。ぼくは正直な人間が好きだ。それが君の本音なら、引き留めることはできないだろう。
でも、ぼくも正直に言うけれど、君が好きだった。何か困ったことがあったらいつでも連絡して来てくれ」
と言った。
すると彼女は悲しそうな眼をして涙を流しながら言った。
「ごめんなさい。あなたのこともきらいじゃないけど、あの人はあなたみたいに紳士的で優しくなくて、
なんというか悪魔的な魅力があって、自信家でナルシストで強引で、だからもう、男と女の関係になってしまったんです。
あなたがあの人みたいに強引にさそってくれたら、あたしはあなたの女になっていたかもしれないけど、でも、もう決めたんです。
あたしはお金と結婚します」
去っていく彼女の後姿を見ながら、一徹は後悔した。
――しまった、最初は歌手としての彼女を育てるつもりが、だんだん彼女に魅かれていった。
それなのに、歌手としての彼女の成長を第一に考えて、それが彼女の幸せだと考えて、
『個人的なアプローチは彼女が歌手として大成するまで控えよう。それが彼女に対する愛情だ』と思ったのが、裏目に出てしまった。
俺は自分に嘘をついていた、正直じゃなかった。結局、好きな女を、人としてではなく商品として扱っていたんじゃないのか、俺は。
さっさと「好きだ。一緒になろう」と言うべきだった ・・・。
トミが去ってしばらくして、一徹は
そして達彦をもうけたが、仕事にかまけて家庭を
今、走り去るリムジンを見ながら、一徹は胸にひどく甘く切ない
リムジンの中ではトミが
「あの男は今夜でおしまいです。邪魔者は消せ、です。あなたはあの男に未練がありますか?」
トミは機械的に首を横に振った。
「それでこそ私が選んだ司祭です」
″マザー″は満足そうに言った。彼女は更にパワーが増した結果、トミがどこにいても会話を交わしたり操ったりできるようになっていた。
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