PARTⅠの3 主婦パチンコ初体験症候群 

 焼け出された桂泉荘の宿泊客達は生中継を終えたあと、近くの別の宿に移って朝を迎えた。


 消防隊が全力を尽くして消防作業を行ったが、朝が来る前に桂泉荘は全焼してしまった。


 この火事のニュースはテレビ各局の朝の番組でも報じられた。謡はJBC系の朝のモーニングショーの中でも、このニュースを報道し、その時あの記念写真もまたテレビで紹介された。


 謡は昨晩生中継で火事のニュースを報じたあと、あらためて【座敷わらしの間】の家族からもらった記念写真を、火事の中から持ち出した自分のノートパソコンのディスプレイに映し出して見た。


 本番前にはコメントをとったり何やかやで忙しくしていてチェックする暇はなく、本番中もカメラの前でレポートしたりしていて見ることができなかったのだ。


 それを見た時、彼女もびっくりした。


 座敷わらしが見えたからだった。


 謡はクルー達に、「写真の中に座敷わらしが見えるか?」と尋ねた。クルー達は「そんなもの見えない」と答えた。


 どうやら、見える人間と見えない人間がいるようだった。


 朝の生中継が終わったあと、謡とクルー達はワゴン車に乗って、昼過ぎには東京のJBC局に戻った。


 報道局に入っていくと顔なじみのスタッフの一人に声をかけられた。


「謡ちゃん、テレビで流れた【座敷わらしの間】の家族の記念写真に座敷わらしが映っているのを見たという人が沢山連絡してきている。みんな、『何故かわからないけれど、天波謡レポーターに連絡した方がいいと思って連絡した』と言ってるんだよ」


「ほんとですか?」


「ああ。まだ増えるかもしれないけれど、今までに連絡してきた人達の連絡先はリストにまとめておいたから ・・・ 何かに役立てられるようだったらそうしてくれ」


 彼から手渡されたA4のリストには、あの【座敷わらしの間】の家族や響奏の連絡先も含めて三十六人分の連絡先電話番号が書いてあった。


 その中には、銀金しろがねレイ子という名前と携帯の番号もあった。幼いころ以来ずっと会っていない母親と同姓同名だった。母親そのものかもしれなかった。


 謡の両親は彼女が一歳の誕生日を迎える前に離婚し、父方の祖母の天波あまなみ粟乃あわのに育てられた。


 小学校二年のころ、謡は粟乃に「おかあさんってどんな人?」と聞いたことがあった。粟乃は答えた。


「あの人はね、離婚してから、私やあなたのおとうさんとは全く別の世界の人になってしまったのよ。まあ、元々がそういう別の世界の人だったから ・・・」


「ふ~ん ・・・ 名前は?」

「レイ子さんっていうんだよ。名字は、【銀金】って書いて、【しろがね】って読むんだよ」


「別の世界で何してるの?」

「さあ、詳しくは知らないわ ・・・」


 そして粟乃は謡を抱き寄せ、涙声で唐突に、

「あんたにはあたしがいるから、大丈夫よ」

 と慰めた。


 謡は、粟乃はレイ子のことにはこれ以上触れて欲しくないのではないかと感じた。


 それは当たっていた。粟乃は銀金家のお金至上主義の価値観を謡からシャットアウトしたい気持ちがあったのだった。


 それ以来、本当の母親のように一所懸命に自分を育ててくれた粟乃に対する遠慮もあって、謡は粟乃にも、家を空けることの多かった父にも、それ以上のことを聞けないままでいた。


 今回取材した東北地方の民話や民間伝承にまつわる一連の観光スポットや旅館や神社や飲食店やみやげ屋に関する特集は翌々日には放送の予定だった。


 さっそく担当ディレクターと一緒に構成・編集作業に入った。


 その作業の間にもあの記念写真の中に座敷わらしを見て何故かわからないけれど、天波謡レポーターに連絡した方がいいと思って連絡してきた人からの電話がひっきりなしに入った。


 夜までに、座敷わらしを見た人リストには九十二人分の連絡先が並んだ。


 これらの電話に対する応対は謡本人が行った。


 そのため、構成・編集作業は予定通りにははかどらず、深夜近くなって担当ディレクターの山岡から「あとは俺がやっておくから帰っていいよ」と言われて、タクシーで武蔵野のマンションに戻った。


――しかし、一度にこんなに沢山の人が座敷わらしを見るなんてこと、今までにあったのかな? 

 タクシーの中で謡は首を傾げた。


 謡はそのマンションに父高志と粟乃と三人で暮らしていた。父は東南アジアに出張中で、家に着いた時、粟乃はもう寝ていた。


 謡は昨晩から今朝にかけてはあの火事さわぎとテレビ中継であまり眠れなかった。東京に戻ってからも局で仕事と電話の応対に追われ、疲れていたので、シャワーを浴びてからさっさと寝巻に着替えて眠ってしまった。


 謡は隣の市にあるI大学の三年生だった。この春JBCのイブニングニュースが女子学生レポーター一名を番組で公募したことがあった。


 それを見て応募したところ採用されて、週一回の「学生レポーター、天波謡が行く!」というコーナーの取材とレポートを担当しているのだった。


 週一回の特集と言っても取材や構成・編集にもかかわることが条件だったので学業との両立は結構大変だった。


 が、メディア志望の彼女にとってレポーター業は様々な苦労は伴うにせよとにかく楽しいものだった。


 翌朝、謡は八時半に目ざめた。その日は大学に十時半までに着いて必修授業に出席すればよかった。


 ゆっくり朝風呂に浸り、粟乃に作ってもらった朝食を食べて、九時半すぎに授業のテキストやノートなどを入れたバッグを肩にかけて出かけた。


 大学に行くには商店街を抜けて、東西に走るJR電車のK駅の構内を通って南口ロータリーへ出て、そこからバスに乗る。


 商店街を歩いて行く時、謡は異様な光景を目にした。


 そこには三軒のパチンコパーラーがある。


 謡が歩いて行くと最初のパチンコパーラーの前に、新装開店でもないのに、長蛇の列ができていて、その列に並んでいる者達のほとんどが主婦と思われる女性達だったのだ。


 変に思いながら歩いて行くと、次のパーラーでもその次のパーラーでも同じように、主婦と思われる女性達の長蛇の列ができていた。


 パチンコやパチスロにハマっている主婦層の存在は以前から知っていた。しかし、これほどまでに沢山の主婦達が朝からパチンコパーラーの前に並んでいるのは前代未聞のように思われた。


 レポーター魂が頭をもたげた。彼女は三番目のパーラーの主婦の列に歩み寄って、四十代と思われる茶髪で高価そうな花柄のワンピースの上に紫のカーディガンをはおった上品そうな女性に尋ねた。


「失礼ですが、パチンコがお好きなんですか?」

「多分ね」

「多分ですか?」


 相手は謡を睨むような悲しいような嬉しいような妙な目つきで言葉を続けた。


「けさ、主人や子供がでかけたあと、食器洗っていたら、今までの人生なんだったんだろうって気持ちが突然こみ上げて来て、そしたらなんか無性にこういうことをやってみたくなって ・・・。わかる?」


「はあ・・・ まあ ・・・」

「こんなにやってみたいって気持ちが込み上げて来たってことは、きっと、やってみたら大好きになるってことよ」


「なるほど ・・・」

 そう答えたものの、謡は釈然としなかった。


 謡は他の女性たちにも次々に同じような質問をぶつけてみた。


 その結果、並んでいる彼女たちのうち八、九割がきょうこれから初めてパチンコやパチスロに手を染める主婦だということがわかった。


 それら初めての主婦達はみな家事をしたりボーッとテレビを見たりしている時に何か虚しさのようなものを感じ、次の瞬間突然無性にパチンコやパチスロがやってみたいという気持ちに駆られて、


 こうして今まで一度も入ったことのないパーラーに足を運んで、列を作って開店の時を待っているのだった。


 彼女たちはみな、うつろなまなざしをしているように謡には思えた。


 それに対して、初体験者ではない残りの男女は謡の質問に対し「そりゃあ、好きだからこうして開店前から並んでるんですよ」とか「惰性というか中毒というか、そんな感じかな」とか、予測可能な範囲の答えを返して来た。


 謡は初体験者でない人達の何人かに「きょうみたいにパチンコ諸体験の主婦が沢山来て開店を待つようなことって、今までにありましたか?」と尋ねてみた。


 みな、こんなのは初めてだ、と答えた。


 そうこうしているうちに開店時間の十時になり、並んでいた客達は店の中に吸い込まれて行った。


 謡は山岡ディレクターに携帯で電話を入れ、状況を伝えた。


 電話の向こうの山岡は、

「そういう話は聞いたことないな」

 と首を傾げた。


「あたし、授業出るのやめにして、これから沿線のパチンコパーラーをしらみつぶしに当たって、同じように初めての主婦でいっぱいかどうかチェックしてみます」


「いいのか?」

「レポーターとしては捨て置けない状況である可能性が大きいように思うので、この目で確かめたいんです」


「わかった。俺も近所のパチンコパーラーをチェックしてみよう。このへんのパーラーもそういう主婦達でごったがえしているようだったら、手の空いているスタッフに自分の周辺のパーラーを更にチェックさせて、あちこちがみんな同じ状況だったらイブニングニュースで君にレポートしてもらうから」


「あたしにですか?」

「そうだよ。君が拾ったネタだからね。面接を思い出したよ。チャンスだと思って頑張って」

「わかりました。ありがとうございます」


 面接というのは、謡がレポーターに採用された時のそれのことだった。


 その時、百人近い応募者の中から書類選考に残った五人のうちの一人として面接にのぞんだ謡は面接官であるデイレクターの一人から質問された。


「レポーターの資質ってどういうものだと思いますか?」


「そうですね ・・・ 今、目の前に、あ、これはレポートに値するなってピンと来る何かがあったら、ほかのことを脇に置いても、その何かに最優先で集中して取り組んで、それが本当にレポートすべきものなのかどうか自分の目や耳や手で確かめ、観察し、下取材し、答えがイエスならすぐにレポートする体制を整える。そういうのが資質じゃないかと思います」


 それはあらかじめ用意してきた答えではなく、問いに対して反射的に出て来た答えだった。


「なるほど、では、もしも君が今ぼくを観察してレポートするとしたら、何をどうレポートしますか?」

 これもまた予期せぬ質問だった。謡は大きく見開いた魅力的な両の眼で相手をじっと観察しながら、物怖ものおじせずに感じたままを淀みなく答えた。


「失礼ですが、あなたは、無精ヒゲを生やしてらっしゃって、目のくまも深いので、このところ徹夜が続いているように思います。しかし、全体として活き活きとしたものが感じられるので、恐らくご自分のやりたい仕事のために徹夜しているように感じられます。少なくとも、今回は ・・・。あの、お名前はなんとおっしゃいますか?」


「山岡です」

 彼は面白そうに答えた。


「ではあたしは、山岡ディレクターが徹夜を重ねてまで報道しようとしているテーマは何かについて調べてレポートしてみたいと思います。インタビューに応じていただけますか?」


「君がめでたく採用されたら応じてあげるよ。いや、確かに、この数日、是非番組で紹介したいことがあって徹夜してたんだ。当たってるよ」


 山岡は同席していたプロデューサーと顔を見合わせて笑った。謡はこの面接の結果採用されて、山岡の下で週一回の学生レポーターの仕事をするようになったのだった。


 意欲と機転の利いた物怖じせず淀みのない積極的な受け答えや観察眼が評価された結果だった。


 謡は早速K駅から上り電車に乗って、一駅ごとに降りてはパチンコパーラーをチェックして回った。やはりどの駅の周辺のパチンコパーラーも初めての主婦達でごったがえしていた。


 途中で山岡ディレクターから電話が入った。


「こっちの方もやはり初体験の主婦が大半のようだ。そっちはどうだい?」

「まだ二駅目ですが、どこのパーラーもそういう主婦達でいっぱいです」


「わかった。手の空いている番組スタッフにも、もう自分達の周辺のパーラーをチェックさせはじめている。東京以外にも同じ現象が広がっているかどうか知りたいから、系列局にも協力を要請しようと思ってる。君はパーラーのチェックはもういいからなるたけ早く局に来て、クルーと一緒にあちこち回って取材を進めてくれ」

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