15.罠に嵌められて
「いずれにせよ、そいつは逃すわけにはいかない。軍部で預かる必要がある」
各自が口を噤み居心地の悪い沈黙が数秒間続いた後、ヴォルフが深いため息と共に言った。口調は相変わらず忌々しげだ。
彼の言葉にロマンは申し訳なさそうに、レオナは腑に落ちなさそうな表情をしながらも、仕方がないとばかりに頷く。ブランカもそれに対して異論はない。
しかし、ヴォルフの口からすんなりと『軍部』という単語が出て来たことに、疑問を抱く。まるで当事者のような口ぶりだ。
まさか彼は、とブランカの頭の中で湧き起こった予想は、ロマンの発言によって確信に変わった。
「ブラッドロー軍は、彼女をどうするつもりなの?」
「詳しいことは話せないが、大事な情報源だ。丁重に扱うことになるだろうよ。こいつが駄々こねずに全部漏らせばな」
ヴォルフがじろりとブランカを睨み付ける。暴行をほのめかした彼にロマンが非難の視線を送る横で、ブランカは彼の身分と自分のこれからについて納得した。
なるほど、やはりヴォルフはブラッドロー軍の軍人なのだ。今まで予想もしなかったが、考えてみれば彼のがっしりとした体格や高い運動神経は、それ故のものなのだろう。
ブラッドローともなるほど大きい国が、当然自分を逃すはずがない。何せ、大戦争を引き起こした首謀者の孫なのだ。それだけでも理由は十分だが、祖父が自殺したために迷宮入りした謎の追求をする必要があるのだろう。既に拘束した戦犯にも吐かせているだろうが、親族も貴重な情報源だ。ブランカが知ることはほとんどないが、唯一生存するマクシミリアン・ダールベルクの親族を逃すわけにはいかないのだろう。
「そういうわけだから、二人とも。悪いが、ここから先は軍の仕事になるから、帰っ――」
そのとき、部屋の扉が勢いよく叩かれた。
尋常じゃない叩き方に、ヴォルフは不審そうに眉をひそめ、覗き穴で確認した後に扉を開けた。そこにいたのはブラッドロー軍の軍服を着た、ヴォルフよりも若い青年だった。
「中尉、緊急事態です」
「どうした」
おそらく部下なのだろう青年兵士は、室内にいた他の三人に聞こえないように小声でヴォルフに耳打ちした。途端にヴォルフの顔が険しくなる。
「何だと? それは本当なのか? いつ、どこでそうなった。容態は?」
「本当につい先程。ホテルに戻る直前です。今ホテルの医務室で医療班が応急処置をしている最中です。そこで急ぎ中尉を呼ぶようにと言われまして」
「しかし……」
ヴォルフは悩ましげにブランカを見た。何やら彼は早急にここを離れなければならないのだろうが、その間にブランカが逃げることを危惧しているのだろう。そんなつもりは一切ないが、言ったところで信じてもらえないだろうし、彼の立場上目を離すわけにはいかないだろう。
ヴォルフは苦渋の表情を浮かべつつも、部下に視線を向けた。
「お前。俺が戻るまでの間、この部屋を見張っていろ。特にあの白いのは要注意人物だ。他の二人は構わないが、あいつだけは何があってもここから絶対出すな。いいな。ロマン、レオナ。お前らは早く帰れよ!」
部下に念押し気味に言い聞かせ、ロマンたちにも粗雑にそう言い放つと、ヴォルフはベッドに脱ぎ散らかしていたスーツのジャケットを羽織って、足早に部屋から去っていった。
残された部下は、状況を飲み込めていないような顔をしながらも、部屋の扉に立ちはだかった。その視線はまっすぐにブランカに注がれている。
ヴォルフ達に非難されているときとは全く異なる居心地の悪さに萎縮していると、ロマンが気を紛らわすかのように言った。
「ブランカ、今更だけど君、ひどい姿だ。スカートも真っ黒で……。レオナ。着替え、持ってきたんだろう? 彼女に渡してあげて」
「何でよ。渡す義理はなくなったわよね。だってこの子は――」
「レオナ」
ロマンが厳しい目をレオナに向ければ、レオナは不満げに口を噤み、眉を吊り上げた。そして苛立ちをぶつけるかのように、持ってきていた包みをブランカにぶつけた。その中に入っていたのは、ブランカのよそ行きの洋服だ。
会話から着替えが入っていることは分かっていたが、まさかブランカの服が入っているとまでは思わなかった。間違いなくレオナの配慮だろう。
「レオナ、ありがとう」
そうしてシャワールームでブランカが着替えを済ませると、再び部屋の扉がノックされた。今度は先程に比べて控えめだった。
ヴォルフの部下が覗き窓を確認し、扉を薄く開く。
そこにいたのは、仕立てのいいスーツに身を包んだ、オレンジと金色を混ぜ合わせたような色合いの髪が特徴的な真面目そうな雰囲気の男性だった。ブランカは何故かその人に、既視感を覚えた。
「お疲れ様です。警視正」
「お勤めご苦労様です。大変な事態になりましたね」
「ええ、本当に。それはそうと、いかがなさいましたか」
「あぁ、下でノール中尉に頼まれて来ました」
その男性は一歩室内に踏み込むと、まっすぐにブランカに向けてフラウジュペイ警察の紋章が入った黒い手帳を示した。
「私はフラウジュペイ警察の者で、ノール中尉が遂行する任務の調査協力をしています。下で彼に会い、白い髪の娘を連れてきて欲しいと言われましたが、あなたのことですね? あなたの事は聞いています。私と一緒に来てもらえますか?」
彼は丁寧な口調で尋ねてくるが、ブランカに選択肢などないだろう。正体を知られた以上、抵抗するつもりもない。
ブランカが頷き彼の元へ寄ろうとすると、ロマンがその前に立ちはだかった。
「すみません。失礼を承知で聞きますが、本当にそれはヴォルフが言ったのですか? 彼がここを離れて十分も経っていません。何があったのか知りませんが、その間に彼に会って事情を話せるほどの時間があるとは思えないのですが」
ロマンにしてはやや棘のある口調でやけに疑り深く、不遜な目つきでフラウジュペイ警察の男性を見据える。これにはブランカもレオナも息を飲んだ。
確かにロマンの言うとおり、ブランカを呼びに来るには少々早い気もする。それに妙だ。ヴォルフは先程あれだけ部下の兵士に念押ししていたのだ。それなのに、余所の組織の人間をこんな短時間の間に寄越してくるのは、彼の性格からして考えにくい。
しかし、そのフラウジュペイ警察の男性は、表情を変えることなく冷たく言い放った。
「その十分の間に中尉から事情を聞き私がここに来たのです。こればかりはご理解下さいとしか言いようがありませんし、これ以上止められても業務妨害になります。とにかく急ぎですので、あなたは控えていただけますか」
フラウジュペイ警察の男性とロマンの視線がぶつかり、真ん中で火花を散らす。思わぬところで不穏な空気が流れ始めてしまった。
確かにフラウジュペイ警察の彼の言うことは不可能ではないし、状況としては十分考えられる。むしろ、ここでロマンが口を挟んで軍部や警察の任務に遅れを取らせれば、彼の方が危うくなるのではないだろうか。
ブランカはロマンの身体を押しのけ、一歩前に出ようとした。
「ロマン、大丈夫。安心して――」
「なら、僕も同行をお許しいただけますか? 僕はこの子の保護者代わりなので」
「ロマン!?」
ロマンはちらりとレオナに目配せをすると、挑むような視線をフラウジュペイ警察の男性に向けた。口調も彼にしてはやけに好戦的だ。
フラウジュペイ警察の男性はあからさまにうんざりする。
「はぁ。しつこいですが……いいでしょう。認めます。では行きましょう」
彼は剣呑な瞳でロマンの鋭い視線を受け流しながら、先に部屋を出た。彼の仕草と口調に再び既視感を覚えつつも、ブランカはそれに続く。その後ろにロマン、そして最後尾にヴォルフの部下が並ぶ。
部屋にレオナを残したまま、四人はエレベーターホールに向かって歩き出した。
同じ頃、ヴォルフはホテルのエントランスにいた。
『ブラウン少佐が撃たれた』という部下のもたらした情報を聞いて、ここまで駆けてきたのだ。
しかし不思議なことに、そこにはブラッドロー兵士の姿はない。それどころかホテルの従業員や客は何事もなかったかのようにいつも通りだ。
明らかにおかしかった。
「すみません。先程ここで銃撃事件があったと聞いたのですが……」
受付に座る従業員に尋ねるも、彼らはむしろ不審な目をヴォルフに向けながら、それを否定してきた。
――一体どういう事だ?
疑問が頭をもたげたとき、ホテルのエレベーターから見知った人物が降りてくる。
タバコを片手に持った中年とも青年ともとれる男性。彼こそが、撃たれたはずのブラウン少佐だった。
「お、ノール。どうしたんだ?」
ヴォルフの緊迫感とは裏腹に、ブラウン少佐はのんびりとした様子だ。
「少佐、先程部下からあなたが撃たれたと伺ったのですが」
「はぁ? 何を言っている。俺はこの通り何もないぞ。そんなこと、どいつが言ったんだ」
「二年目の兵士なんですが、わざわざ部屋まで言いに来て。しかし、一体何でこんな事を……」
ヴォルフがそう呟いていると、ブラウン少佐がハッとした。
ブラウン少佐が厳しい視線をヴォルフに向けた。
「お前を部屋から引き離すため……とかな。何か、もしくは誰か、部屋に入れたか?」
「俺を部屋から引き離す……まさか……!」
頭によぎった考えに、ヴォルフはフロントの電話を奪った。
「至急、外に通じる扉を全て封鎖しろ! 白い髪の女がいたら絶対に外に逃がすな!! 少佐はこちらで見張っていて下さい!! 白い髪の娘こそ、例の人物です!!」
特に信頼のおける部下数名にそう指示を出し、ブラウン少佐に手短にそう言ったとき、フロントに電話が掛かってきた。
受付に座る従業員が応対し、神妙な顔をヴォルフに向けた。
「ノール様。お連れのお嬢様が警察に連れて行かれたと、同室の女性が――」
従業員が言い終える前に、ヴォルフは走り出した。
――やられた!!
先程ロビーで会ったフラウジュペイ警察の警視正ニコラ・マルシャン。彼にどういう目的があるのか分からないが、おそらくブランカを連れて行ったのは彼だろう。部下が彼とグルだったか利用されただけなのかは分からないが、ヴォルフは完全に嵌められたのだ。
目的の人物がそこにいたのに目を離したのはヴォルフの失態だ。何としてでも止めなければ!
「ノール! 単独で深追いは絶対やめろよ!!」
後ろからブラウン少佐の声が聞こえてきたが、ヴォルフは構わずホテルの裏口へと駆け出した。
三階のエレベーターホールが近づいてきたとき、前方にいたフラウジュペイ警察の男性がちらりとブランカに横目を流してきた。
「お嬢さん。中尉から伺っているかもしれませんが、実は私たちはあなたをお探ししていたのです」
「え……? 探していた? どうして……?」
「どうしても何も、理由はお分かりでしょう?」
彼はニヤリと口角を持ち上げた。その表情と声に嫌な予感が駆け巡ったとき、後ろで異変が起きた。
「ぅぐ……っ!? 何を!?」
聞こえてきた声にハッと振り返れば、ロマンがヴォルフの部下に押さえ込まれていた。
「少し大人しくしていてもらえますか……っ」
「ロマン!」
「ブランカ、逃げ……っ」
どうしてこうなっているのか。混乱する頭のままに咄嗟にロマンに駆け寄ろうとするが、彼女の腕をフラウジュペイ警察の男性が止めた。その瞬間、ロマンの身体が床に崩れ落ちる。
「嘘……ロマン! どうしてロマンが……っ」
「さぁ行きますよ」
「待って! ロマンが何でこうなって……!?」
「いいから来い」
フラウジュペイ警察の男性は突然ドスの利いた低い声を出し、ブランカに拳銃を突きつける。思わずブランカが身体を強ばらせ抵抗が弱まった隙に、ロマンをその場に投げ捨てたヴォルフの部下がブランカの身体を担ぎ上げる。
「ちょっ待って! 放して!!」
「大声を出すな。急ぐぞ、他の兵士に気付かれる前に消えるんだ」
「誰かっ誰――むぐっ」
ブランカは力の限り助けを呼ぼうとするが、そうする前にフラウジュペイ警察の男性にハンカチを口に突っ込まれてしまったため、叶わない。そうこうしている間に、ブランカはヴォルフの部下に担がれたまま非常階段へと連れ込まれてしまった。
フラウジュペイ警察の男性とヴォルフの部下は急いで階段を下りる。どう考えてもヴォルフの元へ向かっているようには思えない。
一体どこに――。
そう考えたとき、嫌な予感が頭の中をよぎった。
ヴォルフの元に来て、
しかし、この状況はどう考えても――。
途中で何度も藻掻くが、たった三階の距離は地上に降り立つまでそんなに時間が掛からない。結局ブランカはそのまま地上に連れて行かれ、非常口の外に出されてしまった。
そうして目の前に止まるは、見覚えのある一台の車。品のいいスーツに身を包んだ愛想のいい中年の男性が二人、車の前に立っていた。
フィルマンとカミーユだった。
「兄さん、この子だろう?」
「ええ、助かりました、ニコラ」
フラウジュペイ警察の男性が、カミーユと親しげに話すのを見て、ブランカはハッとした。さっきの既視感の正体は、カミーユと彼が兄弟だったからなのだろう。
しかし、もはやそんなことはどうでもいい。自分は罠に嵌められたのだ。
ブランカはフィルマンを睨み付ける。
「まさかここに逃げているとは思わなかったが、鬼ごっこはもう終わりだよ、クラウディア。君をこれからアメルハウザー氏のもとへ連れて行く」
――やっぱり!!
出て来た名前に否を唱えようにも、ハンカチを押し込まれていては叶わない。ブランカは必死に身を捩るが、尚もヴォルフの部下に押さえ込まれてしまう。
すると近寄ってきたフィルマンが、ブランカの口からハンカチを取り除いた。ブランカはすぐに助けを呼び叫ぼうとするが、その代わりに口元に別の布を押し当てられた。布に染みこんだ妙な匂いを、思わずブランカは嗅いでしまった。
――ダメ! しまった……!!
「ふふ……君は思ったより反抗的なようだからね。しばらく大人しくしていてもらうよ」
フィルマンが全てを言い終える前に、ブランカは意識を手放していた。
視界の端で、ヴォルフが走ってくるのを捉えながら――。
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