第10話

「〈英知〉を護るのが、〈英知〉保有者であってもおかしくない。ちなみに当人がその事に気づいていない例はこれで7563人目だ」

「……」


 〈守護者〉、いや、納は、憮然とした顔で醍羽を見つめていた。

 不断のおどおどとした頼りない雰囲気は微塵もなく、冷徹な眼差しで敵を睨む戦士であった。

 どちらが本当の納か、あるいは両方とも偽りの顔なのか。


「それだけじゃない。――“思い出せ”」


 醍羽のその言葉に、険しい顔をしている納は、ビクッ、となった。

 杜恵の時といい、醍羽は彼らが忘れてしまったモノを全て知り尽くしているのであろうか。

 そんなコトが可能なのは、たった一人しかいない。しかしそれは、〈探求者〉ではないハズだ。


「病院で死んだ父親の亡骸の前で、おたくはあの時、何を想った?」



 窓から暖かい陽射しが注がれる病室の中で、ベットで起き上がっている父親と、幼児の頃の納が談笑していた。

 納の父親は、ごく普通のサラリーマンだった。

 納を産んだ妻が身体を壊して鬼籍に入って以来、納の父親は男手一つで息子を育ててきた。

 大学時代は登山部で身体を鍛えていた甲斐があり、息子の為に多少の無理をしても大丈夫だったが、疲労とは無関係な癌に身体が蝕まれているコトに気付いた時、納の父親は途方に暮れた。

 それでも、健康になると信じてくれている息子を思うと、情けない顔だけは絶対しまいと誓っていた。

 だからなのかも知れない。納がやつれていく父親を見ても、決して笑顔を絶やさないその理由は。

 納もまた、そんな父の想いを幼いながらに察し、必死に励ましていた。


「おとーちゃん、がんばってね。ボクがおいしゃさんになって、ガンなんかかんたんになおす、おクスリつくってみせるから」

「はは。わかっているさ、待っているよ」


 納の父親は、酷くやつれた顔で精一杯の笑みを浮かべ、嬉しそうに納の頭を撫でた。


 納の父親は、その手応えが自らの生き甲斐だと思い、必死に病魔と闘ってみせた。


 幼児の納の頭から、父親がもたらす力強い質量と暖かみが瞬時に失われた途端、世界は暗闇に染まった。

 納の目の前には、癌で死んだ父親がベットに横たわっていた。

 死んでしまった。頑張ると言ったのに、父親は死んでしまった。

 裏切られたような気分がして、納は大声で泣いた。


『……泣いてばかりでどうする?』


 不意に、納は背後から聞こえた、その聞き覚えのある声に反応して振り返った。

 目覚めた頃には忘れてしまう、夢で見るいつもなら、そこには漆黒の人影しか居ないはずである。

 そこには醍羽が居た。


『……さっき、おたくが言ったコトを、そのまま泣いて忘れる気か?――“思い出せ”』



 全てを思い出した納は、呆然となった。


「あの時、俺も居たコトを、やっと思い出したか?」

「……なんで、あすこにキミが……!?」

「〈英知〉の発露には、必ず立ち会う主義なのさ」

「〈英知〉――――」


 醍羽は頷いた。


「〈英知〉は、人類の発展のために大いなる存在が授けた『奇蹟』の力だ。

 だが、その力は人には決して万能ではない。使いこなすだけの素質を備えたものでなければ、許されない力だ。

 そして、それに見合った『こころ』を必要とする」


 そう言って醍羽は自分の胸を指した。あろう事か、醍羽、胸の傷が綺麗に消え去っていた。


「〈英知〉は強い『こころ』に誘発される。あの時のおたくには、〈英知〉を発露するに値する『こころ』があった。

 だから俺は、他の〈探求者〉よりも先にあの場に召喚された。

 そして、おたくをずうっと見守ってきた。でも発掘せず、どうして見守っていたか、わかるか?」


 訊かれたが、納は黙ったままだった。


「おたくが幼すぎたからだ」

「―――」

「幼いが、しかしその『こころ』は〈探求者〉を呼び寄せるほど強く――そして、純粋だった。

 だが、その純粋さが曇るのは速かった」

「だって……」

「幼いながらに、立派な医者になる夢を持っていた。

 だが、性に合わない学習の所為で成績が伸び悩み、いつしかその純粋な夢を、ただの夢と思うようになった」

「ボクには…………うわっ!?」


 戸惑い俯く納の鼻先に、醍羽はいきなり槍の先を突きつけた。


「でも、無理じゃないんだ。――無理なら、俺はあの時、おたくの元に現れなかった」

「……!?」

「〈英知〉は想いの強い者の『こころ』と伴にある。今からでも、遅くはない」

「遅く……ない?」


 呆然となる納の元へ、槍を下げた醍羽がゆっくりと近づいていった。

 間近までやって来たとき、納は醍羽の顔を真っ直ぐ見つめた。


「……教えてくれ。ボクの〈英知〉とは何なんだ?」

「〈英知〉に真の姿はない」

「え?」

「言ったろう?〈英知〉は『奇蹟』だって。『奇蹟』は形など無い。だから――」


 醍羽は、納の右手を、ぽん、と軽く叩いた。


「キミのこの手で、形を作る。そういうものだ」


 醍羽は、にっ、と笑ってみせた。

 しかし納は、思わず顔を背けた。そんな納を見て、醍羽は、やれやれ、と愚痴た。


「無理じゃないって。おたくには、それが出来る力を持っている。

 そして、その力を発露させたのは――」


 今度は、納の胸元を、ぽん、と叩いてみせた。


「誰もが持っている、何かを願う心だ」

「……」

「奇蹟は、因果無くして起こるモノではない。誰かが何かを望んだから、起きるのだ。――俺の言葉は信じられるのだろう」

「え?」


 納は戸惑うが、やがて頷いた。不思議だが、醍羽の言うコトなら自然と信じられるのだ。


「他人を信じられるのなら、自分だって信じられるだろう?」

「それは……」


 否定しようと思ったが、やはり上手く言葉にならない。

 というより、醍羽の言葉が胸の底に響き渡り、否定したい思いが見る見るうちに消え失せてしまうのだ。

 いったいこの少年は何者なのだろう。納は醍羽の顔をまじまじと見据えた。

 見つめられて、醍羽は頭を掻いた。

 その姿が、いつの間にか納そのものに変わっていた時、納は不思議と驚かなかった。


「……だから、か」


 納は全てを納得した。彼が自分の傍に突然現れた理由と、そしてその正体を。


「正確に言うと、鏡みたいなモノだ。〈英知〉が発露した瞬間、俺はおたくのそばに現れたのはその為だ。

 もっともこの姿ですら、本当の俺の姿かどうか、俺にもよく判らん」


 納の姿をした醍羽は、肩を竦めて苦笑した。


「これで信じられるだろう?――信じろよ、自分で起こせる『奇蹟』の力を」

「善処するよ」


 納も苦笑してみせた。まさに鏡であった。


「あとは、どんな奇蹟を形にするかは、おたくの信じるこころ次第だ。――彼女が待っている。頑張れよ」

「えっ?」


 醍羽はそう言うと、納の顔を手で覆った。

 同時に、二人が居る黄昏色の世界が白く染まった。

 その中で、黄金色の光が灯った。

 それはまさしく醍羽の〈発掘指〉が放つ光であった。何と神々しく、そして熱く眩しい煌めきであろうか。

 しかし我々は、人がそれと同じ色の光を放つ瞬間を知っているハズだ。

 情熱をエネルギーに、夢を実現させた人々を、我々は眩しく感じたコトはないか。


「見つけたよ。――これが、おたくの〈英知〉だ」

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