第9話
杜恵はいつから〈探求者〉として生きてきたのか、忘れていた。
気が付いたら、〈探求者〉になっていたと言った方が良いかも知れない。
思い出せる一番古い記憶は、醍羽と同い年ぐらいの少女の姿。
震災で焼け野原になった東京を一人、歩き回っていた時のものだった。
その時はいったいどんな〈英知〉を探していたのか、しかしもう思い出せなかった。
〈英知〉を発掘するコトを使命に――いったい誰から授かった使命なのか判らない――する〈探求者〉にとって、発露した〈英知〉の行く末など興味がない。電気スタンドのスイッチをオンにして灯りを点けるぐらいにしか感じないのだ。
そんな不毛な使命に嫌気を感じて、自分勝手に動こうとする者が出てしまうのは当然なのかも知れない。
杜恵も、この使命を何度放棄したいと思ったコトか。
納と知り合ったのは、そんな時だった。
新たな〈英知〉の発露を感じた杜恵は、納に近づくべく、まるでそこへ来るコトを知っていたかのように、祭木家の養女になって納を待ちかまえていたのだ。
どうして納に惹かれてしまったのか、杜恵は判らなかった。
〈英知〉を収める器。そんなぐらいにしか感じないハズだった。
だが、あの日あの時――祭木家に引き取られて初めて対面した時、納は自分を心配する周囲に気付いて、泣くのを止めて笑った。
杜恵は、そんな納がとても強い子だと感心した。――いや、それ以上に。
杜恵はその時、納に〈英知〉以上の何かを感じたのは確かだった。
だから杜恵は、本来の使命を放棄して蜜に群がる虫が如く、納に近づいてくる不良〈探求者〉たちを、死力を尽くして屠ってきたのだ。
決して自分が〈英知〉を独占するためではない。
純粋に、〈英知〉を発現しつつある納を守りたかっただけであった。
昔と違って、今の納はまるっきりやる気のないおちこぼれ少年である。
初めて会った時の、幼いながらに気高い志を持っていたあのこころは何処へ行ったのか。
嘆息しつつ、それでも納を守り続けている理由が、納に男を感じた為と気付いたのは、最近のコトだった。
あるいは、心のどこかで信じているのかも知れない。
自分を惹き付けた〈英知〉保有者が、そんな情けない男であるワケが無い、と。
信じていれば、いつか願いは適う。
「?!」
突然、今の言葉が杜恵の脳裏を過ぎった。それは遥か昔に聞いた言葉であった。――いつ、誰から?
そして杜恵は、醍羽の顔を見た。
杜恵は気付いてしまった。
この小憎らしい餓鬼の顔を見たのは、もしかすると今回が初めてではなく、どこかであったコトはないかと言うコトに。
その途端、杜恵は、忘却していた記憶の一部が蘇った。
村の外れで、戦に出た父親を待つ毎日。独り、手毬で遊ぶ村娘が居た。
結局、父親は帰ってこなかった。もっとも還ってこられないかも知れないとは思っていた。
そんなある日、「それ」が声をかけてきた。
どうしたんだい、と。
おとうをまっている。
還ってきたのか、と訊いてきた。
ううん。かえってこないかも。
そうか、と、「それ」は哀しげに頷いた。
……でも。
村娘がそう洩らすと、「それ」は不思議そうな顔をした。
……しんじていれば、いつかねがいはかなう。
彼女はそう言った。
〈探求者〉であった杜恵に、幼い村娘は、満面の笑みを浮かべてそう答えた。
その言葉に、村娘の中にあった〈英知〉を発掘しに来た杜恵は、心が洗われるような想いがした。
自分は、〈探求者〉と言う者は、本当はこんな笑みを見たいが為に使命に忠実だったのではないか、と。
杜恵は暫くその村に滞在し、村娘の〈英知〉が発現したのを確認すると、また流浪の徒となった。
村娘に発露した〈英知〉が人類に何をもたらしたのか、杜恵は知らないし、知ろうともしなかった。
ただ、基本を思い出させてくれたあの村娘の笑顔が見られただけでも、杜恵には充分な収穫であった。
不思議と、納のあの時の笑みは、あの村娘に良く似ていた。
だから、納に惹かれてしまったのだろう。
杜恵はそう想うと、永年の謎が一気に氷解したような、そんな晴れ晴れとした気分になった。
「我々の“基本”は、思い出せたかい?」
醍羽が訊いた。
「ええ。――え?!」
杜恵は驚いた。まるで醍羽が、杜恵が思い出した感慨深い過去の記憶を見透かしていたかのようである。
「なんでそのコトを」
杜恵が聞き返したその時だった。
醍羽を見る杜恵の目が見る見るうちに大きく見開かれ、唖然とも呆気ともつかぬ顔で絶句した。
しかしそれはほんの僅かであった。醍羽を見る杜恵の目には、再び警戒の光が宿った。
次の瞬間、杜恵は舌打ちするや、必殺のスピードで醍羽に蹴りを放った。
だが醍羽はそれを、空いている左手で易々と掴んでみせた。
杜恵は離れようとするが、醍羽の信じられない握力はそれを許さなかった。
「やめとけ。〈探求者〉の掟を忘れたとは言わせないぞ」
「?!」
醍羽に睨まれ、杜恵は青ざめた。人を和ませる優しい瞳を持つ少年は、同時に、人を威圧する凄絶な瞳も持ち合わせていた。
「〈探求者〉の使命は、歴史の影で人知れず、人の進化を正しく導くコトにある。
それがどうだ、今時の〈探求者〉は、人である為に、あんな醜い欲に駆られて道を誤る。
人は、神にもなれる素質があるのに、そのおごりばかりが突出する。
その為に、人は今日まで何度滅びかけたと思う?」
「う、うるさい!」
そう言って杜恵は、蹴り足を掴んでいた醍羽の手を振り解いた。
今度は不思議と、簡単に外れた。醍羽が故意に手放したのであろう。
「だからといって、貴様は、人がこのまま滅びの道を歩むのを黙ってみていろと言うのかっ?!」
「――」
杜恵は怒鳴った。ヒステリーのそれではなく、何処かもの哀しげな悲鳴のようであった。
「あんたが何様――」
そこまで言って、杜恵はまた、はっ、と驚くが、直ぐに迷いを振り切るように頭を横に振り乱した。
「まさ……か――そんなハズはない!
あんたが“ナニサマ”だか知らないが、〈探求者〉が大いなる存在の意志に甘んじるコトが、絶対正しいなんてコトは無い!
人は、大いなる存在が敷いたレールなんて忘れて、人の意志でもっと発展するべきなんだよ!」
「それが、人の滅びを早めることになっても、か?」
「それが人の未来ならば!」
「本気でそんなコト、言っているのか?」
また、醍羽は凄絶な眼差しで杜恵を睨んだ。
杜恵は背筋が凍り付き、言葉を詰まらせてしまった。
「……滅びはアポトーシスに刻まれた、生きとし生けるものすべての宿命。しかし、滅ぶために生きるのではないぞ」
「―――」
「〈英知〉はそんなモノのためにあるんじゃない。――“忘れたか?”」
醍羽がそう訊いた瞬間、杜恵は全身が凍り付いた。
「い、今のは、…………やはり、貴様――いえ、“あなた”は?!」
慄然となる杜恵は、何を思い出したというのか。
そして醍羽が、杜恵が忘却していたというモノを全て知り尽くしているその理由とはいったい何なのか。
そもそも、この幼い風体に不似合いな、超絶たる力の主は、いったい何者なのか。
「人が人であるコトを主張するなら、安易に〈英知〉に頼るな」
「あなたは……〈探求者〉なんでしょう?」
訊かれて、醍羽は暫し無言でいた。
やがて、口元をつり上げてみせた。
「俺が、〈探求者〉だ」
醍羽がそう答えると、杜恵は膝から崩れ、がっくりとうなだれた。
そんな杜恵を見て、醍羽は、ふう、溜息を吐いた。
やがて杜恵は、ふふふ、と自嘲気味に笑い始めた。
「……で、どうする気?」
「〈探求者〉の掟は絶対だ。――わかるな?」
「殺すのね」
杜恵は覚悟を決めていた。
すると醍羽、にっ、と笑い、
「いーや。今まで頑張ってくれたようだが、おたくは〈探求者〉失格だ」
「え?」
「〈探求者〉の本分を忘れて〈守護者〉の真似事をするような“女”は、〈探求者〉じゃない」
そう言うと醍羽は、杜恵に近づき、持ち上がったその額に〈発掘指〉を当てた。
「だが、そういう生き方も素敵だよ。幸い、彼も好意を抱いている。くどいくらい尋ねた甲斐があった。
悪いようにはしない。あとは任せな」
「え……」
杜恵が呆気にとられた途端、醍羽は杜恵の額に中指と人差し指を当てた。
光るそれはまさしく〈発掘指〉であった。
ずぶっ。醍羽の〈発掘指〉が、杜恵の額の中へ第一関節まで沈んだ途端、杜恵は色を失い、消滅してしまった。
「さて」
杜恵を消失させた醍羽は、ゆっくりと振り向いた。
その背後には、下の階に墜落したハズの〈守護者〉が立っていた。
「彼女は現実に戻した。安心したろ?」
まるで醍羽は、〈守護者〉が杜恵を気にかけているのだというコトを見抜いているかのようである。
〈守護者〉は何も答えなかった。正解なのか、無視しているのか、どちらとも言えない沈黙だった。
「さぁ、ラスボスとの一騎打ちとしゃれ込みますか」
醍羽は床に突き立てていた槍を取り上げ、構え直した。
同時に、〈守護者〉は挑みかかってきた。今度は、〈守護者〉は大鎌ではなく、巨大な両刃刀を振りかざしていた。
凄まじい勢いで振り下ろされるそれを、醍羽は槍で受け流した。
その後から、〈守護者〉の背中から生えた新たな両腕が持つ大鎌が、醍羽の右肩から左脇腹を走り抜けた。
意外な攻撃に、しかし何故か憮然とする醍羽の顔に、胸から噴き上がった朱色が散った。
「他愛のないものだな」
「悪いな」
無言だった〈守護者〉が物足りなさそうに言った途端、死んだと思っていた血塗れの醍羽が応えた。〈守護者〉はぎょっ、と驚いた。
「貴様、不死身か――」
「だってさ、反撃するワケにはいかないし」
そういって醍羽は、直ぐ目の前にいた〈守護者〉の仮面に手をかけ、外した。
仮面の下には、納の顔があった。
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