第6話

「醍羽くん!?」

「レベル低いのはお前のほうだ。――さて」


 刃ネズミの醍羽に唾を吐きかけると、矢渕は、腰を抜かして怯える納のほうに近づいていった。


「せ、先生ぇ! ど、どうして!」

「お前は聞かなかったのか、〈英知〉のコトを?」

「え、〈英知〉?!」


 戸惑う納に、矢渕はしゃがんでから頷いた。


「そうさ。お前の中に眠る〈英知〉は、俺のモノだ」

「? そ、そんなもの、あるわけ無いよ!」

「いーや、あるんだよ」


 そう言って矢渕は、がたがた震える納の顎を掴んだ。


「〈英知〉は特定の人間だけが持っている。

 かつて大いなる存在が、人類の進化を段階的に行わせるために、大いなる存在たちの〈英知〉が人類の精神の奥にしまい込んだのだ。

 わかるか? 神である彼らの知識を手にすれば、俺も神になれるのだ。

 その〈英知〉の一片が、お前の精神の中に収められているのだ」

「で、でも――そんなもの、僕には埋め込まれた覚えが――」

「そうさ、無ぇ。――しまい込まれたのは、最初の人類の精神(あたまのなか)だ。

 だが、その〈英知〉が発露するのは、子孫だ。進化は段階的に行われる。

 その力を持て余さないように、プログラミングされているのだ。藤次、お前の〈英知〉の実は熟した」

「何でそんなコトが――」

「匂うのさ。〈探求者〉はその匂いを感じ取ることが出来る」

「〈探求者〉は、〈英知〉の発露を感じ取れる人間だからな」


 その声は、納でも矢渕が発したモノでもなかった。


「き、貴様――」


 声に驚いて振り返ったそこには、全身びっしりとナイフが刺さっている醍羽が立っていた。

 しかし矢渕が振り返った途端、醍羽の全身に突き刺さっていたナイフは全て粉々になった。

 醍羽の身体には傷一つ無かった。


「しかし、その力は決して〈探求者〉が得てはならない。

 そう言う「掟」だ。”忘れたか?”」

「く、食らえッ!」


 酷く驚く矢渕は、慌ててナイフを放った。

 だが、飛来するナイフに、すべて醍羽に届かず、その手前で静止した。


「空間を掘った。――この『発掘指』で」


 そう答えた醍羽の周囲をよく見ると、宙で静止しているナイフには全て刃が消失していた。


「ナイフの刃はすべて、空間に掘った隙間に差し込まれた」


 醍羽の言うとおりならば、消失している刃は、この通常空間に設けられた空間の隙間に刺さっているというのか。

 この攻撃をそれで塞いだというのなら、先ほど醍羽の全身を埋め尽くしたナイフの豪雨も同様にして敗ったのであろうが、それを一瞬にして、飛来する刃の軌道を予測して果たしたというのか、この少年は。


「そ……そんな、バカなっ?!」

「バカではない。醍羽、だ」


 醍羽はそう言って、ふっ、と気障に笑い、両手の中指と人差し指を立ててみせた。


「〈英知〉を掴む俺の「発掘指」は、光よりも速く動ける。こんなナイフ技なんざ怖くも無ぇ」


 あまりのことに言葉もない納。たとえ説明されても、常識の範疇外など理解出来るハズもなかった。

 醍羽はそんな唖然とする納を無視し、矢渕を睨んでみせた。


「〈探求者〉の掟は絶対だ。欲をかかなければ、まっとうに暮らせたのに」

「う、うるせぇ! 手前ぇだって〈探求者〉だろうが!

 〈英知〉の力を知らぬワケではないだろうが!」

「知ってるさ」


 矢渕と納は、そう答える醍羽の顔を見て、ぞっとした。

 子供がするものでもないし、ましてや大人だったとしても。

 背筋を凍らせる笑みとは、そんな顔なのだろう。


「知っているから、ここへ来たんだ」

「だ、だったら!」


 急に矢渕は卑屈に笑い、両手を揉み始めた。


「……だったら、なに?」

「て、手ぇ組まないか?」

「手を組む?」

「そうさ! 藤次には昔から手強い野郎がついていて、なかなか手が出せなかったんだ!

 だが、お前、いや、あなたなら――悪い話じゃないぜ?」


 子供相手に、あなた、呼ばわりである。矢渕という〈探求者〉の形振りかまわない俗物さが如実に現れた言葉であった。

 そんな矢渕を見て、納は、不断の厳しい印象のあった国語の教師の姿が、酷く遠くに感じた。

 醍羽は黙り込んでいた。何かを考えているようであった。

 その様子に、矢渕はうまくいった、とほくそ笑んだ。

 しかし直ぐにそれは青ざめ、驚愕の相に変わった。


「はぁ。……教師という生き方に甘んじていれば良かったものを。

 不相応な力は、やはり人を滅ぼさずにはいられないのか。――聞く耳、持たん」

「こ、このっ!」


 交渉に失敗したと知るや、矢渕は全身から無数の刃を出し、再び醍羽に投げつけようとした。

 だが、今度は、発射される前に、一瞬にして間合いを詰めた醍羽が手にする槍が閃き、矢渕の背から槍の穂を生やしていた。

 槍は刃の鎧を刺し貫き、心臓を貫いていた。矢渕は断末魔さえ口にする事も叶わなかった。

 その光景をみて、納は思わず悲鳴を上げた。


「な、なんてコトを! 先生を殺したなんて!」

「こいつが死んだのは、おたくにも責任がある」

「な――」


 恩師を容赦なく殺し、その上その責任を納にあるという。納は、この奇怪な少年が酷く忌々しい存在に感じた。

 それでも、怒りが湧かなかった。

 醍羽の静かな眼に魅入られている所為ではなく、納自身が、何か後ろめたいモノを感じていた所為だった。


 そうさ。――お前の中に眠る〈英知〉は、俺のモノだ。


 矢渕の言葉が納の脳裏に蘇る。

 そう、この争いの元となった、〈英知〉と呼ばれるモノが、自分の中にある。自覚はないのに、実感だけがあった。

 理解出来ないのに、自分の中に、〈英知〉と呼ばれるモノがある、という実感は、納の中で確かなものとなっていた。


「〈英知〉は〈探求者〉を引きつける。

 それは花弁の甘い蜜であると同時に、死が待つ蜘蛛の巣でもある。〈英知〉はそれだけ人を惑わすんだ」

「む、無茶苦茶だぁ! 勝手なこと言うな!」


 納は怒鳴るが、その声の何と弱々しいコトか。


「そうさ。〈探求者〉ってヤツは勝手なコトを言うロクデナシばかりさ。――だが」


 醍羽は、煙を上げて消えゆく矢渕の亡骸を哀れむように見つめ、


「人には知らなくても良いコトがある。

 この男も、〈英知〉さえなければ、普通の、良い教師の人生をまっとう出来た」

「………」

「この男だけじゃない。〈英知〉を虎視眈々と狙うモノたちはゴマンと居る。

 そしてそれは、藤次納、おたくの親しい人たちの中にも居る」

「えっ――」

「彼らは〈英知〉を狙っている。だが、〈英知〉を解放すれば、彼らは〈探求者〉で居る必要な無くなる。

 普通の優しい人生を、平穏無事に過ごせるんだ」


 納は唖然となった。醍羽の説明に、というより、ふとこぼした醍羽の微笑みの所為なのかも知れない。


「こんなに酷くなっている以上、もはやおたくの中で発露しようとしている〈英知〉を野放しにするわけには行かない。――発掘の時は来た」

「発掘……って」

「おたくの精神の奥にある〈英知〉は目覚めの時が来ている。

 欲に目が眩んだ〈探求者〉たちの手に落ちる前に、俺が発掘する」


 醍羽は、びしっ、と納の顔を指した。

 納は、そんな醍羽に魅入られたかのように唖然としたまま、その場に立ちつくした。


「それが〈探求者〉の使命だから」

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