第5話

 記憶の片隅に未だに残っている、あの日の昼過ぎ。

 祭木家の玄関で、杜恵は立っていた。

 納は、杜恵の父と並んで玄関の中に入っていった。

 納は泣いて顔をくしゃくしゃにしていた。

 だが、玄関の中で不安げに自分を見つめている杜恵に気付くと、納は慌てて涙を拭い、そして笑った。



「……納、あたしのコトを気遣って泣き止んだ。あれみてさ、優しくて、そして強い男の子だって思ったんだよ」


 杜恵は実に嬉しそうに言う。そんな杜恵の笑顔に、納はいっそう狼狽した。


「い、いや、ただ恥ずかしかっただけだって」

「そんなこと、ない。だからさ、あたし、思ったんだ。守ってあげよう、って」

「お、おい」


 狼狽している納に、再び杜恵は顔を近づけてみせた。

 息のかかる距離だった。


「もっと、自信もってよ。納は、何でも出来る。ずうっと見てきた私が保証するからさ」

「……」

「ふふっ。照れちゃて。可愛い」

「よ、よせよ!」


 赤面する納は、杜恵を押しのけた。

 その押しのけた手は、見事に、そしてうっかり、杜恵の胸を押してしまった。

 まだ発達途中の薄い胸だったが、それでも納には、杜恵に異性を感じさせるのに充分な具合であった。

 これには杜恵は、ぎょっとした顔で硬直してしまった。


「ご、ごめん!」

「このH!」


 ぱんっ!小気味良い、渇いた音が辺りに拡がった。

 杜恵は、納を平手打ちした後、怒相をそのままにその場から立ち去っていった。理不尽と言えば理不尽な怒りである。


「偶然だって……」

「あはは~~」

「……へ?」


 その聞き覚えのある、能天気な笑い声は、直ぐ傍にある桜の樹の上からであった。


「あっ!? き、キミは!」


 先ほどまでそこには誰もいなかったハズなのに、いつの間にか枝の上には、腹を抱えて笑っている醍羽がいた。


「いつの間に……?」

「おはやう」


 そう言うと醍羽は、納の直ぐ傍にある窓から、校舎の中へ颯爽と飛び込んで来た。


「凄い身軽……って、いったいキミは」

「うるさいの、居なくなったよね」

「み、みてたの?」


 ほんの、今の今までその気配すら微塵にも感じさせなかった醍羽が目撃していたとして、いったい何処にいたのであろうか。

 納は辺りをきょろきょろ見回すが、校内にも庭にも、そして桜が散って枝が丸裸になっていた桜の樹にも、醍羽が潜んでいられる場所などなかった。

 すっかり唖然となる納に、醍羽は相変わらずセクハラオヤヂな笑顔を作った。


「いやぁあ、すっかりラヴラヴでしたなぁ。堪能させていただきました、うひひ」

「……キミはいったい何者なんだ?」

「言ったろ?ただの宝探し屋だって」

「宝……〈英知〉だっけ」

「いえーす。――スリル満点の商売さ!」


 そう言った途端、醍羽は身を翻し、背後の廊下の奥から飛んできた鎖付きナイフを、いつの間にか手にしていた槍ではじき飛ばした。

 ナイフが飛んできた廊下の奥に、男が居た。

 男以外、生徒は誰も居なかった。そればかりか、校内が異様に静まり返っていた。


「結界を張ったか。新手だね」

「ま、まさかあいつも〈探求者〉?――って、あっ!」


 近づいてくる男の顔を見て、納は声を上げた。


「矢渕先生!?」


 醍羽にナイフを投げてきた男は、まさしく国語の教師、矢渕であった。


「そいつは俺が目を付けていた〈英知〉だ。手を引け」

「え?」

「なぁ」


 目を丸める納に、醍羽が訊いた。


「あれは、知り合いか?」

「国語の先生だよ。――なんで先生がぁっ!」


 納は一体何が起こっているのか理解出来ず、錯乱した。

 すると醍羽は、納をかばうように前に出て槍を構えた。


「〈探求者〉という人種は、不断は一般人だ。

 それは〈英知〉に悟られぬよう、長い時間をかけて近寄ってくるためでもある。

 いったい、いつ頃からなんて、考えない方がいい。

 いつの間にか身近に居る。〈探求者〉とはそういう人種だ」

「なんで――うわっ!」


 納が訊こうとすると、突然、醍羽は納を突き飛ばした。

 それは矢渕の放った鎖付きナイフから避けさせる為であった。

 醍羽は全てのナイフを槍の穂で弾くと、矢渕に飛びかっていった。

 襲いかかる醍羽に、矢渕は身を屈め、そして全身から鎖付きナイフを醍羽めがけて放った。

 醍羽は、差し向けている槍の穂の先で小さな円を描いた。

 その僅かな直径の円面積は、飛来するナイフの全ての水平面積には遠く及ばないモノであった。

 なのに醍羽の槍の穂は、すべてのナイフを弾き返した。まるでナイフが槍の穂に吸い込まれてしまったかのようであった。

 弾きかれたナイフは、壁や窓に突き刺さった。

 同時に、刃の円陣を突破した醍羽は、矢渕の心臓に槍を突き立てていた。


「レベル低いよ、おたく」

「……そうかい」


 槍に心臓を貫かれているハズの矢渕は、そう言って、にぃ、と笑ってみせた。

 醍羽はようやく気付いた。

 槍が切り裂いた服の下から覗ける矢渕の身体には、全身に隙間無く刃物がびっしりと覆われていた。まるで刃物の鎧である。


「これでもくらえ!」


 矢渕の全身が煌めいた。

 それは、矢渕の服の下から一斉に飛び出した無数の刃物が光を受けた姿であった。

 飛び出した刃物の豪雨は、醍羽の身体に突き刺さった。ハリネズミならぬ刃ネズミと化した醍羽は、そのまま床に倒れてしまった。

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