第4話

 時刻は、三時限目の終わりに差し掛かっていた。

 納は国語の授業中であるのにも関わらず、ぼうっ、と窓の外をよそ見していた。

 そんな納を、後ろの席に座る杜恵がつついたが、納は無視というか気付いていなかった。

 気の抜けた状態だったため、国語の教師である矢渕に、いきなり教科書で頭を叩かれて、納は少しパニックに陥った。


「藤次! そんなやる気のなさじゃ、いつまでたっても成績はあがらんぞ!」

「は……はぁい」


 叩かれた頭を押さえている納の後ろで、杜恵は呆れつつ、笑いを堪えていた。



 昼休み。

 納は相変わらず、廊下から校庭を呆然と見ていた。

 廊下と校庭の間には桜の樹が植えられており、納の立ち位置からは校庭を見るのには不自由する位置だった。

 別に納は、校庭を見たくて見ているわけではないのだ。

 その後ろから、杜恵が声をかけてきた。


「まーったく、授業中ぼぅとして。ただでさえ成績悪いのに」

「成績のコトはほっとおいてくれよぉ」


 納がむくれていうと、杜恵は肩を竦めてみせた。


「……ほうっとけないわよ。この間の模試だって、クラス中、最低だったじゃない。このままじゃ高校にだって進学できるか………って、あんた、また外のほうを見て!」

「んー、いいんだよ、もう。……いくら勉強したって、ついていけないんじゃ」

「またそんなコトを言う!」


 杜恵は怒鳴った。


「納は勉強が出来ないんじゃなくって、やる気がないだけなのよ! 昔は勉強が出来たじゃない!」


 杜恵の言うとおりであった。

 小学生の頃の納は、飲み込みが早く、頭の回転の良い子供で、基本を学べば直ぐに応用を利かせるコトが出来た。

 しかも知識欲が旺盛で、同年代の子供に先んじて、高学年の学習を進んで行うようになっていた。

 だが、それが災いした。

 同年代の子供達が学んでいる知識は、納にとっては今更な感のある過去の知識となり、そこに油断が生じた。

 知識はあるが、納の学年では関係のない知識ばかりが頭にあった為に、現学年の学習に興味を示さないため、教師からも反感を買うようになってしまった。

 果たして、納は教師から「おちこぼれ」の烙印を受けるコトになってしまったのである。

 大人たちが決めたレベルに基づく範囲内で教えているコトが全て、と言う日本の学習方針では、子供が本来持つ向上欲を頭ごなしに押さえつけてしまうだけだという事を、いつから大人たちは気付かなくなったのだろうか。

 義務教育という「万人に平等な教育を与える」という命題が持たざるを得ない限界であるコトは明白。

 子供の物わかりの度合いなど、一律であるハズもない。

 手の余る子供が出る杭は打たれる的思考では、子供が秘めている可能性を潰すようなモノである。

 納はその犠牲になったと言っても良いだろう。そのコトが納の心を深く傷つけ、勉強に対してまったくやる気が無くなってしまったのだ。

 もっとも納も、そんなコトを気にしないで、自主的にもっと学習するコトも出来た。

 だが、一度失せたやる気を取り戻すコトがどれだけ難しいか、経験のある者ならきっと判るだろう。

 加えて、中学に進学すると、“知識を応用していく”のではなく、マニュアルに沿った“知識を覚えるだけの”受験勉強の為の学習という授業方針が、更に納の学習意欲を削ぐコトに拍車をかけてしまった。

 授業内容はかつての旺盛だった学習意欲が積み重ねてきた知識のおかげで理解は出来るが、とにかく意欲が欠けている為に、納は怠惰な学園生活を送るコトになってしまったのである。

 土壇場でも勉強すれば、高校ぐらいは何とか進学できるだろう。

 しかし、そこまでであった。そこから先、何をしようか、今の納には何も見えなかった。

 もっとも、今の納が抱えている興味は、自らの将来を想うコトでは無かった。


「――ん?」


 呼ばれて振り返ったその時だった。

 直ぐそこに、杜恵の顔があったモノだから、納は驚いてしまった。


「お、おい、杜恵」

「あいつのコトなんか、とっとと忘れなさいよ」

「で、でも、彼、夢の声に似ているし、それに僕を助けてくれたんだよ」

「いーの。あんな胡散臭いガキが一回くらいなんかしたからって。あたしはずうっと昔から、納を守っていたのよ!

 納はあたしのゆうコトを聞いていればいいのよ!」

「……え?」


 納はきょとんとなる。

 そして、はっとした。

 守る。


 ――醍羽は納を守っている〈守護者〉の存在を告げていたではないか。まさか――


「三丁目の高田さんちの番犬に追い掛けられた時も、隣町のバカ森内にいじめられていたときも、みーんなあたしが助けたじゃない」

「あ――、あ、ああ、そ、そうだったね」


 納は、杜恵が指すモノが別であったコトにほっとした。

 そもそも杜恵があんな化け物を斃せる力など持っているハズもない。

 幼い頃から父親に剣道を教え込まれていたとはいえ、普通の女のコには変わりないのだから。


「……?何、おどおどしているの?」

「おーおー、昼間ッからお熱いね」


 不意に、二人を見かけたクラスメートが、廊下の奥からはやし立てるように言ってきた。

 二人が一緒にいるのを見かけると、それを義務のように言う、意地悪な男子グループだった。

 小学生の頃はよく納をいじめていた連中だが、その度に杜恵にこっぴどくやられて、今ではせいぜい、このようにはやし立てるぐらいしかしない。

 杜恵は勢い良く振り返って、はやし立てる彼らにあかんべえをしてみせた。


「――ふーんだ! 彼女イナイ歴継続中の人が茶化すんじゃないの!」


 そう言って杜恵は納の腕にしがみついた。突然の行動に、納は赤面して汗をダラダラ掻いた。

「ちょ、ちょっと!――?」


 何とか引き剥がそうとした納だったが、しかし杜恵は、納の顔を真面目な顔で見つめていた。

 その眼差しに、納は抵抗する気力が萎えた。


「……迷惑?」

「そ、そんなコト、……ないよ」


 納がそう答えると、杜恵は満面の笑みを浮かべて、納の腕から離れた。


「納、優しいから。ねぇ、覚えている? 納が祭木家に来た日のコト?」

「え? あ、ああ。……忘れないよ」

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