10
あの日から数カ月が経った。
世界は『予言者』の予言が外れたことにより再び混乱が生まれたが、その混乱もすぐに落ち着き、今は復興が始まっている。
少なくとも、生きることを諦めている奴は少なくなった筈だ。
だが、それでも一度失ったものは中々元には戻らない。街の至るところがいまだにボロボロで、まだ修繕が手つかずだ。
それでも、いつかは元のように綺麗にはなるだろう。
きっと、いつか。
さて、あれから俺がどうなったかというと、俺自身はそんなに変わった気はしない。ただ、周りの環境は大きく変わった。始業式に参加した教師、生徒は多くなかった。多くの人間が死んでいた。薄々分かってはいたことだが、少し、寂しくなった。そして、俺と必木先輩が戦った旧校舎だが、取り壊されることになった。あれだけ派手に暴れたのだから、まあ、仕方のないことだろう。旧校舎と共に文芸部も廃部になり、とうとう俺の居場所はなくなってしまった。
ちなみに必木先輩があれからどうなったのかと訊かれても、俺は知らない。
必木先輩はあの日から学校に来なくなった――いや、姿を消した。家にも何処にもいないらしい。……きっと必木先輩は旅に出たのであろう。自身の罪滅ぼしの旅に。俺はそう信じている。
ミコトもあれから……見ていない。
――つまりは結局、今回の件で俺がしたことといえば、必木先輩を救ったわけでもなく、ミコトを救ったわけでもなく、ただ、ただただ自分の我儘を、自分の身勝手を、必木先輩とミコトに押し付け、自己満足しただけだったということだ。
そう、結局。
結局俺は昔の自分と一切変わっていない、自分勝手な男だった。
都合がいいだとか、馬鹿だとか、そんな軽いことではなく、
俺は何時だって変わらず――最低な人間だった。
「……」
でも、それでも、そうだとしても、俺は、前に進まなくてはならないと、思っている。
我儘でも、自分勝手でも、身勝手でも。
どれだけ自分が最低な人間であろうと。
俺は周りの人間に迷惑をかけ、重荷を背負わせ、それでも飄々と。
生きていくんだ。
生きていける限り、俺は今までの罪を、これからの罪を、背負い続けるんだ。
それがきっと――俺が受ける、罰なんだ。
全てを償えるとは思ってもいない。
でも、だからといってここでまた昔の自分のように逃げてしまうのは、駄目だと思うから。
「……そう、俺は進まなくちゃならない。俺は、こんなところで逃げていられないんだよな」
俺はそう呟いて、扉の前に立った。
今、俺は取り壊し予定の旧校舎の三階の、旧3の1の教室、旧文芸部室の扉の前に立っている。勿論、床が穴だらけで危険ということで立ち入り禁止とされているが、そんなこと俺には関係ない。柵なんてものは無視して乗り越えた。
「すー、はー」
俺は深呼吸をする。ここに来るのはきっとこれで最後だ。だから、気を引き締めないと。
「……よし」
俺は三回ノックした。返事はこない。いつものことだ。別段気にすることではない。……気にすることではない筈なんだけれど、俺は少し寂しい感じを覚えた。
そして、俺は引き戸の扉をガラガラと開けた。
「……うわあ」
中は大変なことになっていた。本が散乱していて――って、その前に壁にも床にも大きな穴が空いている。確かにこれは危険だ。
「……」
俺は床に落ちている本を一冊、手に取った。そして、ぺらぺらとページを捲ってみる。
「……まだ、本もそのままなんだな」
俺は一通り目を通すと本を閉じ、床に置いた。
そして俺は床に座る。
「……必木先輩。俺はずっとここに来れませんでした。ここに来たら必木先輩がいるような気がして、でも、いないことは既に知っていたから――来れなかった。必木先輩が何処にもいないということを再確認するみたいで、嫌でした。でも、今日、俺はここに来ました。やっぱり必木先輩とはきちんと挨拶をするべきだと思ったんです。だから、だから――俺はここに来ました」
返事はない。
そんなの分かっている。
分かっているんだ。
でも、俺は喋り続けていた。
「ミコトとは話し合いというか、そういったことはちゃんとしましたよ。でも、ミコトは消えてしまいました。次会う約束をしましたが、まだその約束は果たされていません。きっと、その約束が果たされることはないんでしょうね」
俺は何を言っているのだろう。
俺は誰に言っているのだろう。
「ああ、そういえば必木先輩は知らないかもしれませんが、文芸部が廃部になりました。部員が俺だけになってしまったので、仕方ないですね。……というか、俺、こんな話、前にも言いましたよね? このままだと人数不足で廃部になるって。そういえばその時、『この学校は常に何処かの部活に所属していないといけないから、文芸部が廃部になったら必木先輩は次どこの部活に所属するんですか?』って訊いたら必木先輩は『そもそもこの部活が廃部になることはない』と言いましたよね。まったく、もう。先輩の予言大外れじゃないですか。俺は次何処の部活に所属すればいいのか困りましたよ、まったく」
俺はだらだらとくだらない独り言をしていた。
飽きることなく、延々と。
でも、やっぱり、少し、ほんの少しだけ、寂しくなって、
「必木先輩。まったく、必木先輩は何処に行ったんですか。あの時俺に負けたことがそんなに不服でしたか。それで俺の顔などもう見たくないと。……股間を蹴ったこと、必木先輩の気持ちを勝手に決めつけたこと、悪いと思っています。でも――でも、それでも俺は選択を間違えたとは思っていません。必木先輩を救えたのだと、今でも自分勝手にそう思っています」
俺は立ち上がった。
俺は出口の方へ体を向ける。
「それでは必木先輩――さようなら」
俺は旧文芸部室を去った。
別れの挨拶は済んだ。これでやっと俺も前に進める。
なんだか女々しいな、と思った。
でも、これが俺という人間なんだから、どうしようもない。
――———————————————————————————————————
旧校舎の階段を下りながら、俺はこれからのことを考えていた。
復興していっているとはいえ、食料の問題、水道の問題、電気の問題。まだまだ色々と問題が山積みだ。
「なんつーか、生き残ってしまった不幸というか……大変だな」
俺は階段を降り続けている。
一段一段、踏みしめて。
「とにかく、これからどうするかはまた改めて考えよう。俺は疲れた。寮に戻ったらばたんきゅーだぜこれは。無理無理。起きていられないって」
二階についた。
気を抜くとついうっかり足を止めてしまいそうになる。
駄目だ。
俺は、降りるんだ。
「で、倒れたらその後はどうするかな。うーん、積みゲーの解消でもするかー。最近色んなことがありすぎてまだ終わってないゲームに手を付けていられなかったしなー。そうだ。そうしよう」
足が重い。
きっと、日頃の疲れが溜まっているのだろう。
早く部屋に戻って休まないとな。
「そんでもって積みゲーの解消をした後はー、あー、そうか。次どの部活に入るか決めないとなー。校則で決まっていることだし、仕方ない仕方ない―」
俺は階段を降り切った。
「うーん、今更体育系の部活は無理だなー。まず俺、体育苦手だしなー。だとすると文化系かなー。確か、『帰宅部』『探偵部』『演劇部』『園芸部』『ボランティア部』『オカルト研究部』『放送部』『購買部』と……えーっと、あとは何かあったっけ? これだけしか覚えてないんだよなー。まったく、この学校部活多すぎなんだよー。部活に所属していないといけないから、っていうのはわかるけれども、さすがに『帰宅部』は必要ないんじゃないのか? 何をする部活なんだよ」
俺はそう言いながら、旧校舎から新校舎へと続く廊下に出ていった。
「あーもう! 困った!」
俺は背伸びをするように両手をうんと上げる。
そしてその後、手で顔を押さえた。
「……んぐっ……あぁ……ん」
俺は振り返らない。
もう、過去は振り返らないと、そう決めたのだから。
でも、少し。
少しこうやって涙を流すことくらいなら、許されてもいいんじゃないかと、俺は思う。
そして、俺は寮へと歩いていた。
「……そういえば、花道、今寮にいるんだっけ。挨拶でもしとくかな」
花道、とは寮の俺の隣の部屋に住んでいる花道良太のことだ。
一年の頃のクラスメイトで、俺と同じ成績優秀者の一人である。あいつとは何かしら話が合うし、部屋が隣通しというのもあって二年になってからもよく話をしていた。だが、夏休みに入るとあいつは実家に帰ってしまって、それから会っていなかった。
でもこの前、寮に戻ってきた。世界崩壊というわけのわからない予言のショックがまだ抜けていないらしく(親しくしていた友人が亡くなったということらしい)、授業には出席していない。でもそのうち顔を出すだろう。
「帰ってきた時は気まずくて顔を見れなかったから今声をかけておいた方がいいか? いや、うーん、どうだろう。ここはあいつが自分から出てきたタイミングでいいのかな?」
人との接し方がまだよくわからない。
でもなんだろう。
こうやって誰かのことを考えながら悩むのは、懐かしい感じがする。
遠い昔に忘れた懐かしい何か。
俺は少し、嬉しくなって、それから小走りで寮に戻った。
……花道には挨拶しないでおこう。
あいつが自分から部屋を出た時に、くだらない話がまた、できるように。
「ふう、疲れた疲れた。さて、今日はぐっすり寝るぞー」
そして俺は自分の部屋の前に立っていた。
俺はポケットから鍵を出し、鍵穴に鍵を刺して、ドアノブを握った。
「……」
この扉を開けても、誰もいない。
それは知っている。
でも俺は、今なら何も考えずに、何も抱え込まずに、言えるだろう。
「ただいま――」
俺はドアを開けた。
そして、
「おかえり」
目の前にフミダラノミコトが――立っていた。
「……え?」
何故だ? 何故ミコトがいる?
ミコトは消えた筈だ。
うん、そうだ。たしかに消えた。
では何故?
うん? よくわからないぞ? 何がどうなっている?
「あ……え?」
「……もう。おかえり、って言っているんだよ。どうしてそんな困ったような顔するの?」
「え、いや、その……うん?」
もう思考が停止しかけていて、よくわからない。
「ねえ、聞こえてる? ねー、ねーってば!」
「……うん、あ?」
聞こえてはいる。でも、どうしてこんなことになったのかが全然わからない。
「もう! もう一度言うねっ!
――おかえりなさい。また、会えたね」
ミコトはそう言って微笑んだ。俺には到底できそうにない、幸せそうな表情だった。
……ああ、たしかに今俺の目の前にいるのはミコトだ。
どういう状況なのかはわからない。
どういう理屈なのかはわからない。
でも――確かにミコトなんだ。
「……」
言いたいことが沢山あった。
なんで今ここにいるのか。
消えた筈じゃなかったのか。
今までどうしていたのか。
色々言いたいことがあった。
数え切れないほどの多くの言葉が俺の頭を埋め尽くしていた。
「……」
でも、サルにも劣る、綿飴が詰まった豆腐の搾りかすのような俺のお粗末な頭から漏れ出た言葉は、この言葉たった一つだけだった。
「ただいま」
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