互助 1

 降りしきる雨。あたりは静寂に包まれているせいで、さあさあという流れる雨音がひどく耳につく。そこは都内にある墓地だった。灰色の墓石は、曇り空と混ざり合って無機質な世界を作り出している。

 そこにいるのは傘をさして佇む影が一人だけ。ただ無言で立っている。視線の先は一つの墓標であったが、彼——反町キヅキはそこではないどこかを見ているようであった。

 先の停電騒ぎはその後、すぐに予備電源による復旧が行われ、すぐに学校の機能は回復した。そのため、後の試験は若干長引いた以外は滞りなく行われた。もちろん、キヅキとタクヤに関してはしこりは残っていたのだが。

 そしてその日のうちにキヅキは帰宅する前にこの場所に寄っていた。

 目の前の墓碑に刻まれているのは「反町家」という彼の名字である。彼の親族の墓であった。

 キヅキは何をするわけでもない。まるで自分の義務だというように、ただじっと目の前を眺めているだけ。一体何を見ているのか。眼差しはじっとそこから離れることはなかった。

「反町キヅキさん、ですね」

 背後から唐突にかけられた声に対して、キヅキは警戒をする。何が起きてもいいようにポケットの中のデバイスを握りしめ、振り返った。

「おっと、すごい警戒心ですね。まぁ落ち着いてください。そんなに怖い顔しないで。別に怪しい者じゃありません。ただ、ちょっとあなたにお話ししたいことがありまして」

 立っていたのは短髪でスーツを着用した、銀縁のメガネをかけている男性だった。年齢は20代ほど。少し困った表情をして、何もする気がないと言った様子で手を体の前にあげていた。

「あなたは誰ですか。僕に何か用ですか。それに、なぜ、僕の名前を知っているんですか」

「いやはや。そんないっぺんに質問されても一気には答えられませんよ。とりあえず、自己紹介からしましょうか。私、こういうものです」

 ポケットから慣れた手つきで一枚の名刺を取り出し、キヅキへと渡す。それを受け取って見ると、書かれていたのは「入瀬クチト」という名前。他には何も書かれていない。

「すみません、少し不謹慎でしたが、あなたとお話がしたくて尾行させてもらいました。なかなか、人気のないところに行かなかったもので、ここまで追ってきたというわけです。

 ……ひとまず、ご紹介させてもらうと、私は入瀬クチトと申します。とある会社に勤めている、しがないサラーリマンだと思っていただければいいでしょう」

「しがない、サラリーマンがどうして僕の名前を知ってるんですか」

「まぁそう慌てないでください。それは、僕の仕事にも関係してくることなんですよ。そして、その仕事は、あなたにとってもマイナスなことではないと思いますよ」

「マイナスかどうかは僕が判断することです。あなたが決めることではないと思いますが」

「これはこれは、噂に聞いていたように、あなたは非常に攻撃的ですね。まるで抜けば玉散る氷の刃のよう。

 そして、言うなれば、の意地っ張りな強がりにも見える」

 その刹那にして、男の周りには魔法で作られた光の矢が無数に鏃を向けて宙に浮いていた。遠目から見ると、辺りの仄暗さとあいまって不気味な空間を作り上げている。

 無詠唱呪文による光の矢の召喚。それも、高速の妙である。

「もし僕のことを冷やかしに来たのであれば、やめておいたほうがいいですよ。幾分、他の人に比べて、冗談が通じないので」

 男—入瀬クチトは目をみはる。しかしそれは驚異としではなく驚喜として。

「いやはや、なるほどどうして。これほどすばやく質の高い無詠唱呪文は久々です。プロの警察団体でもなかなかいませんね。確かにあなたは上玉です。ただ——」

 それは、高速を上回る神速の域のことだった。

 光の矢は霧散消滅し、彼の傘を持っている逆の手には同様の光を放つ剣が握られていた。そしてその切っ先をキヅキの喉笛へと突きつける。突然の出来事にキヅキは傘を落としてしまっていた。

 キヅキの顔は驚きを隠せない。自分が出し抜かれたことに対して。そしてこれほどまでの大量の魔法行使を一瞬で無効化レジストするなど、今までの彼の経験では全くもってありえなかった。

 雨がキヅキの体を濡らしていく。入瀬クチトは笑みを絶やさず剣を構えている。

「あなたは少し世の中のことを知らなすぎます。いやはや、しかしそれも若さゆえのことです。まだまだ非常に青い……。魔法も、そしてそれを扱うあなた自身の思想も」

「……あなたは一体何者なんですか……」

「ですから、しがないサラリーマンですって。ちょっと君をスカウトしようと思っているだけのね」

 剣をかざしたまま、彼の顔は奇怪な笑顔で返答する。

「……スカウト?」

「そう言ったほうがおそらくわかりやすいでしょう。ああ、それと、あなたにとっては、このキーワードを言ったほうが食いついてくれますかね? ……『教団アダム』という組織の名前を」

 その言葉を聞いた瞬間、キヅキの目は鋭くなる。

「——なぜその名を……!」

「やれやれ、やっと私の話を聞いてもらえますか。だから、あなたにとってもマイナスではないと言ったではないですか。これも二回目ですよ」

「お前、まさかあいつらの……」

「仲間、に見えますか? そもそも、それならあなたをスカウトする意味ってありますかね?」

 キヅキはおし黙る。この男の考えは全く持って読めない。一体このスーツの男は何者なのか。なぜ自分のことを知っているのか。スカウトとはなんなのか。そしてなぜ『教団アダム』の名前を口にしたのか……。様々に思考するが答えが見えてこない。

「ようやく、こちらに興味を示してくれたようですね。こちらも仕事でして、非常に助かりますよ。……っと、いけない」

 クチトは唐突に話を中断する。墓地の入り口付近から数名の人たちが、こちらへ向かってくるのが伺えた。どうやら二人がいる一帯の不穏な気配に気づいたらしい。

「……いやはや、どうやら、この光はどうやら目立ったようですね。人が近づいて来ます。これではこみ入った話はできませんね。遺憾ですが、また今度の機会に」

 手に持っていた光の剣を下げ、入瀬クチトはキヅキに背を向ける。

「待ってください」

 雨足は強く、キヅキの服や髪は肌にまとわりついている。そんなまとわりつく髪の下から覗く眼光は、入瀬クチトを捉えて離さない。

 振り向いたクチトの顔は、やはり変わらず笑顔だったが、すべてを知ったように不敵に口角を上げていた。

「なんでしょうか?」

「……あなたの話を聞きます。その代わり、あなたが知っている『教団』について、教えてください」

「交換条件とは、なかなかどうして、賢しい人ですね。でも、安心してください。はなからあなたにはそのことについてはお話しようと思っていましたので」

 クチトは雨に濡れるキヅキへと傘を差し出す。雨足は早く、一向に止む気配はなかった。

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