五人目【午前十時五〇分】
シアターアクアの楽屋口の近くに車を停める。
何人か出演者を待っている人がいるが、海芝郁が車を寄せると出入り口を空けてくれる。花屋のワゴンから降りて、後ろを開け積み込んでいたフラワーアレンジメントを取り出す。伝票と花とを確認してから、二つの花かごと花束一つを抱え、楽屋口の扉を開いた。
入ってすぐの正面にある受付にまっすぐに向かう。
「おはようございます」
受付の女性がにこやかに挨拶をしてくれる。
「おはようございます、えーと、和田さんにです」
「はい」
本人がまだ来ていないので、代わりに二つの花かごのサインをしてもらう。
「誕生日だそうですね」
「そうらしいです」
「今日まだ増えますか」
「彼人気ありますからね」
今の花屋に勤め始めてから、もう何年もこの劇場に花を運んでいる。
そのたびに彼女とは顔を合わせているから、すっかり顔なじみになって、ちょっとした言葉を交わす間柄にもなっている。
「でも、初日以外で海芝さんとお会いするの、なんだか不思議な気がしますね」
「そうですか?」
「花屋さんは初日以外はあまり出入りされませんからね」
「ああ、そう、かもですね。僕はあまり初日とか意識していかないですけど」
そんな他愛のないことを話しながら、海芝はそわそわしていた。
「じゃぁ受け取っておきます」
花を渡し、いつもならここで立ち去るのだが。
「あ、あの……佐伯さん、これ」
思い切って花束を差し出した。
何日も悩んで迷って、今日のために用意した花は、以前彼女が珍しいと感心して見ていた青いバラを中心にそれ以外は淡い色合いの花ばかり。彼女に似合うと思って差し出すが、言葉にならない。
「どなたにですか?」
花束と海芝の顔とを交互に見て、一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「………………す、すみません、間違えました。これは別の届け先の」
「あ、そうですか、お忙しいんですね」
にっこりと笑顔を向けられ、今度ばかりは内心落ち込む。けれどなるべく表情に出さないようにして、別れを告げた。
「…………ヘタレだなぁ俺…」
車に戻って助手席に花を置き、大きく溜め息をついた。思いを告げられるようになるにはまだまだかかりそうだった。
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