【ガブリエル・アルミニウス教授の手記】


 呼子の音に食堂へ駆けつけたとき、エイブラハムはひどい有様だった。

 ヴァンパイアは奴に手を出せないが、人間は違う。そして、旅芸人たちはすでに奴の支配下にある。

 なんとか致命傷だけは避けているものの、全身を殴打され、傷を受け、至る所から血を滴らせていた。相手の武器が爪や歯や拳しかないのが幸いだった。

「どけ!」

 無我夢中で発砲し、エイブラハムのいる中心に飛び込む。

「早かったな」

 こんなときだというのに、私を認めてそんなことを言う。笑って言うならまだ怒りようもあるが、淡々と言われると調子が狂う。

「武器を何も持たんからだ」

「必要ない」

「立てるか?」

「ああ。ゲオルクが危ない」

「我々こそ、ここから出られるかわからんぞ?」

 近寄ってくるものを殴り倒して出口へ向かう。人形のように寄ってくる彼らの目の焦点は合わず、意志らしいものも感じられない。

 手近な椅子を振り回して応戦していると、横合いから瓶を差し出された。

「ガブリエル、これを」

「聖水は効かんぞ?」

「聖水ではない、油だ」

 見れば奴は蝋燭を手にしている。

「…無茶をするな」

「これくらいしなければ生き残れまい」

「………まぁいいか…っ」

 瓶を床に叩きつけ、その上に蝋燭を落とす。ぱっと炎が燃え上がり、彼らは怯んだ。その隙に出口を目指した。

「どっちだ!」

「広間へ!」

 なぜわかるのかはわからないが、奴にはノスフェラトゥの居場所に心当たりがあるようだった。傷が痛むだろうに、遅れずについてくる。

「エイブラハム、無理をするな」

「うるさい!」

 ちらりと振り返ると、奴の来た後を知らせるように点々と血が落ちている。ただ気力だけで走っているような奴を止めるべきなのかと一瞬悩んだが、広間の前に来てしまった。

「どこにいる!」

「…もう追いついてくるとは。やはり君はただ者ではないな」

「ルイ・クロード・シャルル・ド・シャトーペールだな」

 奴が口にした名にはっとする。シャトーペール隊長の血縁か。そういえば、こいつは隊長によく似ている。向こうも少し驚いたようだった。

「…何者だ? なぜ我々はお前に攻撃できない?」

「貴様の知ったところではない」

「……お前を噛んだのは誰だ」

「貴様には関係ない。ゲオルクを離せ!」

「ずいぶんと古いようだが」

「Pater noster, qui in caelis es,sanctificetur nomen tuum,...」

 エイブラハムが聖書を掲げラテン語で「主の祈り」を唱え始める。ノスフェラトゥが苦しげな顔をした。この隙にと奴の頭に狙いを定める。銀の弾丸なら、奴にダメージを与えられる。

 そのとき、背後の扉が破られる音がした。奴に操られた人々がなだれ込んできた。エイブラハムは構わず、じっと奴を凝視したまま聖句を唱え続けている。こちらも無視して奴を撃つが、人々に襲いかかられて上手く狙いが定まらない。弾を込め直す合間にも腕や足にしがみつき引き倒そうとしてくる。

 吸血鬼に操られた人間は、気を失っても手足が折れても構わず襲ってくる。力は常人並だが、殺さないよう殴り蹴りふりほどくのは、先の吸血鬼相手よりよほど厄介だ。

 右手で銃を構え、左手でしがみつく人間を引き剥がし、もがきながら撃っていると、ついに弾が切れた。

「エイブラハム!!」

「...fiat voluntas tua, sicut in caelo, etin terra. ガブリエル、聖水を!」

 向こうから投げられた瓶は、しかし間で人間に奪われる。

 もう終わりか、と思った瞬間、銃声が聞こえた。

「教授! ご無事ですか!」

 広間の回り階段から声がする。同時に我々にとりついていた人々の力も弱った。

「シャトーペール隊長、助かった!」

「ブライアン、奴はまだ生きている。とどめを!」

 エイブラハムの声が飛ぶ。見れば、フロレスク伯を担いでいた奴は地に伏し、立ち上がろうとしていた。

「…………お前が、我が祖先か」

 シャトーペールが駆け寄り、それを見下ろす。そうして見ると、両者はとてもよく似ていた。輝くばかりの金の髪に通った鼻筋、深い青の瞳。奴の顎に髭がないだけで、ほとんどそっくりだった。

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