【ガブリエル・アルミニウス教授の手記】
夕方、いつものようにフロレスク城に戻ると、城内の様子がいつもと違った。妙に浮き立った気配があるし、見慣れない顔もいくつか見かけた。村祭りは明日だった、と寝室で着替えながら思い出す。
今日もなにも収穫はなかった。着替えて客室に戻ると、エイブラハムがリヒャルトに催眠術をかけていた。何度もかけられて慣れたリヒャルトは、簡単な誘導だけで深い眠りに落ちる。(エイブラハムによれば慣れによるものではないらしいが、違いがよくわからん)
「今どこにいる?」
「………わかりません、真っ暗で、なにも聞こえない、なにも感じない」
いつもと同じ答えに落胆する。エイブラハム曰く、彼を噛んだノスフェラトゥはリヒャルトとの繋がりを閉じているらしい。
こちらから探知されることを察したのだろうが、その断絶が一時的なものか永続的なものなのかはわからない。もし一時的で、向こうからこちらを探る手段が残っているなら、なるべく早くそのことを知る必要がある。奴のねぐら探しの意味も込めて毎日朝夕繰り返しているが、一度も成果を上げたことはない。
「なんの気配も? 何の音も?」
「はい………あぁ………」
ひくん、とリヒャルトの瞼が動いた。エイブラハムが緊張するのがわかった。
「今どこにいる?」
「……………わからない」
返事は同じ。けれど何かが違った。声か、気配か。
「何が聞こえる?」
「…何も聞こえない。何も感じない」
「何を考えている?」
「………もうすぐ、終わる」
「何がだ?」
「っ!」
リヒャルトの体ががくんと前のめりになった。
「…ぁ……教授……僕は」
「………今日は少し深い催眠にかかったようだ。少し休むといい」
取りだした手帳に素早くメモを取りながら、エイブラハムが答える。
「あの、教授……僕は…役に立っていますか?」
「もちろんだ。なぜそんなことを訊く?」
「僕のせいで、あんなことになって…」
リヒャルトが俯く。奴に命じられ無意識に従っていたとはいえ、兄や甥に毒を盛っていたと知らされた彼の心境は察してあまりある。
「大丈夫だ、リヒャルト」
なるべく気楽に感じられるよう、肩を叩いてやった。
「君のことを誰も責めたりはせんよ。安心なさい」
「アルミニウス教授…」
「今日はもう休みなさい。十字架も聖水も持っているな?」
「はい、……はい」
まだ青い顔をしていたが、少しは元気になったらしい。ぺこりとお辞儀をして部屋を出ていった。
「おいエイブラハム、何がわかった」
「…なんのことだ」
「とぼけるな。お前さん、今のリヒャルトの様子に何か感づいただろ」
「……ああ、だがよくわからない」
手帳を見つめ、じっと考え込んでいる。
「終わりとは何だ? 奴は何を考えている? この城は奴にとっては閉ざされているはず。だというのに……」
ここまで呟いてから奴ははっと顔を上げた。
「リヒャルト!」
聖書を掴み、部屋を出ていったリヒャルトを追いかける。
「今日、我々が出かけてから帰るまでの間に、城で何か変わったことはあったか?」
「え……えーと、…あ、旅芸人たちが来ました。たぶん今頃下の食堂で飲んでいると…」
「それかっ! 奴らは馬車で移動しているな?」
「は…はい…」
「馬車はどこに!?」
「な、中庭に…あの、ヘルシング教授?」
「君は部屋から出るな! 十字架と聖水を離すな!」
走りながら奴が叫んだ。
「おい、エイブラハム、まさか旅芸人の?」
「迂闊だった、彼らはペストを逃れて早めにこちらへ来た。ペストは、奴の仕業だった!」
「では馬車の中に」
「奴の故郷の土があるはずだ。ブライアンは!」
「厩舎にいくと…」
「呼んできてくれ! 銀の杭を持ってくるように!」
「わかった! エイブラハム、無茶はするな」
返事もせず駆けていく後ろ姿を曲がり角で少しだけ見送ってから、城の厩舎へ向かった。厩舎で見慣れた金髪を見つけて呼びかける。
「シャトーペール隊長!」
「アルミニウス教授、どうされたのです?」
「説明は後だ、銀の杭はどこに?」
隊長が一気に表情を引き締めた。
「ここにあります! 奴はどこに!」
「中庭らしい。旅芸人の馬車に」
「…っ、トロイの木馬か」
一瞬顔を歪め、走り出した。
「エイブラハムが先に行っている!」
「あの人はどうしてそう無茶ばかりするんです!」
まったく同じ意見だ。
途中、兵士を見つけたので捕まえてフロレスク伯に伝言させる。旅芸人たちを用心するようにと。手遅れでなければいいが。
中庭には、派手な色合いの馬車が連なっていた。
「エイブラハム、どこだ!」
「ここだ!」
呼びかけると、今度はすぐに返事があった。少し向こうの馬車の一つから顔を出し、奴が飛び降りる。
「ここまではいなかった。ここから先、手分けして探してくれ!」
「わかった!」
奴がまだ調べていないという馬車に乗り込み、人一人が入れる大きさの容器を探す。棺であることが多いが、棺の形をしているとは限らない。しかしその中には、敵の故郷の土が入っているはずだ。
馬車の中には、普通の旅芸人の私物や日用品が転がっていた。
「ありました!」
シャトーペール隊長の声がした。
急いで駆けつける。
「これですね?」
けばけばしい色彩の小物が目立つ中、一つだけ上質な作りの大きな木箱の蓋が開いている。
「この蓋は?」
「私が見たときにはもう開いていました。中には土しかありません」
「ブライアン、剣を」
エイブラハムがシャトーペール隊長の腰の長剣を引き抜き、ものも言わず箱を上から突き刺した。何度か刺すが手応えはないようだった。
隊長に剣を返してから、聖水を土に振りかける。
「ここにはいない」
「そのようだな、エイブラハム……もう城内に入り込んだのか」
「ああ、間違いない。奴は………ブライアンかゲオルクを狙う。ゲオルクはどこに」
「わからん。伝言はさせたが…」
「分かれて探そう。ゲオルクを見つけたら広間につれていく。あそこなら戦いやすい。奴を見つけたら、手は出さず、ほかのものの到着を待つこと」
「銀の弾丸ならある」
「あんたとブライアンで使うといい」
「エイブラハム、わかってるな?」
「…わかってる」
奴は聖書と聖水を持っているだけで、武器らしい武器は持っていない。首から下げたロザリオでは小さくて心許ない。
「ガブリエル、あんたはこの中庭から広間へ。ブライアンは西の塔のほうから。私は食堂から。最終的に広間に落ち合おう」
「わかりました!」
シャトーペール隊長が走り出す。
「おい、奴を見分ける方法は?」
「………ブライアンに似ている」
「…どういう意味だ」
「行くぞ、ガブリエル!」
答えを得られないまま駆け出す。
一瞬呼び止めかけたが、すぐに諦めて中庭を捜索した。注意してみれば奴の痕跡があちこちにあった。ノスフェラトゥ独特の臭気、蠅や蜘蛛や鼠の死骸。馬車の中には、大きな犬の足跡もあった。
しかし、本体はどこにもいないらしかった。
やはりシャトーペールかフロレスク伯を探す方がいい。ここにはもう何もいないことを確認してから広間を目指した。
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