【ブライアン・シャトーペール隊長の覚え書き】


 明け方、食堂でコーヒーを飲んでいると、ヘルシング教授がいらした。連日の無理がたたってか、顔色はあまりよくない。

「教授、お休みになられた方が」

 思わず声をかけると、大丈夫だというふうに首を振って、私の前に腰掛けられた。メイドにコーヒーを命じ、大きく息をつく。

「何日も寝てらっしゃらないと聞きました。我々の頼りはあなただ、あなたが倒れられたら」

「そう簡単に倒れはせんさ」

 素っ気ないふうで遮り、運ばれてきたコーヒーに角砂糖を入れる。ティースプーンを指先で摘んでくるくると回しながら、前髪の奥からこちらを睨むように見た。

「ブライアン、あんたはこの土地で生まれたと?」

「生まれたのはウィーンです。皇帝の治世十年を祝う日だったと聞いています」

「君の祖先について、どの程度知っている?」

「父から聞いた話ですが……あの大革命のときにパリを脱出した曾祖父は、家族とともにザルツブルクに逃れました。国王が逃亡を図る少し前だったと聞いています。その後曾祖父とその息子のルイ・クロードが、コンデ公の反革命部隊に合流しました。私の祖父ルイ・ジョゼフはまだ幼児でまったく覚えてはいないそうです。大伯父は当時十七歳。大伯母によれば激しい気性の人だったとか。……私によく似ていると、小さい頃は何度か言われました」

「コンデ公の部隊は、一七九三年にオーストリア軍に同行しているな」

「ええ、ヴィルムゼル将軍の。まぁあのころのエミグレは、大抵オーストリア軍に協力していましたが」

 思わず肩をすくめる。

「シャトーペール家はカペー朝が成立した頃から軍人として王家に仕えてきました。だから余計に許せなかったのでしょう。ライン川の上流で戦闘があり、二人ともそこで亡くなったとか。彼らにとっては国王の処刑を知らずにすんで幸いだったと思います」

 皮肉めいた言い方になるのは仕方がない。小さい頃から何度も聞かされてきたおとぎ話で、私自身にもう存在しないフランス王家への忠誠なんてこれっぽっちもない。軍人としての生き方は性に合っているが、命を賭してまで主君に仕えようとは思わない。

「ライン川の上流……そうか」

 ヘルシング教授が、なぜかほっとした顔をされた。

「どうしたんです?」

「いや………奴はどこでノスフェラトゥになったのかと考えていた。あのあたりで吸血鬼伝説はあまり聞かない。ハンガリーやルーマニアに滞在したことがあるかはわかりますか?」

「さぁ……でもコンデ公の部隊に合流するまでにあちこち渡り歩いたとも聞きましたから、もしかしたら」

「……ふむ。その可能性はある、か」

「なにを気にされているのです?」

 訊ねると、ヘルシング教授は少し迷ったようだった。

「………ヴァンパイアにも、血統のようなものがある。ヒトのものとは違うが」

「…はい」

「ヴァンパイアに噛まれたものは、ヴァンパイアの下僕になる。そして死ねば、ヴァンパイアとして蘇る。ここまでは知っているね?」

「ええ」

「ヴァンパイアは二種類いる。先日我々を襲ったように己の意志を持たず主の傀儡でしかない低級のヴァンパイアと、生前の意識を残したもの。つまり、君の大伯父のようなものだ」

「……はい」

「上級のヴァンパイアになるには、血の交換が行われなければならない」

「血の交換?」

「一説には体液でも構わんらしいが、大抵は血液だ。血を吸われた犠牲者が、吸血鬼から血を与えられる。その者は、死後上級のヴァンパイアになる、つまり己の意志を保ったまま吸血鬼になる」

「…はい」

「ただし、死ぬ前に主人であるヴァンパイアが滅ぼされれば、その者は死後ノスフェラトゥになることはない。例え死しても、最後の審判の日まで眠り続ける」

「……ヘルシング教授、あなたは科学者ですよね? 最後の審判なんて信じているんですか」

 思わず訊いた。別に私は不信心なわけではない。でも最後の審判があるのかどうか、本当のところは疑わしいと思っている。

 教授は片方の眉をつり上げた。

「彼らは神から拒まれている。だからこそ彼らは十字架を恐れる。彼らが元々キリスト教徒だからではないのだ。説明しても理解はできないかもしれないが」

「なぜそんなことをご存じなんです?」

 私の問いに、教授がしばし黙り込んだ。

「…………吸血鬼と血の交換をした者は」

 こちらから何か言うべきかと思った瞬間、教授が口を開いた。

「生きている間はほかの吸血鬼に襲われることはない。先程も言った血統の問題もあるが」

「教授?」

「吸血鬼たちの間にもヒエラルキーは存在するのだ。上位のものの『獲物』であるほど、下位の吸血鬼には襲われなくなる。それが、吸血鬼同士の習わしだ」

「はぁ………………え?」

 気のない返答をした後、ふと先日の夜のことを思い出した。あれだけの吸血鬼の群に一人残されても、襲われることなく無事に生還した教授。

「……教授、まさか」

 ヘルシング教授は、なにも答えずコーヒーを口に含んだ。

 返答のない、それが答えだと言っているようだった。

「…………あなたは、……………倒すおつもりなんですね」

 なにを、とは口にしない私を見つめ、教授は静かにカップを置いた。

「ブライアン、時間をとらせてすまなかった。あなたも少し休んだ方がいいだろう。昼にはまた探索に出かける」

「……教授も」

「心配はいらない、だがありがとう」

 薄く微笑んで、教授は立ち上がった。

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