第5話 逃げ出したスライム 2

 スライムはどこにいるのか。今のところ手掛かりは何もない。

 耳を澄ませてみても騒ぎらしい物は聞こえない。生徒達の賑やかな談笑の声が聞こえるだけだ。

 学院長が学院にいると言うのだからこの敷地内のどこかにいることは確かなのだろうが。

 カミトはとりあえず適当に廊下を歩くことにした。

 道行く女子達が何か噂話をしているが気にしない。

 クレアが呑気に挨拶をしてくるが気にしない。

 今はスライムを捕えることが先決だ。

 と思っていると、いきなりカミトの首に鞭が巻き付いてきて彼は後ろに引き倒された。

 起き上がる間もなく、上からクレアの顔が現れて怒声を浴びせてくる。


「何で無視するのよ! このあたしが奴隷精霊のあんたにありがたくも挨拶をしてやったというのに! 泣いて喜びなさいよ!」

「俺は今忙しいんだ! スライム! スライムを探さないと!」

「スライムう~?」


 クレアは不思議そうな顔をして力を緩めてくれた。だが、まだ解放してくれる気は無いようだった。その疑問をぶつけてくる。


「それってあの水精霊みたいにプヨプヨした?」

「そうだ。水精霊みたいにプヨプヨした奴だ」


 水精霊と聞いてカミトは思い出すことがあった。

 以前に学院内で水精霊が暴走する事件があったのだ。

 あの時、クレアは服も着ずに全裸の姿でシャワー室から飛び出してきてカミトに抱き着いてきたのだ。そう、今目の前にいるクレアが全裸の姿で……

 と考えていると、クレアは何故か顔を真っ赤にさせて震えていた。その瞳がうるんでいる。そして、爆発した。


「何考えているのよ! この変態!」

「お、俺がいったい何を考えたというんだー!」


 クレアが力任せに鞭をぐいぐいと締め付けてくる。


「女は男の考えていることには敏感なのよ! 消し炭にするわよ!」

「だったら普段の俺の気持ちも察してくれよー!」


 クレアは本気になっていた。どうもすぐには落ち着いてくれそうになかった。

 学院の生徒達が何の騒ぎかと寄ってくる。

 スライムも何が起こったのかと現れた。


「……って、スライムが現れてるじゃねえか! ほら、クレア! スライムが現れたぞ! ほらー、タップタップタップ!」

「うっさい! 誤魔化そうとしても無駄なのよ!」


 クレアは話を聞きやがらない。

 周囲の生徒達も二人の喧嘩に夢中でスライムのことなんてガン無視だ。

 なるほど、学院長が慌てないのも納得だ。

 スライムに比べればこの学院の生徒の方がよっぽど危険な怪物だ。

 カミトはすぐには動けない自分の代わりに精霊を召喚することにした。


「くっそ、エスト! 任せた!」

「了解」


 エストが現れてスライムに向かっていく。

 今日は服を着ていてくれた。良かった。助かった。カミトは一つ安堵する。

 幼女に変なことをさせる変態の汚名は回避出来そうだった。

 普通の生徒のことなんか気にも留めない野次馬連中の間を通り抜けて、エストはスライムに飛びかかった。


「えーい」


 緊張感のない声とともに繰り出される跳躍と攻撃。そのフライングキャッチをスライムは素早く避けた。

 なかなかすばしっこい奴だ。

 そして、あろうことかこちらに近づいてきた。

 カミトは急いで首に巻き付いているクレアの腕を叩いた。


「おい! クレア! スライムが来るぞ!」

「うっさい! このまま消し炭になれ!」

「あーもう、話聞けよー!」


 カミトはクレアにまとわりつかれながらもスライムが飛びかかってきたら捕まえようと身構える。

 だが、スライムはカミトの方には来なかった。

 スライムは素早いスピードのまま跳躍すると、クレアの顔にへばりついた。


「もがあ、もがあ!」


 クレアは顔にスライムをへばりつかせて倒れ込んだ。

 解放されてカミトは起き上がった。


「ありがとう! スライム!」


 だが、呑気にしてもいられない。早くスライムを捕まえないと。

 カミトは殺気を悟られないように慎重に両手を伸ばした。

 クレアはまだもがいている。


「そのままスライムを捕まえておけよ、クレア。今取ってやるからな」

「わたくしが仕留めますわ!」

「え……?」


 いつの間にかすぐ間近にリンスレットが立っていた。

 その手に持たれた氷の弓はすでに引き絞られている。


「ちょっと待ってよ、リンスレットさ~ん」

「天誅!」


 カミトの願いを聞く間もなく、矢が放たれた。

 すぐ至近の距離だ。普通なら外さないだろう。的が動かない物だったのならば。

 その攻撃をスライムとクレアはそれぞれ右へ左へと躱した。どっちも素早い奴だった。

 立ち上がってクレアは文句を言った。


「あんた、今あたしを狙ったでしょ!」

「あなたなら必ず避けると信じていましたわ」

「そんな信頼はいらないのよー!」

「それよりも今はあのスライムです!」


 メイドのキャロルが現れて話を本題に戻してくれた。良かった。助かった。

 カミトは一息ついて廊下でプルプルしているスライムを見た。

 つぶらな瞳の可愛い奴だった。


「凶悪な面構えをしているわね」


 そのスライムをクレアがそう評する。どっちが凶悪かはあえて言わないでおいた。

 スライムは逃げることもせず、じっとしている。

 周囲の生徒達も立ち去ることもせず、じっとしている。

 状況を伺っているようだった。何かを期待して。


「この野次馬連中どもめ」


 カミトは呟きながら戦況を見る。

 すぐに飛びかかってもスライムはまた避けてしまうだろう。ここは作戦が必要だ。

 エストが戻ってくるのを待って、カミトは仲間に作戦を伝えることにした。


「下僕の考えを聞きましょう」

「言いたいことがあるなら言えばいいじゃない」


 二人はふんぞりかえりながらも聞いてくれる。カミトは伝えることにする。


「まずはリンスレットが矢を放つ。それをあいつは避けるだろうから……」


 そこまで言いかけた時だった。

 氷の霊気が巻き起こる。言い終わる間もなく、リンスレットが動いていた。


「わたくしの矢は避けさせはしませんわ!」


 避けられたばかりでどこからその自信が出て来るのか。

 リンスレットは氷の矢をスライムに向けて弓を引いた。

 そんな彼女をキャロルがすかさず褒めていた。


「即断即決。さすがはお嬢様です」

「さすがじゃねえ! 話聞けよー!」

「抜け駆けはさせないわよ!」


 続いてクレアも動いた。鞭に炎を纏わせ、それを振る。


「消し炭にしてやるわ!」

「今度こそ仕留めますわ!」

「だから、捕獲するんだって!」


 バラバラのチームワークだった。

 放たれた氷の矢と炎の鞭はスライムに届く前にぶつかって水蒸気へと変わった。

 攻撃が消えて廊下が静かになる。

 スライムはその状況を無言で見つめ、周囲の観衆からは拍手が上がった。

 クレアとリンスレットは喧嘩を始めた。


「邪魔するんじゃないわよ!」

「邪魔をしたのはあなたでしょう! カゼハヤ・カミトはわたくしに矢を放てと言いましたのよ!」

「それは前座の余興としてでしょ! カミトは本番はあたしに任せると言ったのよ!」

「言ってないではありませんか!」

「言う前にあんたが勝手なことしたんでしょうがー!」

「むー!」

「ふー!」

「どうどう! お前ら、今は喧嘩している場合じゃ……」


 カミトが何とか仲裁しようとした時だった。凛とした声がその場に割って入った。


「これは何の騒ぎだ!」


 現れたのはこの学院の風紀を担当する騎士団の団長エリスだった。その後ろには団員の三つ編みの少女と黒髪の少年ぽい少女もついてきている。

 騎士団が現れ、周囲の観客達は気圧されるように一歩下がった。終わりを見届けるまで解散するつもりまでは無さそうだった。

 エリスは騒ぎの中心にいるカミトの姿を見て露骨に嫌そうな顔を見せた。


「またレイヴン教室の生徒達が問題を起こしたのか」

「俺が起こしたわけじゃねえ!」

「あたしはただカミトを手伝ってやろうと思っただけよ。それをこいつが邪魔して」

「ご挨拶ですわね。わたくしとカミトはただそこのスライムを捕まえようとしただけですわ」

「スライムか」


 エリスは足元でプルプルしているスライムを見つめた。そして、いとも容易くそれを持ち上げて抱きかかえた。


「え……スライム……?」


 カミトは思わずそれを呆然として見つめてしまった。

 だが、捕まえてくれたのなら話は早い。

 カミトは受け取ろうと近づこうとした。だが、その前にエリスの視線に見つめられて歩みを止めた。


「まったくこんないたいけで可愛い動物で遊ぼうなんて、お前らは今年で何歳になるんだ。これは騎士団で預かっておくからな。後で反省文を書いて持ってこい」


 そう言い残し、エリス達はスライムを持って去っていった。


「あれ? スライム……」


 標的を失ったカミト達を置いて。


 それからカミト達は教室に戻って素直に? 反省文を書いた。

 クレアとリンスレットは鉛筆を手に席につきながら不満をぶうぶうと口にしていた。


「なぜあたしがこんな物を……」

「こんな物、適当に書いて出しておけばいいのですわ」

「さすがお嬢様。適当でも品がございます」

「お前ら、真面目に書けよ。頼むから」

「ん、書けた」

「おお、エストは書くの早いなあ」

「む、あたしだって」

「負けませんわよ!」


 クレアとリンスレットもやっと真面目になって反省文を書いてくれた。

 カミトはそれを受け取った。

 二人は自信たっぷりにふんぞり返っていた。


「どう? 凄いでしょう?」

「世界一の反省文ですわ」

「ああ、凄い凄い。お前達は世界一の文豪だよ」


 カミトはそれを代表して提出しに行った。

 その頃にはスライムは騎士団の部屋で気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 カミトはそれをグレイワースの元に届けたが、捕まえた手柄は騎士団の物になっていて、借りを作る機会を失ってしまったのだった。

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