第32話 帰還命令

 身体の下でウーがひときわ高い声をあげた。

 キースは思わず動きをとめる。


 数秒のち、見下ろしていたキースをウーが非難めいた目で見上げた。


「……今、もう少しで身体が宙に浮きそうだった」


 不満げな言葉を吐き、ウーはキースにしがみつく手に力を込める。


「……悪かった」


 とりあえず、キースは謝ってはみたものの、自らの身体も急速に変化するのを感じた。

 気持ちが収まらなかったのか、ウーはキースの頭を引き寄せるとキースの唇に軽く噛みついた。

 甘やかな痛みに脳が痺れそうになる。

 キースはウーの口を自分の口で覆い返すと、ウーの脇に手を入れ抱き上げた。

 自分の膝の上に座らせ顔を離すと、まだ不満そうな顔でウーは自分を見下ろしている。


「悪かった」


 苦笑して、キースはウーの頬を手の甲で撫でた。

 ウーは拗ねたようにキースの髪をつかむと、キースの額を自らの胸に押し付けた。

 キースは肌に唇を這わせながら、ウーの髪を撫で、なめらかな背中をなぞる。

 手入れなど今までしたこともなかったろうに、極上の手触りだと思う。

 ウーの力がほどけるように徐々に抜けて、大人しくキースにもたれかかった。


「なぜ、しばらく帰ってこなかったんだ」


 キースの肩に顎を乗せてウーがつぶやいた。

 時は深夜で、もともと静閑な場所にあるキースの集合住宅は他に物音一つしない。

 ベッドサイドの明かりに照らされた部屋内で、窓のそばの温水パイプの上にのせてあるタオル群の山をキースはぼんやりと見る。

 ウーの背中の後ろでキースは両手を組み、伝わってくるあたたかさに浸った。


「知っているだろうが暴動があった。警戒態勢で、しばらく職場に寝泊まりしていた」


 自宅に戻ったのは5日ぶりか。


 先程、夜遅く帰宅しドアを開けた途端、奥からウーが音をたてて飛び出してきた。

 髪が乱れたまま、こっちを見上げるウーに、まるで飼い主に駆け寄る犬のようだとキースは笑いがこみ上げた。


『まだ起きていたのか。寝ているのかと思った』


 キースの言葉にウーは無言で近寄った。

 キースがその手を引くと、ウーは身を預けてきた。

 それで、寝室に流れてこういう次第になっている。


「寒かった」


 ウーがキースの肩に軽く歯を当てた。

 それは自分もそうだったと、キースは思った。

 いつのまにか、睡眠時のウーの体温に慣れ、自分の体温だけでは物足りなくなっていた。


「ウー」


 キースはウーの耳もとでささやいた。


「おまえに帰還命令が出される。予定より早く、グレートルイスに行くことになる」


 ウーはキースから身を離して、キースの顔を正面から見つめた。


「まだ、絵はできあがってないぞ」

「ああ。それは、もういい」

「グレートルイス語も覚えてない」

「そうだが、仕方がない。状況が変わった」


 キースは大きな灰色の目を見開いて見つめてくるウーを見返した。


「この国にいるのが、危険だとみなされた。グレートルイスに帰るのが、安全だ」


 ウーはうつむいた。


「言葉を身に付けられなかったのは仕方ないが、向こうに行ってからでもなんとかなる。レンはゼルダ語を話せるし、他にもゼルダ語を話せる者はいる。……俺が学生のとき、つくったメモがある。いまのお前ならなんとか読める。とりあえず、明日からそれで勉強したらいい」

「いつからなんだ」

「さあ。はやければ、今週中にでも行くかもしれない」


 ウーは黙り込んで空を見つめた。


「……それから、あとひとつ、お前に話すことがある」

「なんだ」

「話すのが遅くなって、お前に申し訳ない。お前の身体のことだ」


 ウーは首を少し傾けてキースを見やった。


「お前は、下女クアン女王メヤナのように子は産めないと言っていたが、そうとは限らない。この国やグレートルイスで治療を受ければ、お前の身体は変わるかもしれないそうだ。早い方がいいらしい。治療を受けるなら俺が手配する」

「治療?」

「そうだ。薬を飲んだりする。子供が産めるようになるかは分らないが、女王のような身体に近づくことはできる。ニャム族以外の女性の身体のように」

「……私に子供が産めるかもしれないのか?」

「治療を受ければ可能かもしれない」


 キースの言葉が終わったと同時に、ウーが飛びついてきた。

 キースの右頬と左頬を順に、ウーの頬が素早く滑っていった。


「ありがとう」


 笑みを浮かべて、ウーはキースを見つめ、キースの額に自分の額を合わせた。


「もし、子供が産めなくても、やってみたい」


 そのまま、キースの口に口づけた。

 こんなにウーが喜ぶとは思っていなかった。

 キースは早く告げればよかったと、後悔する。


「すまなかった、もっとはやく言うべきだった」


 そう言うキースの言葉をもう聞いていないのか、ウーが体重を預けてキースを後ろのベッド上に倒した。

 頬を押し付けて抱きついてくるウーの頭にキースは手をやる。

 その口もとに微笑を浮かべると、キースは体を反転して、再びウーとの身体の位置を変えた。

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