第33話 アルケミストという人物
アルケミストと会うのは二回目だった。
職場からアルケミストの家に到着したときは、夜も更けていた。
前もって連絡はしておいたが、彼の性質上プライベートな時間に訪問するのは、彼にとってはかなり不愉快だろうとキースは覚悟していた。
ドアからアルケミストが現れた時、キースは謝罪から入った。
「かまいませんよ、こういう状況下だ。あなたの時間がままならないことは承知しています」
アルケミストは答えると、キースを招き入れた。
応接室に招かれ、ソファーに座るよう促される。
まったくもって、すっきりとした内装の部屋でこれではキースの部屋と変わらない。
アルケミストはスーツではなく、オリーブ色のセーターと茶色のズボンを着用していた。
「どうですか?」
ワインをすすめられたがキースは断った。
「では、紅茶でも」
ありがとうございます、と顔をふせると、アルケミストは部屋を出て行った。
キースは顔を上げてもう一度部屋を見回した。
壁に一枚、写真が飾ってあった。
白い肌の家々の窓辺には花、同じように白い肌の階段が延々と空まで続いている風景だ。
部屋の照明が暗いため、はっきりとはしないが、ぬけるような青い空色をしていると思われた。
グレートルイスの東海岸でとった写真だとキースは思った。
「グレートルイスのヨランダです」
部屋に戻ってきたアルケミストが、キースが写真を眺めているのに気付いて告げた。
キースの前にカップを置き、隣に紅茶ポットを置く。
「二十年以上前になりますか。学生だった私は、描いた絵がその年の芸術展で、特選をとりましてな。特典として、グレートルイスの芸術の都、フェルナンドに短期留学をする機会を得たわけです」
キースに向かい合って座り、アルケミストは前で手を組んだ。
「初めて、国外に出たわけです。……実に有意義な数日間でありました。あの国の太陽は、底抜けに明るい。国民も、動物たちも、草花でさえ、あの国は陽気だ。それに、街を歩く女性たちの、美しかったこと。……今まで生きてきて、あそこまで胸の躍る経験をしたことは、あの時以来ありません」
アルケミストはキースの顔を見た。
「この国の国民大半が外の世界を見ることなく、一生を終える。つくづく、私やあなたは幸運だと思うべきです」
おっしゃるとおりです、とキースは応える。
「さて、絵の報酬についてのお話でしたな」
アルケミストがポットを持ち上げ、キースのカップに紅茶を注いだ。
「恐れ入ります。……レン=メイヤ=ベーカー氏からも、お話はうかがっているかと思いますが、このたびシャン・ウー嬢が帰還することになると思われます。つきましては、絵の作成中止と……」
「報酬は、結構です」
アルケミストが言った。
「しかし」
「絵の作成も中止ではなく、休止とさせていただきます。おそれおおくも私は、作品を途中で投げ出したことは一度もありませんでしてな」
お茶が冷めます、と彼はキースに促した。
「もうじき発表されるでしょうから、あなたには告白します。……私は、カチューシャ市国の市民権を得ました」
キースは驚いてカップを取り落としそうになった。
「それは……」
カチューシャ市国に移住を切望する者は多い。かなり狭き門であるから今まで市民権を獲得した者は、余程の財産をもった者や、特別な才能を持つ者、功績を残した者に限られていた。
確かに、芸術家として大成したこのアルケミストなら、文化功労者として認められるのも可能だろう。しかし。
「ゼルダ人としては、私が初でしょう」
アルケミストが初めて笑みを浮かべる。
その笑顔に、キースは既視感を覚えた。
が、一瞬にしてその事は忘れ去り、わきあがる疑問を彼にぶつけた。
「一体……」
どんな手を使ったのか。一番知りたいのは、そこである。
「今までゼルダで築いてきた人脈の賜物としか言えません。顧客には、かなり地位の高い方もおられましたから。私としても、一世一代の賭けでした」
アルケミストはソファーの後ろ背にもたれた。
「この国は芸術家にあまり優しくない。私は老い先短い身です。できることなら残りの余生をパトロンの宝庫とされるカチューシャで、思う存分絵を描いて過ごしたかったのです」
今までの彼からは想像出来ない、いたずらっぽい笑みを浮かべて、彼はキースを見た。
「あなたの上司からは、一番の協力を得たと申しておきましょう。その代わりと言ってはなんですが、あなたから受け取る予定の報酬額はそれを考慮させていただきました」
なるほど、とキースは得心がいった。
気付かぬうちに、我が上官からの恩恵に預かっていたわけだ。
「彼と私とは、昔から特別な関係でしてな。……まだ、お気付きになりませんか?」
おかしそうに、アルケミストは目を細めた。
キースはどう反応していいのかわからずとまどっていたが、あ、と目を見開いた。
「そうです。彼と、私は分身です」
そうだ。先程覚えた既視感。
人をくったようなあの笑みは、かのキルケゴール氏そのものではないか。
アルケミストとキルケゴールは、ヨハネの
「……また、随分と」
キースの言葉に、アルケミストは声を出して笑った。
確かに、生活習慣の差によって体型、輪郭、顔のしわ、目鼻に多少の違いはあるが、おおよその造作は同じである。しかし、髪型や服装、話し方等の印象でこうも違うものか。
キースとて、ラリーやアレクセイとのことを考えると人のことは言えないが、それにしても彼らふたりは違いすぎる。
「私たちは、昔から外見を変えることに労を費やしました。レプリカがヨハネではね。しかし、彼はやりすぎです。あの髪色はいただけません」
アルケミストは苦笑する。
とうもろこし色に染めたキルケゴールの髪は彼のトレードマークとなっている。たしかに、あの色に染める者など他にはいないだろう。
「瞳にはコンタクトを入れています」
では、鳶色の彼の瞳の奥は、キルケゴールと同じ覚めるような青い瞳なのか。
「一番彼の近くにいるあなたが、気付くのは時間の問題と思っていましたが、なかなか。シアン氏などは、一目で気づかれましたがね」
あいつ、はやく言えよ、とキースは胸中で毒づく。
それともシアンは、キースがとっくに気づいているのかと思っていたのか。あるいは、ただ単に面白がっていたのか。
「閣下とは、お年が近いようにお見受けしますが」
「ええ、はい。双子のようなものです。
同じ年だったのか。アルケミストの方が、幾年か上だとみていた。これも印象の違いか。
「乳児院を出てからは、別々のドミトリーに分かれました。お互いに連絡を取り出したのは、私が絵を出すようになってからですが」
アルケミストは目の前に置いてあった自らの紅茶をおいしそうに飲んだ。
「……ですので、いずれカチューシャ市国にシャン・ウー嬢を連れてきていただきたい。私の希望でシアン氏も来国可能になるかもしれませんしな」
あいつ。
アルケミストと、シアンの関係が読めた気がした。
「ところでシャン・ウー嬢ですが、ご懐妊されてはいませんでしょうな?」
紅茶を口に含んでいたキースだが、アルケミストが放った言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
思わず紅茶が気管に入りそうになり、キースはむせた。
「……そんなはずは、ありませんが」
失礼、ともう一度せきこんでからキースは答える。
「彼女は第二次性徴不全の障害を持っています。現況だと、それはありえないかと。今から治療を始める予定ですので」
「そうですか」
腑に落ちない様子で、アルケミストはあごに手をやった。
「なぜ、そんなことを」
「絵を描き始めてから、シャン・ウー嬢の体型の変化が著しくてですな。いままで、何人もの女性を描きましたが、これほどのことはなかった。思春期の少女でもあるまいに。ですので、妊娠されているのではないかと思ったわけです」
レン、あの野郎。
特にどんな絵だとは聞かなかったが、裸体画だったとは思わなかった。
アルケミストは、キースをはた、と見やった。
「あなたは、気付かれなかったんですか?」
キルケゴールの笑みで、彼は言う。
ウーが言ったのか。シアンが話したのか。
アルケミストには、自分とウーの関係を知られているのだろう。
そういえば密林からこっち、多少、ウーの身体つきが円やかになったような、抱き心地がやわらかくなったような……気がしないでもない。
食生活が変わり、体重が増えただけだと思っていた。
「あなたも彼も、女性の好みは同じようだ。かくいう私もですが」
アルケミストはワインを取りに立ち上がった。
「分身である限り、こればっかりは変わらないのかと思いますな。……カチューシャ教に輪廻論というのがありますが、それと似たようなものだと思います。シアン氏が、ヨハネと懇意だったクリスという人物の血縁者のダミーだということはもちろん、あなたは知ってらっしゃるでしょうが」
キースはうなずいた。
「では、クリス氏と、ヨハネ、ラリー補佐官が複雑な三角関係だったことはご存じで?」
キースは首を横に振った。
「クリス氏は、ヨハネの恋人でありながら、ラリー補佐官に惹かれていたと聞いておりますが、ラリー補佐官の方もまんざらではなかったと私は想像しています。まあ、過去に戻って本人たちに聞いてみない限り、真実は分りませんが。輪廻ではありませんが、分身であるかぎり、運命の糸とでも申しましょうか、レプリカたちのようにお互いなんらかの関係をもたざるをえない状況というのが、必然的に存在するのではないかと、最近思うようになりました」
アルケミストはグラスにワインを注ぎ入れると、グラスを振った。
「……カチューシャ教に入信いたしましたもので。まあ、その影響でしょうな」
キースの方を振り返り、アルケミストは照れたような笑みを浮かべた。
こういうところをみると、彼はやはり、かのキルケゴール氏とは全く違う人物なのだと思う。
「カチューシャ市民権取得、おめでとうございます」
キースは頭を下げて祝詞を述べた。
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