ゼルダ 首都セパ編

第26話 帰国

 ゼルダの国際空港内で、一人の際立った青年が電話をかけていた。

 周りの者はちらちらと彼を見ながら、自らの電話相手と話す。


 キース・カイル補佐官だった。

 190近くある長身を硬質な制服に包んでいる姿は、まわりに威圧感を与えた。


『おう、お疲れさん。やっと着いたか。まってたぜ』


 受話器の向こうでグレートルイスのブラック副大統領の秘書官、レンが明るい声を投げた。


『予定を狂わせて、すまなかったな。俺の叔父貴が柄にもなくお前を夕食に招待するとは思わなかったんで』

「それで、彼女はどこにいるのかわかるか」


 キースは壁に埋め込んである時計を見ながら言う。

 16時間の差だ。シャン・ウーがゼルダに到着したのと。


『本当は、お前と同じ便にしてやりたかったがな。すまない。近くのレキシントンホテルに部屋を取ったよ。ホテルのオーナーに頼んでおいたから、彼女を空港まで迎えに行ったはずだ。安心していい』


 レンは煙草を消しているのか少しの間を空けてから


『画家のアルケミストのモデルだと言ってある。俺が、アルケミストに彼女を描くように依頼したとな。とりあえず、絵が完成するまでは、帰還命令をだされることはないだろう。アルケミストにはもう連絡してある』

「その、アルケミストとは知り合いか?」

『ああ、俺は奴さんの大ファンで奴さんにとっちゃ、俺はお得意様だな。まさか、お前、知らないとかいうんじゃないよな?』

「名だけはきいたことあるが」

『おいおい、今や世紀の画家といわれるアルケミストだぜ。ちったあ、芸術にも興味もったら、どうだ?』


 レンのため息が聞こえる。


「ああ、そうする。近いうち、彼に礼を言うために会わなければならないだろうしな」


 キースは壁時計の下にかかっている絵の右下に、アルケミストのサインがしてあるのを認めながら続ける。


「今回は恩に着る。ありがとう」

『いやいや、俺こそ人間離れした美女に会わせてもらった礼を言おう。価値観が変わったぜ。上には上がいるもんだ』


 レンの声が突然にやける。


『そっちに行く場合には、また会いたいものだな。俺のこと彼女によろしく言っておいてくれよ。……で、これから彼女をどうするんだ?』

「俺の家にひとまず置こう。彼女自身に聞いてみないとな。どうするかはまだ考えていない」

『いずれ、グレートルイスに家を買って住まわせてやるのを、俺はおすすめするな。お前の愛人というレッテルをはられるわけだけど。そっちよりは、居心地がいいだろう』

「それも、考えてはみたが。しばらく先だな。文明社会について教える必要がある。彼女の場合、言語は使えるが、読み書きはさっぱりだ。常識もない。ある程度、世話をする」

『それくらいなら、俺がしてやるのに。彼女にそんなに恩があるのか?』

「ああ。罪悪感も多少ある」

『……キース』


 レンが声の量を落とした。


『お前、で、どうなんだ。……彼女とは関係をもったのか?』

「それが、なんの関係がある」

『て、ことはお前したんだな? おい?!』

「一回、お互い興味でな。もうこの先ないだろう。では、彼女を迎えに行く。ありがとう」


 と受話器を耳から離した。


『おい、まて。手が早い奴だな、話はこれから……』


 レンの声が聞こえたが、キースは受話器を置いた。

 キースはレキシントンホテルへと向かうため、エスカレーターに乗る。

 ゼルダの国際空港線はおどろくほど、人が少ない。出入国が規制されていて無理もないからだろうが。

 国内線の人の量と見比べていたキースは、自分へ向けられる視線に気づき、ふりきるように歩き出した。


 5日前に国の生命の源、『シー』が爆破されかかった事件を思い出す。自分がいない間、ずいぶんと国情がかわったものだ。


 空港からタクシーに乗り、窓の外をみやる。どんよりとした天気が多いゼルダだが、この日も雲は厚く垂れこめ、灰色の空だった。人も、植物も、何もかも色彩が薄い。極彩色の花、頭上からふりそそぐ強烈な太陽光、目が痛くなるほどの緑の世界にいたことがうそのようだ。


 レキシントンホテルに着いたタクシーを降り、キースはフロントに行く。レキシントンは由緒あるホテルで、ゼルダの首都セパの顔となるホテルだった。フロントのスタッフはそのホテルに相応しい品のある笑みをキースに向けた。


「キース=カイルだ。昨日、シャン・ウー嬢がこちらに来たはずだが」


 受付の二人の男は笑みを消し、顔を見合わせた。


「はい、昨日からこちらにお泊りです」

「彼女を迎えに来た」


 再び、受付の二人は顔を見合わせた。


「こちらへ」


 そのうちの一人が、フロント横の個室にキースを案内した。

 ソファーと小机があり、男はキースに座るよう促す。

 キースが腰かけると、男も向かいに座って、手を組んだ。


「支配人からうかがっております。カイル様がシャン・ウー嬢をお迎えに上がると」


 それっきり男は動かない。


「……?」

「お茶でもいかがですか?」


 男は、スタッフの一人に手をあげて合図した。

 ウーを連れてくる様子でもない。


「あー……シャン・ウー嬢の部屋を言ってくれれば、自分が行くが」

「……」

「……きみ?」

「シャン・ウー嬢はお部屋にはいらっしゃいません」


 男が言った。


「外に出たのか?!」

「いえ、ホテル内にいらっしゃいます」

「じゃあ、どこだ? 案内してくれないか」


 男は無言だ。

 キースは嫌な予感が胸をよぎる。


「……このホテルの別の部屋にいるのか?」


 男は答えない。

 キースは立ち上がった。


「ちがうんだ、彼女は君たちが思っているような人物じゃない。グレートルイスの客人だ」


 男は目を見開く。


「……! 申し訳ありません。シャン・ウー嬢は昨晩、このラウンジでピアノ演奏を聴いてらっしゃいました。そのときに、お知り合いになった方と話が弾んでおられましたので……」

「相手の部屋に案内してくれないか」


 二人は、部屋を出てエレベーターに乗り込む。男は最上階へのボタンを押した。


「申し訳ありません。しかし、私たちには……」

「わかってる、君たちを責めているわけじゃない。私が責任を持つ」


 キースはなかなかたどりつかないエレベーターの速度に苛立った声で答える。


「相手の名を教えてもらえるか?」

「……陸軍のショーン・カタドロフ大佐です」


 大物だ。

 キースは息をのむ。


 最上階につき、キースと男はエレベーターの扉が開くなり走りだして奥の部屋へ向かう。

 ドアの前に行き、男は呼び鈴をならした。

 数秒後、再び男は呼び鈴を鳴らす。

 キースは待てず、ドアをたたいた。


「カタドロフ大佐! 出てください! カタドロフ大佐!」


 中から物音がし、ドアノブが回る。

 バスローブ姿の頭が禿げた男が現れた。頬には青あざができている。


「外務局のキース=カイルです」


 キースは姿勢を正し、礼をする。


「ああ、きみか。彼女が待ってたのは」

「お休み中のところ申し訳ありません。シャン・ウー嬢がこちらにいらっしゃるはずですが」

「ああ、とんだ目にあった。キルケゴールもひどいじゃじゃ馬を連れ帰ってきたものだな。あれじゃ、まったく乗りこなせん」


 顔をしかめて、カタドロフ大佐は苦笑する。


「カタドロフ様、こちらへ」


 男がキースに目で合図し、カタドロフ大佐を廊下へ連れ出す。


「なんだ?」

「お話が。別室でお願いいたします。こちらへ」


 キースは男に軽くうなずいてから、部屋へ入った。


「ウー」


 部屋の電気は消えており、カーテンからかすかに漏れる光であたりは確認できた。

 足元には調度品が散乱していた。スタンドが倒れ、テレビのコンセントが抜けて、画面があらぬ方向を向き、割れた花瓶の破片も散らばっている。


 キースは破片を踏まないようにしながら、奥へのベッドルームへの扉を開けた。


 とたんに、本がとんできてキースの顔にまともにぶつかった。

 反射的に閉じた目を開けると、次はハンガーが飛んでくる。

 腕で受け止めてハンガーを床に落とすと、キースは投げつけられた方向を見る。


 ベッドのサイドテーブル上で、ウーが壁を背にしてしゃがみこみ、こっちをにらみつけていた。

 髪は乱れ、グレートルイスで買い与えたピンクベージュのワンピースの肩口の生地が引きちぎられたようにとれかかっている。


「ウー」


 キースは一歩踏み出す。

 同時に、ウーは本を投げつけた。キースの左肩に命中する。構わず近づくキースに、ウーは机にのってるものを手当たり次第に投げ出す。


「ウー」


 肩をつかもうとするキースに、ウーは金切り声をだして暴れた。ウーの肘がキースの頬にあたり、キースは顔をそむける。


「ふざけるな!」


 ウーが言い放つ。


「このために、連れてきたのか!」


 口や手首にあざが赤く残っている。


「こんなためにお前と寝たんじゃない!」


 ウーの目尻は赤らんで、ひきつれている。唇はあまりに強く噛み締めたためか歯形がつき、変色していた。


「すまない」


 キースはウーを抱き寄せた。


「離せ!」


 ウーはもがいてキースを振りほどこうとする。


「離せ!」


 抵抗するが、キースの力は強くウーの腰に顔を押し付けてくる。脚で蹴り出し、押し付けてくる髪を必死でつかむが、キースは離れようとしない。


「すまない」


 腹の前で謝るキースを見下ろし、何か言おうと口を開いたウーは、キースの様子に気づいて口を閉じた。

 キースの髪をつかんでいた手の力を抜く。


「すまなかった」


 キースの胸を蹴り出していた脚も、ゆっくりと下へおろした。

 顔をあげようとしないキースを、ウーは困惑したように見つめる。


「キース」


 声をかけてみるが、キースは体勢を変えず、すまない、と小さな声で繰り返した。


 ウーはしばらくその状態でキースを見下ろしていた。

 が、やがて下へ下げていた左手をキースの肩におき、右手で彼の髪をそっと撫でた。


 

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