第27話 歓楽街《パラダイス》

「未遂?」


 シアンが驚いた声をあげ、背後のソファーに座りキャロルたちに囲まれているウーを振り返った。


「なに、あの子、そんなに強いの? 一晩抵抗続ける体力あったんだ」

「密林で生活してた子だ。カタドロフ大佐も現役時代とは程遠い。まあ、運が良かっただけだ」


 キースは続ける。


「ホテルの支配人が間に入って話し合った。告訴しなければ、こちらのいい値をだすと大佐は言っている。実際、ウー自身の被害より、大佐の被害のほうが大きい。ウーも出自があやふやだし、入国も法かいくぐって入ったしな。公になって、つっこまれるより要求飲んだほうがいいかと思う。ホテル側も内密にすることを望んでいる」

「まあ、由緒あるレキシントンでそんなことがあったっつったら、大問題だからな。他国の要人、みんなあそこに泊まってんじゃん?」


 シアンは、一回あそこに泊まってみたいんだよな、と言ってキースをのぞきこむように見上げた。


「おまえ、泣いただろ」

「……」


 キースの顔は普段通りだったが、長年の同室だったシアンには分るらしい。


「かわいそうだから、これ以上つつくのはやめるわ。……あの子自身がそれでいいなら、いいんじゃないか? あの子自身が納得いくほど世の中のことまだわからないと思うけどな。くれるってんだから、もらえるもんはもらっとけよ」


 シアンはもう一度振り返ってウ―を見た。


「あんだけきれいな子、一人でこの国にやるってのが、間違いだろ。オオカミの群れにのしつけて献上するようなもんだ。それに外務局関係っていやあ、キルケゴールのおっさんの愛人ってみられるだろうしなあ。ついてなかったお前の責任だ、これから気をつけろよな」

「ああ。深く考えてなかった。それで、たのみがあるんだが」

「きやがったか」


 くると思ったぜ、とシアンはつぶやく。


「昼間彼女をここに置いてくれないか。一番安全じゃないかと思うんだが」

「まあ、昼間はな。夜は、それこそ一番の危険地帯だけどな」

「アルケミストっていう画家が彼女の絵を描くことになっている。彼がウーに何もしないとは限らないし、お前が一緒にいてくれると助かる」

「アル? あの人は大丈夫だと思うけどなあ」


 シアンが目を丸くして言った。


「知ってるのか? この界隈に住んでることは分ってるんだが」

「昔からこういうとこは芸術家たちのたまり場ですよ。女神を求めてな。よく来るぜ。オレも前にモデル頼まれたっけなあ」

「なら、話は早い。お前とともに、描くという条件で彼と話をつけた」

「はあ!? お前、人に断わりもなく……!」

「ついでに、昼間の空き時間、ウーに言葉や常識を教えてくれるとありがたい」

「お前ね、人を心配させたと思ったら、次から次へとこちらのことお構いなしに要求してくれるんだね」


 シアンは呆れ顔で


「この商売は体が資本だぜ。昼間の睡眠時間削減はもろに体に出るんだよ」

「だが、今は客が少ないんだろう?」

「言ってくれるな、お前」


 シアンはにらんでから、キースの頬を軽くたたく。


「昼間の彼女の飲食代と、家庭教師代、モデルに割く時間は商売と同じ時間給でもらうぜ」

「もちろん。ほかにも入用なら出す。レンにも話はつけてある。モデルが増えて上乗せした分は俺が払う」

「レン外交官も物好きだな」

「今は秘書官だ。割と快く承諾したぞ」


 電話でレンと話した際のことを思い出す。

 他国民にとって、ゼルダのパラダイスの華というのは、神秘のベールに包まれたハーレムの美女と同じだ、というようなことを力説していた。喜んでくれるなら、それにこしたことはない。


「それで、体は大丈夫なのか?」

「ああ。寄生虫がいるが駆虫できるらしい。薬を半年飲まないといけないらしいが」

「そりゃ、よかった。また、ジャングルでの話はおいおい、聞かせてくれよ」


 キースはいずれ話すであろう話の量の多さに、どこから話したものかと思う。


「いまは休めよ。休暇、まだあんだろ?」

「あと3日はあるが。調べたいことがあってな。ドミトリーに一度帰ろうと思う」

「ドミトリー? いいねえ、オレもこっち来てから、帰ってないな。一緒しちゃ、だめか?」

「ウーはどうする?」


 キースの言葉にシアンはにやりと笑った。


「キャロル姉さんたちに任せとけばオレより、安全だろう。あいつら、お前に恩売れるなら必死だよ」


 たしかに先程から、シアンの後ろのシャン・ウーの周りにいる彼らたちが、自分の方をみて微笑んでいるのには気づいていた。


「見返り、期待されるの覚悟しとけよ」


 とりあえず半年間は寄生虫感染を理由に断りの言い訳はたつな、とキースは考える。


「密林でえらい宝物を拾ってきたんだな」


 シアンはウーを見つめているキースを見て微笑む。


「夜はお前のところにいるんだろ、彼女。それも危険だな」

「……」

「避妊だけはしとけよ」





 ウーは、周りにいる彼女たちの一人の胸を指して言った。


「それ、すごくきれいだ」


 キャロルは胸元のネックレスをおさえて目を丸くした。


「そう? 安物なんだけどね」


 彼女たちを彩る、きらきら光る装飾品に、ウーは目を奪われっぱなしだった。ニャム族で装飾品といえば木を加工した玉ぐらいで、こんな透明感のある赤や青、緑の石なんて見たことない。もちろん、下女クアンだったウーは木の玉さえ着けたこともなかった。


「つけてみる?」


 キャロルが自らのネックレスを外し、ウーに着けてくれた。


「やあだー、合わないー」

「服が高価すぎるのよー。下品さが、際立つわあ」


 ウーを取り囲む彼女たちは笑う。

 肩口が千切れたワンピースの代わりに、ホテル側がワンピースを用意してくれた。

 密林を抜けてから今まで、見たことのないものが多すぎる。一変した世界を、ただ受け入れるだけで精一杯だ。


 とりあえずは、人の数。

 州保安部の国境警備隊に保護されて、今までに見た以上の男を一度に見た。

 それに始まり、車という移動する部屋。

 空調の効いた車内でウーは震えだし、早速警備隊のジャケットにくるまった。寒くて寒くてたまらなく、発熱してしまった。それからはホテルのベッドに包まって、ひたすら寒さに耐えていた。キースが何回か部屋を出たのは、覚えている。


 しかし、身体は慣れるもので熱が下がったあとは空調の風を寒く感じることはなくなっていた。

 そうすると、感動したのはベッドの心地よさで、まずはベッドの上で跳ねて反動を楽しんだ。キースはその間、椅子に座ってウーの気が済むまで待っていてくれた。


 次にキースが教えてくれた風呂が、第二の感動だった。

 横にある排泄のトイレは一番最初に教えてもらい、それもすごいと思ったが、風呂がこんなに素晴らしいとは思わなかった。

 キースがはってくれたバスタブの湯はウーには温度が高すぎたので、かなり水を加えてぬるめにしたが、気持ち良さのあまり湯をつぎ足し、二時間も入ってしまった。

 いい匂いのする泡も気に入った。


 あまりに長時間の入浴を心配したのか、途中キースが三回、ドアをノックして確認しにきた。何故中に入って確かめないのかと、そのときは不思議に思ったが、ウーが服を脱ぐときなどもキースが目をそらすところをみると、それはそういうものらしい。

 身体を見たり見られたりすることは、タブーとされているらしいと、ウーは理解した。


 三番目の感動は、ホテルのルームサービスの食事だった。

 ふわふわのソースのかかったオムレツを口にしたとき、脳天からつま先まで痺れるような甘い衝撃を受けた。

 それまでに与えられた、パンやシリアルも美味しいと思ったが、あれは格別だ。

 黙々と慣れない手つきでスプーンを使い、オムレツを口に運ぶウーに、見ていたキースは自分の分の皿を押しやった。思わず、顔をほころばせたウーに、キースは初めて笑ったな、と安心したように微笑んだ。

 ウー自身も、この男の柔らかい表情を初めてそのとき見たと思った。


 次には衣服だ。キースがホテルのメイドに頼み、下着から靴まで一式揃えさせたのを、メイドが親切に着せてくれた。

 下着は締め付けられている気がして、気に入らなかったが、さらさらとしたワンピースは生地の肌触りが嬉しくて何度も撫でた。淡い美しい色合いも、とても気に入った。

 が、問題は靴だ。用意されたヒールの高い靴は、歩きにくくて足先が痛くなり、ローパンプスをもう一度メイドに買ってきてもらった。密林を裸足で歩いていたウーは、歩いてるうちに足がむず痒くなる。

 外の世界では、このような格好をしなければならないとわかるが、こんなに平らな地面しかないのに、なぜわざわざ靴を履かなければならないかと思う。


 自分は、もうニャム一族に戻ることはできない。外の世界に暮らすならば、こちらの風習に従わなければならない。キースが丁寧に説明してくれるのが、頼りだ。


「こっちのネックレスつけてみる?」


 まわりの彼女たちが、違うデザインの首飾りをだしてきた。ウーはあいまいに笑い、されるがままとなる。


 パイ女王がこの首飾りを見たら、目を輝かせて喜びそうだ、とウーは思い、胸がちくりと痛む。自分を逃がしてくれた母セイラム、リラ女王、そして逃亡した配下をもつパイ女王に、一族のものたちはどんな思いを持つだろう。特に、タオ・ジェミリ女王は彼女らに何らかの仕返しをするのではないだろうか。


 心配することしか自分にはもうできない。


 沈みがちなウーの周囲で、キャロル筆頭にまわりのものはウーを検分し始めた。


「この髪色も珍しいわよ。馬にさあ、こんな色いるじゃない? 燃えるような褐色っていうのかしら?」

「やっぱり、もとがいいとさあ、ブルネットの方が美しさって際立つのよ。ブロンドは輪郭がぼけちゃうのよねえ」

「肌もきれいよ、下手に手入れしない方が肌も強くなるのかしらね?」

「あーん、この子に着せ替えごっこしたい。お人形さんみたいなんだもの」

「とりあえず、髪型はやばいわよね」


 ひどすぎる、と皆は一斉にうなずく。


「今日中に美容室に行った方がいいわ」


 キャロルが皆を代表して、シアンとキースを振り返り見た。


「シアン姐さん。この子、わたしたちで整えてあげていいわよね? ありえないほど、ほったらかし状態なんだもの」


 シアンがひらひらと手を振った。


「キャロル姐さんに任せますよ、お手柔らかにね。支払いはキースが持つから、手加減しないでいいよ」

「おい」


 低い声をだすキースに


「いいだろ、どうせ無趣味なんだからよ、お前。貯めこむだけだったんだろ、使っちまえ、使っちまえ」


 シアンは答え、キャロルにさらに告げる。


「ちなみにキースの好みは、ナチュラルエレガントだからな。よろしくー」


 キャーと歓声を上げ、彼女たちはウーを立たせると、美容院へと連れて行くべく外へ引っ張り出した……。

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