中幕 デイー
第25話 デイー
「デイー、さっさとしろ! 混んでんだぞ!」
支配人の声が飛ぶ。
「はい」
前菜を皿に盛りつけたデイーは、次は皿洗いにとりかかる。
ったく。
デイーは長時間同じ姿勢だったせいで、こわばった腰をたたいた。
キエスタ人だからって、こきつかいやがって。
彼の日給は、他のコック見習いに比べると、3分の2以下である。
こっちがやめられないのをいいことに、日に日に負担が増していく。
デイーは煙草をふかして談笑しているほかのコックを横目でちらりと眺めて、舌打ちした。
この少年こそ、先日ジャングルでの密猟中にウーと出くわし、一歩間違えればキースのような目にあっていたかもしれない、デイーであった。
どうしてこのように職替えしているのかというと、あの日を最後に密猟グループが警察に捕まり、グループに入ってまだ日が浅く、面が割れていなかったデイーは逃亡したのであった。
今のところ、割のいい職は前ほどのは見つからず、現在のこの仕事が日々の生活を支えていた。
もちろん、かれほどの見映えなら、他にワリのいい仕事はいくらでもある。
デイーはどうしてもそっちの商売には手を出す気になれなかった。
以前、キエスタからグレートルイスへともに出稼ぎにきた友人たちがみなその商売に手を出し、ろくな末路を送らなかったせいかもしれない。
何人かは、麻薬常習者になったり、タチの悪い客にひどい目にあったりしたし、まれに死んだ者もいた。
しかし、こう生活が追いつめられると考えてしまう。
デイーは厨房の隙間から、ホールの方を覗き見た。
あちら側の世界はこんなに近くに見えるのに、目指すとなると、なんて遠いのだろう。
どの国に生まれたかで、あちら側かこちら側かはほぼ決定する。それは、神のご意志だから仕方がないのだろうが。
デイーは客の中で褐色の髪の若い女性に目を止めて、以前会った女のことを思い出した。
やっぱり、今まで見たどの女よりも綺麗だったな。
強烈な出会い方のせいか、密林でのあの少女の記憶は、時間が経過した今でも鮮明だった。
不思議なほど美しい少女。
人間離れしている美しさは、人を喰うという異行をなしているせいか。
あれほどの女なら、世界中のどの男でも一夜を共にするのに金に糸目はつけないだろう。俺も金さえあれば、迷わず……。
はた、とデイーは考える。
まてよ、女だけで住んでいる部族だったな。一見、ハーレムだ。
と、なりゃあ、もしそれをそのままごっそりいただければ、娼館のできあがりだ。文句を言う男もいないし、女だけいうことをきかせれば。ヤク漬けにすれば、それは簡単だろう。
あの女の美しさをみれば、あの女の血縁者たちの美しさも知れるってものだ。
高級娼館も夢ではないのかもしれない。
そこまで、考えてからデイーは己の考えの邪悪さにあきれた。
故郷の父母もまさか自分がグレートルイスに来て一年でここまで変わるとは思うまい。
グレートルイスに来てからしばらくは、デイーは、街中を歩く女性をまともに見られなかった。
服が体を覆っていない。特に夏は、身に着ける意味があるのかわからないほど薄着の女性が多い。
キエスタでは、男女とも貞操観念が強く、年頃の女性は特に体のラインがでないようたっぷりした生地の民族衣装で体を覆う。婚前交渉はもってのほかで、男性も女性も契約を交わすまでは、決して相手と二人きりになってはいけない。
そのような背景と、女性は従順な性質という典型的なキエスタ民族の印象が強く、他の国では『女性はキエスタが一番』だといわれている。
それは、あてにはならない、とデイーは思う。デイーの故郷では服装こそはきびしかったが、妻の方が夫よりも強く、棒で主人を追い掛け回しているおばさんも多かった。
自分の姉が、民族衣装の下はとんでもない服装をしていることもしっている。民族衣装の下は何を着てもいいからだ。
キエスタ南部ジャラ人の母は、父に嫁いで本当に幸せだったという。
北部ヤソ人の父とはちがう、南部ジャラ人の男は他の国が思い描く典型的なキエスタ人代表で、女性の扱いはひどい。必要最低限の会話しか口を利くことを許さず、外出も必要最低限でしか許さない。
キエスタの議長オネーギンのもとにジャラ人出身の青年ドーニスが現れた時、母は悲しんだ。また、キエスタの歩みが遅れると。
母は、多くのジャラ人の女性同様、読み書きができなかった。しかし、姉や自分が学校に通い、母に教えたおかげで、簡単な読み書きを会得した。生活が苦しくなる前までは母は、弟や妹にたのみ、学校から借りてきてもらった本を本当にうれしそうに読んでいた。
だから、このグレートルイスに来て本当に驚いた。女性が男性と同様の仕事をこなしているし、平然と街中でカップルはいちゃつくし、あちらこちらにいかがわしい雑誌やポスターが充満しているし、さらには女性がそれを買っていくこともある。
性産業なんて、キエスタにいたころは想像もつかなかったデイーだったが、今では街中の街娼の女たちの服装も見慣れた。
なんだって、慣れることはできるのだ。
先程のアイデアはわるくない。魅力的だ。
それにあいつらは人をさらって喰うという犯罪を犯しているではないか。
一人ではできないだろう。だが、強力な集団の助けがあれば。
デイーは首を振った。
いい加減にしやがれってんだ。
俺はいずれ故郷にかえるつもりなのだ。
帰れない人間になってしまったら、終わりだ。
自分が行うにしろ、上から管理するにしろ、そういう商売ってのは、変わらないからな。
皿を一枚割ってしまい、近くにいたコックから鉄板の入った作業靴がとんできた。
すみません、とデイーは頭をおさえながら、皿洗いを続けた。
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