第7話 シャン・ウー

 緑の深遠には石の城があるという。


 原住民の話によると、その城は《見えざる城》と呼ばれていた。

 何処にあると聞いても、答えない。

 やがて、原住民たちもその場所を知らないということがわかったのは、ずっと後のことだ。彼らは見えざる城を非常に恐れていた。


 また、毎年、ある時期になると原住民たちが行う習慣がある。

 その時期には男が何人か行方をくらますのだそうだ。

 その男たちに共通点はなく、ある日、突然に消える。

 そして、二度と帰ってこない。

 そのため、ある一定の時期になると原住民たちは男が遠出することを禁じ、森の精霊を讃える儀式を行った。


 キエスタの国境からグレートルイスの西部に連なるジャングルには、そんないわれがある。



 ***********



 熱帯のつやつやした植物の葉の群れを抜けると美しい滝が現れる。

 三十メートルはある自然の瀧だ。まるで白夜の壁が立ちはだかっているようだった。

 身震いするほどの透明な水の底は、深く見当がつかない。細かい霧があたりをひんやりと包んでいた。

 いま、その滝底から、さきほどの少女が浮かび上がる。

 頭の形まで、陶器の人形のように美しい。

 少女は石の上に飛び上がると髪を絞り、滝の流れ落ちる口へと近づいた。滝の裏側は空洞で、少女は流れ落ちる水の帯の隙間にするりと入り、姿を消す。

 しばらく暗い洞窟が続く。ぼんやりと光るコケ類が岩肌にびっしりと生えている。

 少女は慣れた足取りで進んでいたが、ふいに立ち止り、自らの脇腹を見下ろした。

 やっと痛みを感じたらしい。男たちから逃げる時、木々の切っ先でかすったのか、血がにじんでいた。

 少女はまた歩き始める。突如、明かりが見えた。暗がりは消え、再び緑の楽園につつまれる。

 いや、ちがう。

 少女の目の前には、巨大な石の城がたちはだかっていた。

 十メートル以上はあるだろうか。崖を削り、造った城はところどころ穴が開いて、窓替わりをしていた。その穴から幾人かの女たちがちらほら見える。

 建造物にありがちな神話のたぐいの偶像はなく、つるりとした外観をしていた。つたが壁をはいまわり、岩肌は黒っぽい肌質でにぶい色をしていた。


 このように城は何百年も人目にさらされることなく存在してきたのだ。


 城の周りでは洞窟からしみこんできた小川がながれ、女たちが植えた果実の木々が取り囲むように立っていた。日光は洞窟の天井の切れ目から差し込み、それは植物が育つ量を満たしていた。


 城から女たちが出てきた。

 この城に通常の入り口はない。女たちはつたを編み込んだ縄をつたい、高い位置にある窓から出入りするのだ。

 窓からは何本かの縄が下してあった。この縄を城の中へ取り込んでしまえば、入城することは非常に困難となる。


「ウー!」


 壁を降りてきた女のひとりが、洞窟からやってきた少女に気づき、走ってきた。

 籠を持っている。果実を採集するつもりだったのだろうか。

 背が高く、やせっぽちでその少女も女と呼べる体型には程遠かった。髪は黒く縮れ、後ろで細縄で結わえてあった。

 走ってきた彼女はウーと呼ばれた少女の横腹から血がにじんでいるのを見て眉を寄せた。


「どうした。怪我したのか」

「依神になりそうな男を見つけた。だが、連れて行く前にその仲間に見つかった。逃げる時にかすったらしい」


 少女たちの言語はグレートルイスでもキエスタでもない言葉だった。ゼルダでもないが、不思議と音色はそれに近い。少女たちの民族独自の言葉らしかった。


「そうか。手当てする。こっちに来い」

「助かる」


 ウーは少女と連れ立って歩き出し、城へと向かう。

 どこを見ても男の姿はない。

 数人の女たちとすれちがった。その中の一人がウーに声をかけた。


「狩りが上手だね、ウー」


 ウーはからかいのにじんだ声に足を止める。


「気にするな、ウー。行くぞ」


 横の少女がささやいたが、ウーはきかない。


「毎日狩りに出かけているけど、一人の男も連れて帰りやしない。一体何をしているの?」


 声をかけた女がまた言う。彼女も体は貧相で背が高かった。


「男はいる……。だが、これといった奴が見つからないだけだ」


 ウーは静かに答えた。


「ああ、あのなりそこねた女王メヤナのね」


 からからと女は笑う。


「パイ女王メヤナはおかしくなんかない。体も正常だ。ただ、あの方は苦痛を恐れている。それだけだ。そのためにはあの方の恐れを忘れさせる男が必要だ。私はそれを探している」

「それがおかしいというのよ。交わりや出産をおそれるメヤナなんてかつてあって?」

「パイメヤナは気が優しいから……」

「いずれにしろ、ご苦労だわ。メヤナのために大半森をかけまわって、傷を負って。あたしにはできない芸当だわ」


 女は大げさにため息をついた。そのまわりの女たちも同意する。


「カン・タオ。どうして、あなたはわたしをそう憎む」


 ウーは無表情で訴えた。


「あなただけを嫌いじゃない、シャン・ウー。あなたのとなりのシャン・カンも嫌いだわ。メヤナに信じられないほど忠誠深い人はみな嫌い」


 カン・タオはそう言って笑った。


「あなたには母への感謝がないのか」


 ウーは言いやる。


「ないわ、そんなもの。メヤナなんて私たちがいなければ生きていられない。ただ、食べて寝て、産むだけ」

「メヤナを侮辱するな。あなたもメヤナから生まれたくせに」

「生をうけたことも感謝はないわ。……こんな身体」


 苦々しげにカン・タオは吐く。


「この身体も、この生活もまっぴらなのよ」


 カン・タオは唾を吐く。とりかこんでいた女たちは、かすかに身じろぎした。


「……なら、出ていけばいい」


 シャン・ウーは止めようとするシャン・カンを振り払って言った。大きな瞳は、カン・タオをまっすぐ見ている。


「出ていけばいい。……その身体で外の世界の者が受け入れてくれると思うのならば」


 カン・タオは唇をかんだ。

 そのあとは、仲間とともに後姿を見せて去っていく。


「ウー」


 シャン・カンが呼びかけた。


「急ごう。膿んだら困る」


 ウーはカンを非難めいた目で見つめた。


「あいつら、何もわかってやしない。……何のために我らが生きているのか」

「お前の言いたいことはわかる。後で聞いてやるから、来い」


 有無を言わさず、カンはウーに城から垂れている縄を持たせた。

 縄にぶら下がり、上を見上げたウーは顔をしかめた。


「あれは?」

「メヤナ・タオの依神だったものだ」

「また、殺したのか」


 上の窓から、粗布でくるまれた人型の物体が突き落とされるところだった。


「何人目だ」

「さあ、7人になるか」


 ウーは縄をよじ登る。


「タオ・メヤナは異常だ。依神を殺すのを楽しんでいる」

「ああ。メヤナの中じゃ、スー女王よりも性質が悪い。歴代一、性質が悪いだろう」

「依神を殺していいはずがない。子もつくらずに。最悪の場合に備えて、ある話が仲間から出てるのを知らないのか……」

「ウー!」


 カンがたしなめた。声を低く落としてささやく。


「メヤナを殺すことは許されない。我らは絶対服従だ」

「だが、いつまで続けるつもりだ。我らがとらえた男はみな、タオ・メヤナがとっていく。ほかの女王にまわせない」


 気持ちが昂ぶり、声が高くなるウーをそわそわしながらカンはたしなめる。


「とにかく、まて。時機は必ず来る。女王パイに見合う依神が現れる」

「待っていられるか、もう7年、女王たちは産んでいない。このままじゃ滅ぶかもしれない。婆が言ってた。こんなことは初めてだと。これもかれも、女王タオが依神の怒りをうけているせいじゃないのか……!」

「しっ!」


 鋭くカンが言った。すぐ上の窓を女王タオの配下の女が通ったからだ。


「お前は、敵を作りすぎているんだ」


 やれやれといった調子で、隣の縄にぶら下がるカンがため息を漏らした。


「お前がいきがったところでどうしようもない。どうせ、奴らにはここを出る勇気は毛頭ないんだから。張り合っても同じだ。反感を買うだけだ」

「それは分っている……。だが、許せない。女王に暴言をはくなんて……」


 ウーがすねた口ぶりでそう言うと、カンは笑った。


「とにかく、手当てしてやるから、女王を一回りしてこい」


 ウーはうなずき、窓のへりに手をかけると、やせた体でひらりと飛び乗った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る