第8話 ニャム族の女王たち

女たちで形をなすこの一族を、ウーたちは自らニャムと名乗った。

 女王アリの役割を果たす8人の女王(メヤナ)を主とし、メヤナ以外の女たち、下女(クアン)が一族を支えている。

 下女クアンは女王のために食物を育て、狩り、ある時は種馬となるべき男を連れてくる。

 女王はひたすら子供を産み落とす。


 女王と下女の間にははっきりとした違いがあった。

 まず、体格。下女は細く筋肉質で、胸や腰は小さく、中性的なからだつきをしていた。もちろん月経はなく、子は産めない。

 女王は大体が、豊満で女らしさの象徴という体をしている。

 この両者の間には、絶対的な服従関係が存在していた。

 下女は長年の間、女王に対し信仰といっていいほどの忠誠を誓ってきた。

 だが、昨今少数の反乱精神が現れ始めたのも事実である。しかしながらカン・タオのような口だけの輩だから、まだ案ずるにはおよばない。


 下女が男をさらってくるのは、統一性がないため、ブロンドやブルネット、明るい肌や暗い肌など様々な下女が産まれた。このシャン・カンやシャン・ウーも同じ第5女王シャンから生まれたが、カンは蜜色の褐色の肌をしており、ウーはブルネットだった。

 大昔は男も生まれたことがあったと聞くが、いつからか女しか産まれなくなったという。

 毎年のように、雨期がすぎると下女は男狩りを始める。

 男たちはニャム族から丁重にもてなされる。

 いってみれば種馬だが、生産源として依神と呼ばれ、あがめられる。

 女王との間に子ができた後、男は用無しとなり、任を解かれる。

が、その前に男はすべて死んでいる。

 それはおそらく女王との交渉によって感染する病が原因だと思われていた。ニャム族には免疫があるのか、同じ病になったものはいない。


 このようにしてニャム族は公の場にでることはなくひっそりと続いてきたのだが、最近女王の一人が暴走を始めた。


 第6女王タオだ。彼女はサド的な性癖の持ち主らしく、次々と相手の男を殺してきた。

 そのやり方も残忍で、指の一本一本を切り落とし、苦痛の表情を見るのが好きらしい。

 彼女がつれてきた依神をすべて殺してしまうのでここ七年間、子供は産まれていない。



 シャン・ウーは深く息を吐いてから城の最上階へ向かった。下女が外から帰ってきたときには、女王に挨拶するのが長年のしきたりである。

 最上階は12の部屋からできており、女王が一部屋に一人づつ居る。下の階は大部屋で下女たちが雑魚寝をしていた。


 ウーは南端の部屋から入る。

 ここには最年長の第一女王、リー・ユンファがいる。リーは一番目、ユンファは女王に付けられた名前だ。


 下女には名前はなく、ナンバーで呼ばれる。

 ニャムの数名は一番からリー(1)、カン(2)、ウー(3)、スー(4)、シャン(5)、タオ(6)、チー(7)、パイ(8)……で、シャン・ウーは第5(シャン)王女の3(ウー)番目の娘なので、シャン・ウーと呼ばれる。


 リー・ユンファは50代後半の女性で、これまで20数名の子を産んできた。歴代きっての子だくさんだ。このごろは体調を崩し、寝たきりになっている。


 すれちがいざま、ユンファの下女が出てくるのにぶつかった。


「女王は?」

「咳が止まらない。話しかけるだけにしろ」


 忙しそうにそう言い捨てると、女は足早に去った。

 ウーが近づくと、臥せっていたリー・ユンファは重い瞼をあげた。しわだらけの手の指がかすかにうごく。

 ウーはひざまずき、リー女王の手を取り額にあてた。

 リーはかすかに唇を動かし、微笑んだ。

 それは、母の笑みだった。何人もの命を生み出してきた神の。


「すみません、私の力が足りないばかりに、今日も依神を迎えることができませんでした」


 そう告げるウーの頭に手を置くと、ユンファは顔をゆっくりと横にふった。

 若いころはさぞ美しかったろう、大きな瞳がぼんやりとやさしくウーを見つめ返す。


「一族に繁栄を。わが一族に幸あれ」


 決まり文句を言うと、ユンファはうなずいて、また目を閉じた。


 もう長くないだろう。年も取りすぎたし、子を産みすぎた。

 リー女王はまちがいなく一族の神であった。女王の中では、最も崇高な女性だった。その命が消えようとしている。

 ウーは沈んだ顔をあげて、隣の部屋に向かった。




 第2女王、カン女王。

 部屋に入ると、第3女王のウー女王も居た。

 二人は談笑していたが、ウーに気づくと話をやめた。


「おや、セイラムの3番目の子だね」


 ウー女王は、太った体をゆすって立ち上がると朗らかに言った。女王二人は民族衣装を身につけていた。木でできたビーズ細工の装飾が動くたびに揺れる。


「また今日もいなかったのかい」


 神経質そうに言うのは、カン女王だ。


「申し訳ありません。明日には必ず」

「明日、明日ってお前いつもじゃないか」


 シャン・ウーは何も答えず、うなだれた。


「いいじゃないか、あんた。そう簡単にいくかい」


 ウー女王は明るくたしなめると、


「さ、ウー。挨拶しておくれよ」


 と、ウーに手を差し出した。


「そうはいっても、我々は一人も産んでない。下女の不満が見えるようだよ」


 カンはそう苦々しげにもらした。


「だから、すぐだよ。依神がこっちに来れば、3人ぐらいすぐさ」


 ウー女王は笑って言う。


 第2、第3女王は年が近いせいか、気が合う。だが、性格は対照的だった。

 第2女王は同胞を生み出す義務感にとらわれている節がある。それにくらべ、第3女王は朗らかで、おおらかだ。


 挨拶もそこそこにウーはその場を逃げ出した。なぜなら、この二人がいっしょにいると、話し相手として下女をなかなかはなしてくれないからだ。

 だが、この次が問題だ。


 第4女王、スー・ヴィラ。


 シャン・ウーは疎ましそうに、その女王が待つ部屋へ向かった。


 スー・ヴィラ女王は配下の下女をまわりに侍らせて愛撫している最中だった。


 彼女のような輩は下女にはたびたび見られるが、女王がこういう性質をもつのはめったにない。

 シャン・ウーはいつもなぜ彼女が女王であるのか、不思議に思ってしまう。が、意外に子を数人産んでいるあたり、ちゃんと義務は果たしてくれたらしい。


「あら」


 肌理の細かい白い肌の顔をヴィラはこっちに向けて笑った。


「シャン・ウーが来たわ。お前たち、お下がり」


 下女たちを退出させると、ヴィラは手招きした。


「よく、来たわね。ゆっくりしなさい」


 ウーがひざまずくと、ヴィラはウーの手を取った。


「セイラムに似てきたわね。セイラムの産む子はみんなきれいだけれど、その中でお前が一番きれいだわ。下女の中では、お前が一番美しいわ」


 粘っこい声でそうささやくと、うっとりとヴィラはウーを見つめた。

 ウーは、そそくさと女王への祝詞を言い終えた。だが、ヴィラは手を離してくれない。

 代わりにウーを抱き寄せ、首に口づけた。


「ああ、おまえが、私の配下ならよかったのに。末っ子のムーアだなんて」


 ヴィラは悔しそうにつぶやく。


「失礼ですが、ムーア様に急用がございまして」


 ウーはそう言った。


 別に嫌なわけではない。ただ、時が惜しいのだ。

 事実、シャン・ウーは小さい頃からヴィラの相手を何度もしてきた。なぜならヴィラは女王だし、特に否定する理由もなかった。ところが、成長を終えたこの姿がよほど気に入られているのか、しつこいくらいに毎回せまられるので、少々ウンザリしていた。


「そう、残念ね」


 ヴィラは手を離した。こういう所はさっぱりしている。


「また、暇を見つけたら来てちょうだい。夜でもいいわ」


 そういうヴィラに深く礼をすると、シャン・ウーは下がった。


「いつでもいいのよ!」


 最後にヴィラが叫ぶのを背で聞いた。





 第5女王の部屋。

 こざっぱりした部屋の中央に、シャン・セイラム女王は腰かけて、縄を結っていた。


 第5女王セイラムは、シャン・ウーの母親である。

 女王の中で一番美しいとされている。

 女らしい顔作りは、いつも優しい笑みをたたえていた。

 白い首すじにうっすら生える金の産毛。

 シャン・ウーが見とれていると、彼女はふと顔をあげた。

 肌の色と顔作りはすべて自分が引き継いだ。


「シャン女王。今日の報告に参りました」


 ウーがそういうと、セイラムはかすかに顔をしかめ


「お母さんとおっしゃい。それにこの言葉を使いなさい。私と話すときは」


 と、ニャム一族の言葉とは違う言語で答えた。


「はい」


 その言語で答えると、セイラムは微笑んで


「こっちに来なさい、ウー」


 と、手を差し伸べた。言われたとおり、ウーはセイラムのそばに膝まずき、手をとってそそくさと祝詞を述べると、顔の先をセイラムの膝の上にのせた。


「どうしたの、怪我をしたの」


 優しい声音で言って、セイラムは髪を撫でてくる。目を閉じ、シャン・ウーはそれを心地よく感じる。なぜ母がこの言語を話すのか、またそれを自分に教えるのかその理由は分からない。ただ、自分はこの言葉が好きだった。不思議と心が安まるのだ。


「嫌な奴がいる。あんなのは、いなくなればいい」


 シャン・ウーはつぶやく。


「まあ、なんてこと」

「本当なんだ。女王をけなす。自分を生んで欲しくなかったと、そういうことをいうんだ」


 ウーの声にいらだちが滲む。


「信じられない。母さんたちに暴言を吐くなんて。許されることじゃない」

「ウー」


 ウーの髪を撫でながらセイラムは語った。


「自分の答えが正しいとは限らないのよ。自分とちがう世界は沢山ある。認めるのがこわい気持ちも分かるけど、そういうものたちの言葉が真実なのは、本当よ。もちろん、あなたのいうことも本当なのも真実。誰もが正しいのよ」

「……母さんは時々、分からないことをいう」

「本当よ。だから、そういうものたちのことも受け入れるの。憎んではだめ。……あなたにも、違う世界を見せてあげられたらいいんだけど」


 手を止めて、セイラムは空を見つめた。


「私にその世界を見せてくれた人がいたわ。まぶしくて、大きい人。あの人と会うために、私はここに生まれたのだと思う……あの人はとどめることができない人だったの。今はどこにいるかしら。素晴らしい人だったのよ。一番私が愛した人」

「……それが、母さんに言葉を教えた?」

「そう。そして、あなたの父親」


 満足そうにセイラムは微笑んでつぶやいた。





「失礼します」

 第6女王、タオ・ジェミリの部屋に入るとすでに異臭がたちこめていた。


 汗と、血と、死臭の香。

 今まで骸がそこにあった証。


 いつ来ても慣れない。


 肌をほとんどさらす衣をはおっているタオのそばにひざまずき、早口でウーは祝詞をすませる。

 タオの表情にはぎらぎらした欲がまとわりついていた。やせこけた頬とよく動く大きな眼球。口には、嘲りの笑みが絶えずはりついている。


「あたしは、快楽が欲しいのよ」


 タオが突然言った。


「子を産み落とす苦痛の代償に、快楽をもとめるのは、別にいいだろう?」


 答えに困り黙り込むウーにタオは大口を開けて笑う。げひゃげひゃ、という品のない笑い。


 タオと向かい合うとき感じるのは、嫌悪感と憎悪と、恐怖。

 こちらの感情が見透かされないように、ウーは無表情を保つ。

 それをさらに面白がるようにタオは見ながら、ぱさぱさした黒髪をふり、ウーに一杯の杯を手渡した。


「シャン・ウーだったわね。あなたがよく依神を集めてくるものね」


 ウーは礼を言ってから、杯の中の液体を飲んだ。どろっとしている。


 いやな味だ。まずいわけではないが、タオをあらわしているような味といっていいだろう。


「これで、あたしとおまえは、契約を交わしたね」


 タオが言った。ウーはタオを見やる。


「男の臓腑をつけた酒よ。体液も」


 ウーは杯を取り落した。同時に吐き気がわき起こり、床に吐く。

 げひゃひゃ……とタオは再び笑った。


「おまえがあたしに反感をもっているのは、知っているよ。でも、それは改めてくれなければね」


 苦しげに顔をゆがめるウーの頬をつかみ、タオは言い聞かせる。


「あんたの腕はみこんでいる。そこは信頼しているっていってるのよ」


 そして突き放した。


「次から見つけた男はすべて先に私にわたすこと。いいね。ウー」


 よろよろとたちあがり逃げ出すように部屋を出るウーに向かって、タオは笑い続けた。





 第7女王、チー・リラ女王の部屋は端部屋にあった。

 静かでめったに人が通らない。

 先ほどの嫌悪感を引きずりながら訪れたリラ女王は、ひどくおだやかに見えた。

 いつ来ても、リラは壁をくりぬいた窓辺に座り、外を見ている。

 ニャム族一、喫煙家で日に何本も吸うが、その広めのしっかりした額と目には理知的な雰囲気があり、強い意志を思わせた。美貌はセイラムと競い合うほどだが、リラは常にポーカーフェイスのため、一位の座をセイラムに譲っている。

 女王にしては一番細くしなやかな体躯をもち、美しい栗色の髪をしていた。

 ウーが祝詞を言うと、弓のように綺麗な輪郭の面を向けた。顔のひとつひとつのつくりが、非常に整っていてすっきりとしている。

 だが、それほど感動をあたえないのは、表情が存在しないからだ。

 何を考えているのかわからない女王でもある。

 子供を一人産んだが死産であり、それから産む気はないらしい。


「タオ姉さんがまた殺した?」


 何気なく放たれた言葉だった。それだけでウーはびっくりした。


「見てよ、シャン・ウー」


 そうかと思うと、いきなり外を指さす。


「もうすぐ、スコールがくるわ。呼び戻した方がいいわ、皆を。わたしには、見えるの。黒い雲が、あの滝の向こうに」


 ウーにはスコールが来るようには思えなかったが、皆に伝えておきます、と、そう答えておいた。

 ふ、とふいにリラの表情が不思議に動いた。


「あの滝の裏には、依神の骸が重なりあっているんでしょう。いたたまれないものたちの死には、いつまでも霊がさまようと聞くわ。その霊たちが雲を呼ぶのかもね」


 淡々と美しい唇から紡ぎだされる言葉はそら恐ろしく、ウーは背筋が寒くなった。


「霊だけでなく、鳥も呼ぶけど……。死体をついばむのはそんなにおいしいのかしら」


 ぼんやりとリラはつぶやき、それっきりウーの方には振り返らなかった。ーー







「ウー!」


 部屋に入るなり抱きつかれた。

 同時に柔らかな肉をいっぱいに感じる。


「パイ様」


 髪をなでると、とびついてきた主は顔を上げた。

 まだ幼い少女。大きなくりくりした目を持ち、体は豊かな曲線を描いていた。


「おかえりなさい」

「ただ今、戻りました」


 笑みをつくると、パイ・ムーア第8女王はにこっと顔をほころばせた。


「今日はどこに行ってたの?きれいな花を見た?」

「ええ」


 ウーはひざまずいて祝詞を言い終えると、立ち上がった。


「残念です、パイ様。あなたに見合う依神を見つけたのですが」


 いきなりパイは怒ったように、後ろを向いた。


「そういう話はやめて、ウー。聞きたくないわ」

「どうしてです、あなた様は今に立派な女王になられる。我ら同胞を産む母となられるのです」

「いやなの!」


 パイは叫んだ。


「怖いのよ。あなた、出産のときの姉さまの声を聞いたことがあって? あんな苦痛に満ちた声。……なんて恐ろしいの、あんな苦痛はいやよ、遭いたくない!」

「パイ様」

「こわいわ。苦しむのはいや」


 パイは振り向いた。


「ねえ、いいでしょう、いずれ産む気はあるわ。でもまだいやなの。女王は私以外にいるじゃない。いいでしょう、もうすこし、このままでいさせて」


 ウーはパイ・ムーア女王の肩を抱いた。


「ええ、分りました」


 この方はおびえている。だがいずれ、産む気はあると言った。

 まだ幼いからしょうがない。不安もあるだろう。


 ウーは最初からパイ・ムーア女王に仕えてきた。尽くしてきたし、これからも尽くす気だった。

 もし、パイ女王と代われるならば代わってやりたいところだ。

 でも、自分がそうしたとて子がなされるわけではない。

 自分は、女王ではないのだから。

 自分には子を産む力はない。だが女王にはある。自分はその手助けをするしか、仕事がない。

 せいぜい、女子を森の精霊に与える風習をもつ他部族から捨てられた女子を、森の中から拾ってくるのが関の山だろう。


 ウーは考えた。

 この方には、大人しい依神が必要だ。そのためにはいつも捕えてくる男では乱暴すぎる。

 今まで見たこともない依神がいい。自分の欲望をおさえたり、操ったりできるような。

 そんな男をさがさなくてはならない。


 身を寄せているパイ女王を見下ろして、ウーはそう決意した。



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