キース=カイル

第2話 親善パーティー


 ゼルダ暦 2140年 初秋




 黒い翼を背に着けた女性が目の前のマント姿の男に話しかけている。

 キッサン家の次女だ。グレートルイスの財閥の娘。

 美しいとで評判だ。

ハチミツ色の髪。ややつり上がりぎみの青眼。形のよい額やあごのライン。身体の線も申し分なく滅多に見られない代物だ。

30代前半の彼女は、今まさに大輪の花が咲き誇るかのような色香を放っていた。

 高い声を出して笑い、彼女は話していた男の肩にしなだれかかった。


 最近は女性を見るのにも慣れてきたな。


 キースは横切ろうとするウェイターを呼び止めて、グラスを取るとそのまま口に運んだ。

 サロンには、談笑する男女の声が響いていた。たかだか、二十人にも満たない集まりだった。

 赤い絨毯が敷かれた部屋には、中央のテーブルに軽食程度の食事が用意されているだけである。


 その場所で彼は部屋の隅のテーブルの傍らに立ち、どうすることもなく時間をつぶしていた。


 キース=カイル。ゼルダの外務局長補佐官。

 ただいま二十代前半の青年である。黒に限りなく近い茶色の髪と瞳をもつ、背の高い身体は正装の軍服に似たものを着用している。ゼルダ外務局局員の制服だ。

 淡いブルーグレーの生地に、同系色の濃いライン入り。肩に金のモールすらつけている。


 ……全く。どういうものか一言ぐらいくれてもいいのに、あの人は。


 個性的な服装をしているパーティー出席者の中では、この堅苦しいデザインの服は目立つ。カイルは内心で舌打ちした。

 そうでなくとも、この中でキースは際立っていた。三十代、四十代の紳士や婦人という年齢層の中で、キースだけ異彩を放っている。

 だいたい、何のための集まりだか分からない。簡単な挨拶で始まったのはいいが、これではただの立食パーティーだ。

 忙しいから代わりに君が行ってくれ、と頼まれたのはつい昨日のことだが(だいたいが急である)、自分の上司は国際間の親睦を深めるものと言っていた。

 だからかなり大がかりなものでは、と予想してこのような服装できたのだ。

 が、出席しているのは少人数で、しかも一見、国の顔とは特に関係のない人物ばかりである。


 女性が半数もいるとは。入国するとき、手間がかかったろうに。


 女性の入国に関しては特に厳重な措置をとる。我が国ゼルダでは。


 目はキッサン家の次女を追っていた。

 隣にいる男の彼女の身体に触れる手が、いやになれなれしい気がする。……二人は過去に関係でも持ったのだろうか。


 まだ最初の頃、自分は女性のことを新種の生物を前にしたかのように食い入って見つめていた。

 そのころに比べれば、今は随分とマシになっただろう。

 今思えば、相手の女性にかなり失礼な印象を与え続けていたに違いない。


 来なければ、よかったか。


 ただ、何人かの男女がとるにたらない会話をする風景に、キースは目を細めた。わざわざ手間のかかる入国を果たして出席する価値があるとは思えないパーティーだ。

 余程、暇を持て余している人々なんだろう、とカイルは解釈した。

 これなら自分はまだ書類に埋もれながらその相手をしているほうがよかった。


  トン、と背中に軽い衝撃を感じ、キースは振り返った。

 そのとたん、少々驚いて目を見張った。


 はちきれそうな肉。顔立ちは肉に埋もれてはっきりしない。やっとちいさな目が見えるだけである。

 服からこぼれている腕などは、皮膚が伸びに伸びきっている感じだった。

 もうすぐで割れる寸前の風船のようである。

 以前博物館で観た古代女性裸体像などは、こんな体型ではなかったか。


 キッサン家の長女。リラ。

 次女のウェンズデイとは似ても似つかない。

 影のうわさできいたことはあった。

 遠くから拝見したこともある。

 でも、こんな近くでお目にかかるのは初めてだった。

 迫力にキースは口を閉じる。


 ウエイトはいくつなんだろうか?もう少し落とした方が健康にはいいんじゃないだろうか?


 彼女の身を案じるキースは少し変わっているといえるかもしれない。


 豊満な体に白い羽が覆うドレスを着ているリラは、ニワトリのような印象をうける。リラが胸を張ってキースを見上げた。リラの背が低いので、キースはまともに見下ろしてしまう。


「……あの」


 リラが声を出した。凝視していたキースは我に返る。


「あ、はい……」


 学生時代に習ったマナーを忘れて、笑みを浮かべることなくキースは答えた。

 そのキースの声にリラは恥ずかしそうに身を縮こませる。


「あのう……あの、これどうぞ。私の気持ちです。……大したものではないんですけど……」


 言葉を詰まらせながら、リラはおもむろに小箱を突き出した。


「……できれば、身につけてください」


 二人とも礼儀もなってなけりゃ、話し方もなってない。しかし、先にペースを取り戻したのはキースの方だった。


「……これは、どうも。感謝いたしますリラ様」


 いきなりで戸惑ったが、どうにか状況を理解するとキースは顔に笑みをつくる。

 甘いマスクに浮かぶ表情をみせられ、リラはババッと赤くなった。


 キースが包装もない小箱を開けると、中には幅広の銀のリングが入っていた。


 ……普通、これは男性が女性に贈るものだと聞いていたが、逆だったのだろうか。

 それよりも、今まで話したこともない相手に贈るには高価すぎる気がした。


 リングを見下ろしていたキースはリラの視線を感じて気付く。


 あ、着けるものなのか。


 箱から出し、リングを中指にはめたがぶかぶかだったので、親指にはめてみた。すると、まだ余裕はあるものの、抜け落ちない程度にはおさまった。

 リラを見ると満足したようだ。


「では……後ほど……」


 リラはほくほくした様子で言うと、足早に去っていった。

 キースはリラを呼び止めようとした。

 まだ、お礼を言い足りない気がしたからだ。だが、あの様子だったら言わなくても大丈夫か。


 ため息をつく。

 慣れないことをするのは疲れる。

 何だか今のはよくわからないが、きっとそういうものなんだろう。


 そう、キースは納得することにした。自分が隣国の常識に疎いことは知っている。


 まいったな。


 キースは左の親指を眺めた。

 折角だが、着けていられる時がない。勤務中は外したほうが望ましいだろうし、それ以外だったら落としてしまいそうだ。

 と、思案するキースはおそろしく真面目である。


 クスクス……。

 忍び笑いが聞こえて、キースは顔をあげた。

 その場の全員が自分に注目していた。

 女性の中にはどこかくやしそうに自分を見つめる目もある。

 訳が分からず、キースはあっけにとられた。が、それは一瞬のことですぐにもとの談笑が響く静けさに戻る。


「あ、お前も来てたのか」


 聞き覚えのある声に、キースはそっちをみた。

 見ると、入り口の方からグレートルイスの元外交官、現在は副大統領秘書官のレン=メイヤ=ベーカーがやってくるところだった。

 彼はグレートルイスの華麗なる一族、ベーカー家の出身である。並み以上の容姿に底抜けに明るい笑みを浮かべる彼は大変魅力的だ。キースとは職柄よく会い、年も近い。


「どうした。遅いな」

「ああ、いつものフライト担当のおやじが具合が悪くてな。民間用で来た。……お前、なんて格好してんだ」

「それは、今俺が言おうと思ってたんだが……」


 キースは言って、レンの風体を見る。

 首のまわりをチュチュが覆う、中世の紳士のような服を着ている。


「仮装パーティーじゃなかったのかよ。何でそんなあらたまった服着てんだ?」


 黒い丸めがねをずり上げながら、レンは不思議そうに聞く。はた、とキースは思い当たった。


 どうりで奇抜なドレスが多いと思った。鳥の翼のようなものがついているドレス、人魚をイメージしたウロコ付きのドレスを着ている女性たち。男性もレンほど度をすぎていないが、遊びがみられる容装だった。

 これじゃ、浮くわけだ。


「……ひどい人だな、キルケゴール様も」


 同情を込めて、レンはキースに言った。


「ああいう人だ」


 あきれてキースは反感の気も起こらない。


「しかし一体何のパーティーなんだ。遅れてきたから分からん」

「それが俺も分からない。親善パーティーだとは承ったが」


 レンは眉を片方だけあげた。レンの癖である。


「もう少しは部下に対して心遣いってもんを持って欲しいよな。だいたい、俺の叔父貴は無恥で困る」


 レンは黒の丸メガネの隙間から、キースを上目づかいで見て苦笑をもらす。


「この前なんか、館内シャワー浴びた後、バスタオル一枚で歩き回るんだぜ。口うるさい女史のバアサンたちにどれほど俺が絞られたか」


 レンは大袈裟に顔を振ってから


「そういう点ではまだお前はいいよな。まだあの人は節度ってもんを知ってそうだ」

「まあ、下半身以外はな。……水虫を持ってるらしいが」


 上司の苦情をもらすのは、お互い慰められていい。


「……陰口とは信じられんな」


 背後からの低すぎる声にキースは気が重くなった。


「あ、なんだ、お前も来てたんだな。ドニス」

「……ドーニス」


 自分の名を訂正してから、頭にターバンを巻き、自国の民族衣装を身に着けた浅黒い肌の青年はもたれていた壁から背を離してこっちに歩いてきた。


 キエスタの議長、オネーギンの忠臣、ドーニス。

 あまりにも平和主義者なオネーギンを陰で操っているのは、この彼ではないかとのうわさがある。

 暑い地方特有の日に焼けて黒くしまった顔立ち。

 キエスタ南部出身だが、着ている民族衣装はキエスタ西部の白い貫頭衣に豪華な刺繍をほどこした布を肩からかけたものだった。

 キースとレンとさほど年齢の変わらない彼は、国ではとても人気が高いという。

 好戦的で有名な部族出身の彼は、同じように好戦的な民族が大部分を占めるキエスタ国民にとって希望の若者なのだろう。

現在キエスタのトップ、オネーギン議長はあまりにも穏やかな人格者ゆえ、国民の一部から腰抜け呼ばわりされているらしい。

 また、ドーニスの野性的なルックスも女性受けしそうではある。


「やあ」


 形ばかりの笑顔で、彼はキースを見た。

 軽くキースは会釈する。

 キースは彼が苦手だった。

 いや、苦手、ではない。嫌なのだ。

 どこといわれても困るが、だれでも生理的に受け付けないものがひとつはある。キースの場合、それが彼なのだろう。


「いや、陰口までとはいかないだろ。許してくれよ。……お前だって、あるだろうよ。少しくらい」


 きまり悪そうにレンは言う。


「ないね、閣下にかぎって」


 これで、隣り合うゼルダ、グレートルイス、キエスタ3国の事実上『顔』の右腕たちがそろった。

 これだけそろえば当然、会場にいる出席者たちの視線はここへと集中していた。


「……君も君の国も、こういう集会が好きなのか?」


 ドーニスがキースに問う。

 キースは答えず、ただドーニスを見返した。

 彼からかすかに敵意のようなものを感じたのは確かだったろう。

 ドーニスは目をふせると、背を見せた。


「おい」


 レンが声をかける。


「帰らせてもらうよ。そんなに暇じゃないんだ」


 ドーニスはそういうと二人を振り返り


『ΞΓΞΘΒΔΔΣΦΨΨΩζ』


母国語をつぶやいた。そして笑みをつくり、出口の方向へ去って行く。


「なんて言ったんだ、あいつは。お国ことばでしゃべんなよな。……おい、キース分かったか?」


 レンが不機嫌そうに言った。


「さあな、あいつの国の俗語か、民族語か」


 雰囲気からして、もらってもうれしくない言葉には間違いないだろうが。


「なにい、お前職務怠慢だろう!」

「お前はどうなんだ、お前は」


 キエスタ語には方言が多すぎるのと、ゼルダ語は発音が非常に難しいため、公用語としてはレンの国のグレートルイス語がよく使われている。


 レンは親しみやすい。

 彼の叔父ブラック副大統領よりも、彼は人懐こい。

 ブラックも気性では親しみがもてる。

 レンは初対面から、まるでカレッジの同期だったかのように接してきたので、キースもそう返した。

 最初は驚いたが、今では感心している。あの、ドーニスにまでたやすく声をかける人物をキースは他に知らない。


「しかし、あいつ度胸あるな。途中でふけるなんて俺にはまねできん。しかも、あんなに堂々とな」


 レンは感嘆して、まだドアのほうを見ていた。キースは解放感に浸り、またウェイターからグラスをとる。


 レンが来る少し前にドーニスが会場に現れたが、キースはドーニスがいることには気づいていないふりをしていた。わざとらしいが、向こうもいままで話しかけてこなかったところをみるに、こちらの心情を察しているのだろう。


「キース、お前ピッチ早いなあ。さすが、酒豪ゼルダ人」


 同じようにグラスを取るレンに、続いてキースは三杯目のグラスをとると、


「ドーニスに」


 と杯を上げた。


 りんと、澄んだ金属楽器の音が鳴り響いた。二人は音の方向を見やる。


「紳士淑女のみなさま、今宵は素敵な夜と相成りました。これから訪れるひととき、存分にお楽しみくださいますよう……」


 金属楽器を鳴らした、蝶ネクタイのタキシードをきた男がマイクでありきたりの言葉を述べていた。


「だれだ?」

「……さあ、見たことのない顔だな」


 レンに聞かれ、キースは正直に答える。


「ここはお前の国だろうが」

「……悪いが、本当に知らん」


 責めるレンの口ぶりに、キースはしばし記憶を追ったあと、答えた。


「それでは皆様、おてもとにある仮面をおつけになってください」


 男は微笑んでそう言ったあと、マイクを切った。

 キースは言われたとおり、胸にぶら下げていた仮面を顔にあてがう。

 訳が分からないが、これは入り口でわたされたものだ。

 その瞬間、部屋の照明が消えた。

 停電か、と思ったが周囲の人々が驚いた様子がないので、どうやら違うらしい。

 暗闇の中で、壁にかかっていたキャンドルが灯された。どうやらこのパーティーの趣向か。

 ふと、キースは自分の指から光が発せられてるのに気づいた。さっきの指輪、リラからもらった指輪が光っているのだ。

 こういう仕掛けがあったとは気が付かなかったと、指を眺めていたキースは周囲から聞こえてくる物音に眉をひそめた。

 服がこすれあう音、あがった吐息、かすかに漏れる忍び笑い……。


 キースの頭が回転し始める。

 仮面、闇、リラ、指輪……。


 導き出された結論にキースは頬をひきつらせた。


「おいおい、乱交パーティーなんて聞いてねえぞ」


 最後の一押しとして、隣のレンがささやく。


「ドーニスの奴、これがわかってたのか。教えてくれりゃいいのに」


 そういうレンにキースは指輪を抜き取ると、彼の手をとり中指にはめる。


「……なんだ、これ?」


 当然、レンはいぶかしげに聞く。


「やる」


 キースは短く言った。


「目印だ。……キッサン家の令嬢との」


 薄闇ではっきりとは分からないが、彼の顔は喜びに輝いたようだ。


「キッサン家……!あの方か!」


 感嘆して彼は声を漏らす。きっと、顔はうれしさではちきれんばかりになっているだろう。

 ウェンズデイの次女の方と間違えてるらしい。キースは足早に去ろうとした。


「サンキューな。お前、いいやつだな。持つべきものは美男子の友だな」


 はずんだレンの声にキースは良心が傷んだが、何も言わず歩いた。

 途中何度か転がってる男女につまづきかけたが、どうにか出口を見つけると、逃げるようにキースは後を去った。

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