SKY WORLD
青瓢箪
序章
第1話 始まり
ビー……ビー……ビー……。
非常用のベルが、真夜中の研究所中に鳴り響いていた。
人気の無い研究所内の暗い廊下を、足音を出さないように数人の男たちは走る。
「照明を消されたか」
声をひそめて先頭の男が言い、残りの男たちにあごで合図した。後方の男たちは頷きで応え、それぞれの方向に散る。
研究所は広く、いくつかの棟に分かれており、目的の人物を探し出すのは容易ではないだろうと思われた。
男たちは皆、同じコートを着ている。深みのあるグレーのコートの左胸には斜になった十字がひとつ、銀糸で刺繍されている。
連邦特別捜査局、そのすべての人材に配布されるものだ。
『灰色の狼』。
それが彼らの呼び名だ。
この国の犯罪者たちが最も怖れている者たちである。
どこまでもしつこく追い、くらいついてくる。
男たちのうちの一人が、ふいに立ち止まった。離れていく仲間の姿を確認し、くるりと向きを変える。
胸につけている小型通信機の電源をオフにする。
ひと息ついて、男はゆっくりと足を忍ばせた。そのまま彼は枝分かれしている廊下に入っていった。
シューと、お湯が沸騰する音が聞こえる。
突き当たり左の給湯室。
そこからだ。暗い廊下にかすかに光がもれている。
男は銃口を向け、勢いよくその部屋に踏み込んだ。
「やあ」
ピーと吹くケトルの横で、一人の白衣姿の男がゆったりとしてこっちを見ていた。
手にはインスタントコーヒーを入れた紙カップをもっている。
銀髪に近い髪をもち、銀縁眼鏡をかけた痩せた背の高い男。
常人離れした真っ青な瞳が男を見返す。
電子工学、遺伝子学、あらゆる分野での天才学者。
そして自分の友人、ヨハネ。
「君が一番最初に見つけてくれると思っていたよ、ラリー」
そう言って、彼はお湯を手元のカップに注ぎ入れる。
「……なんとなくそんな気がしたんだ。君は……きみの恋人が亡くなったときも、そうやってコーヒーを飲んでいたから」
ラリーと呼ばれた長身の連邦捜査官は、警戒を緩めず言い捨てた。その言葉には少し苦い響きがあった。
「恋人? バカ言っちゃいけない。彼女は君を愛していた。君は気づいていなかったようだがね」
ヨハネは喉の奥で笑った。カップからたちおこる湯気に鼻を近づけ、香りを味わうように嗅ぐ。
「……ヨハネ、答えてくれ」
ラリーは銃口をヨハネに向けたまま言った。彼の声は硬く険しかった。
「三年前、君は国民の血液を採取。そうだ、そうだな? 」
ヨハネはコーヒーを口に含み頷く。
「何のためだ? 何のために? 」
「わかっているんだろう。聞かなくてもいいはずだ」
「二年前、肺炎予防として君の局でつくったワクチンを国民に接種した。一年前もそうした」
「もちろん、君も打ったろうね」
「今年の出生率、男児100%、女児0%! 君のせいだな、ヨハネ!」
「いつも思うが唐突だな、君は。興奮すると、話し方の構成が幼児並みになる。学生のころからの癖だね、君の」
ヨハネは飲みかけのカップを傍らに置くと、自らもシンクに腰掛けた。
「さて、じっくり話そうか」
そう、悠然と微笑む。ゲームでも楽しんでいるかのような表情だ。
「分かった」
ラリーは銃口を下げた。
「時間なら多少ある。通信機は切ってある」
「おや、何故だい? 私との最期の暇乞いの為かな。友情だね」
「暇乞い? 何故そんなことを言う?」
「……冗談だよ。君たちに私は殺せない。それくらい承知している」
ラリーはそんな彼をすがるような目で見つめる。
「ヨハネ、嘘だろ」
「何がだい」
「ウソだ。そうだろう」
「分からないな。何の話をしているのか」
「君がやったんじゃない! そう言ってるんだ!」
「ああ……」
うす笑いをうかべ、ヨハネはさも可笑しそうにラリーを見る。
「誰がバックにいる? グレートルイスの犬か?」
「君らが調べあげたんだろ。同僚の腕を信じてあげたらどうだい? 確かに君らは優秀だよ。狼どころかハイエナ並にね」
にこやかにヨハネは告げる。
「じゃあ、本当に君が……」
ラリーの声はかすれ、その先の言葉は続くことがなかった。
ヨハネは、額に垂らした長めの前髪をなであげた。酷薄そうな薄い唇がゆがむ。
「私のことは分かっているだろ? カレッジの同期で君は私の親友だった。私がどんな人種かわかってるだろう? 身に染みるほど」
「ありえない! ありえないことだろう! たかだか接種一本で……」
「現にそうなってる」
ヨハネは肩をすくめた。
「私の腕を信じないのかい。悲しいね」
ヨハネは低い声でつぶやいてから、
「あれは病気なんだ」
とラリーに優しく告げた。
「れっきとした自然界にあるウイルスだよ。五年前に私が発見した。感染した宿主は、全身の機能が急速に低下し死に至るんだが……。どうやら遺伝子を組み換えてくれるウイルスでね。実に面白いんだ、この仕事が。マウスはおかげでペットのトビーまで犠牲にしたよ。……君も分かるだろ? 未知なるものをたった一人で開拓していく楽しみを。秘密にしておきたかったんだよ。……君も生物学者だ。どうしてそんな国の番犬みたいな職についたのか気がしれんが、君もそのままの道を歩んでいたら、同じとこに辿り着いたさ」
ヨハネは苦々しげに言い捨てると、次には夢想家のような表情で続ける。
「この病気は子へ遺伝する。感染した個体の子孫には雄性しかいないんだ。それこそひとつの例外なくね。調べた結果、感染した個体が雄の場合、その持ってる精子は全部
「君は狂ってる」
ラリーは再び銃口をヨハネに向けて構える。
「一体君に何があった。別に君はゲイでもなかった。……原因はクリスかい?」
「クリス……彼女は関係ない。事故で死んだ女とは何のつながりもない。……これが私の地だ」
ヨハネは穏やかに微笑んだ。
「ヨハネ、君に国命が下るよ。ワクチンの製造だ。いや、もう出来ているんだろう?」
「始めのころならそういうものもあったんだけどね、……ないんだ」
ヨハネは顔の横で両手をひらひらさせた。
「完全にお手上げだ。クリスは急成長をしている。もう、定着してしまったんだ。既に新人類の始まりだ」
「ヨハネ……君はなんて……なんて取り返しのつかないことを……!」
ラリーは感情が抑えられず、思わず口を手で覆う。
「もう、誰も止められない。生物学者の君なら分かるね。新しく誕生した生物はしばらくは栄え続ける」
慰めるようにヨハネはラリーに言葉をかける。
「君は……!」
「そうだ、君の奥さんは妊娠したんじゃなかったっけね。たしか、聞いたよ。おめでとう。君の子どもなら、さぞ美男子だろう」
ヨハネは笑った。
「男の子だったろう?」
「っあああ――――!!」
ラリーが叫ぶのと同時に、銃口からヨハネの胸に向かって銃弾が撃ち込まれる。
ヨハネは自らの胸を見下ろし確認したあと、そのままゆっくりと崩れ落ちた。
口許には笑みを浮かべながら。
(……そうさ。子孫を増やし続けるがいい……。子は産まれ、産まれ続け、この世の終焉まで神の子は栄え続けるだろう。……)
ラリーは銃を床に落とした。
目は宙を漂ったまま胸ポケットを探る。
そして電話を取り出すと、震える指先でボタンを押した。耳に当ててすぐ、相手は出た。
「あぁ、ダイアン。僕だ。聞いてくれ、君はすぐこの国を出るんだ。……前に冗談で話してたことがあったろう?プランAだよ。……頼むよ、真面目に聞いて。とにかく、この国を出てくれ。今すぐにだ、荷造りをする必要はない。……あぁ、僕もすぐに追いかけるから。分からない、それは自分で考えてくれよ。とにかく言う通りにして。訳は後で話す。身体には気を付けて……分かったね、ダイアン……愛している」
電話を切った後、銃声を聞きつけて走ってくる数人の足音が近づいてきた。
最初に部屋にとびこんだ男は、目の前の光景に立ちすくんだ。
「なぜ……!殺したのですか? 決して殺すなと御命令のはず……!」
「バーン」
ラリーは耳から電話を外し、振り向かずに背で答える。
「……政府に連絡をとれ。今すぐ、国境を封鎖しろ。『外』に出てるやつらは呼び戻せ。……逃げようとするやつは、多少痛めつけても構わない。決して『外』に出すな――」
ゼルダ暦 1929年 春
そして、これから二百年後、物語は始まる――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます