ナジェール
「あの女、嫌いだ」
ナジェールが毒づいた。
今年でナシェと同じ十八歳になる彼は、ナシェよりは背が低いもののキエスタ人にしては背が高い。
グレートルイス人の父とキエスタ西部人の母を両親にもつ彼は、肌の色はナシェより明るく、黒髪は直毛に近かった。混血の彼は、エキゾチックな容貌をしていて人目をひいた。
ナジェールの隣で洗濯物を干していたナシェは彼の顔を見た。
ナジェールは苦り切った顔でシーツのシワを伸ばしていた。
ナシェとナジェールは教会の洗濯物担当だ。毎朝、洗濯を終えるとこの場所に干す。
「父親の違う子三人も孕みやがって。あばずれにも程がある」
「……ウーさんは」
ナシェは、その先の言葉に詰まった。
なんと言えばいいのだろう、彼女は。
先生と結婚してるわけでもないし、恋人というにも語弊がある気がする。
「……先生のパートナーだぞ」
ナシェは無難な言葉を選んだ。
「先生、あんな尻軽のどこがいいんだろう」
ナジェールは苦々しげに舌打ちした。
「先生なら、もっとまともな女をいくらでも選べるのに」
ナジェールはヴィンセントがゼルダ人だということを知らない。
……隣にいるこの自分が、ゼルダ人の遺伝子を持つということも。
「先生がウーさんを好きなんだから、仕方ないだろ」
答えたナシェにナジェールは怒ったようにナシェを睨みつけた。
「淫乱で尻軽のどうしようもない馬鹿女だ」
そう言い捨てると、ナシェは背を向けて歩き去った。
ナシェはため息をついて彼を見送った。
この教会に住む自分を含む孤児八人には、ヴィンセントは特別な存在だ。
彼は父であり、母であり、そして教師でもある。ナジェールはその中でも一番にヴィンセントに強い思いを持っている。
また、十歳以下の子供たちはヴィンセントを取り合うように夜、彼と寝たがった。
その気持ちは分かった。
今思うと恥ずかしいが、かくいう自分も十二歳まで彼と寝ていた。南部独立戦線の少年兵として過ごした一年間を取り戻そうとするかのように、解放された後のニ年間、彼にどこへ行くにもついてまわった。
ここにいる孤児のほとんどは内乱激しい南部出身だ。
あと、ウーが産んだ先の子、リックとパウルの二人もいる。
ヴィンセントの寝台に入る権利は争奪戦であり、最近は順番で回っていた。
それがふいに帰ってきたウーの登場で、番狂わせさせられては子供たちの怒りはもっともだろう。
……昔、ナシェが南部独立戦線から解放されて間もなくのころ、明け方さみしくてたまらずウーと寝ていたヴィンセントの部屋に行ったことがある。
ほのかに明るいブルーの部屋の中、二人はナシェに気付くことなく寝ていた。
ヴィンセントの背にウーはぴたりと張り付くように身を寄せていた。
それを見たとき思った。
ああ、この人も先生のことが大好きで、だから自分が先生を独り占めしてはいけないのだと。
今でもナシェは思っている。
皆が思っている二人の立場は、実は逆であると。
洗濯物を干し終えたナシェは、目の前の洗濯物をくぐった。
くぐった先に、朝日に照らされたケダン山脈を背後にして、リックとパウルを連れたウーが歩いてくるのが見え、ナシェは軽く目を見張った。
「どうしたんですか」
朝の光の中、ウーは輝くように美しかった。ケダン地方のゆったりとした民族衣装の貫頭衣を着て、褐色の長い髪をとき流しにしているウーの姿にナシェは思わず見とれる。
……実をいうと、ナシェは妊娠中のウーの方が好きだった。
彼女の表情は柔らかく、母のそれだからだ。
「リックとパウルに何か仕事をさせようと思ったんだ。あたしにも何かないか」
ウーはナシェを見つめて言った。
「子供たちに聞いたら文句言われるし、ナジェールは無視するし」
ナシェは小さく息を吐いた。
「みんな、あなたに怒ってるんでしょう」
言ってナシェは、ウーの貫頭衣の裾を握っているリックとパウルの頭を撫でた。
リックは九歳、パウルは五歳の少年だ。
長男のリックは黒髪に茶色の目をしていた。非常に利発であり、また非常に人懐こい少年でもあった。
彼のくるくる変わる表情は大変魅力的だ。
次男のパウルは恐ろしいほど整った顔立ちをしていた。
褐色の肌と癖のある黒髪で、彼の父親はキエスタ人であることは間違いない。
父親はラマーンだ、と告げたウーの冗談を聞いたときナシェは鼻で笑ったが、今では事実なのではないかとうたぐっている。成長とともに凄みをます彼の容貌に、それは確信に近づきつつあった。
「仕事がないなら遊んでおいで」
ナシェは二人を見下ろして言った。
にこ、とリックが前歯の抜けた顔で笑った。
「行こうぜ、パウル。アキドさんとこの産まれた羊、見に行こう」
パウルは頷き、兄の後を追いかけて去って行った。
「あたしには、仕事をくれ」
残されたウーが言った。
「あなたは妊娠中だし、重労働は任せられません。……あなたにお願いできそうな仕事ができたら、その時はあなたに言いますから」
ナシェの言葉にウーは小さく頷いた。こういうところは素直なんだけどな、とナシェは思う。
「……ウーさん」
ナシェはためらいがちに声をかけた。
「どうか、今回で最後にしてください。」
自分が言うのもどうかと思ったが、ナシェは思い切って続けた。
「あなたのことを、ナジェール……この教会の者はみんなよく思ってない。それに、リックとパウルを置いて何ヶ月も留守にするなんて。母親が恋しい年なのに」
ウーがナシェの目を真っ直ぐ見つめた。
あまりにも迷いのないまっすぐな目の強さに、ナシェは少したじろいだ。
ナシェの様子を見つめながら、ウーは何かを考えているようだったが、やがて口を開いた。
「……この子で、最後だ」
ウーが下腹部を見下ろして手を置いた。
「子供は三人産むと決めていた。この子が、三人目だ。……この子を産んだら、もうどこにも行かない。キースのそばを離れない。……キースは、ゼルダ人だからあたしよりかなり早く死ぬ。だから、子供が欲しかったんだ。キースの子なら何人でも産みたかった。だけど、産めないから仕方ない。……他の男の子を産むしかない」
ウーがナシェに目を戻した。
「本当は、三人目はお前の子を産みたかったんだ。キースが一番好きな男はお前だから。でも、お前もゼルダ人だから仕方ない」
ナシェは眉をひそめた。
「……冗談でもやめてください」
ふふ、とウーは笑った。
「冗談じゃない」
背を向けて横目でナシェを見ながらそう言うと、ウーは教会の方へ行った。
彼女の背中の褐色の髪が歩くのに合わせて揺れた。
彼女の言葉を腹立たしく思いながらも、ナシェは彼女を綺麗だと思った。
とんでもなく奔放で、人の気持ちなんてお構いなしに生きているかのような彼女だったが、ナシェは彼女にヴィンセントの側にいてほしいと思った。
自分とナジェールは、この秋からキエスタ西部の学校に入学が決まっている。
自分とナジェールの二人がこの教会からいなくなると、先生……ヴィンセントが悲しむのが目に見えた。
先生は、なにも言わないけど。
泣き虫の先生は、後でこっそり泣くんだろうな。
ひそやかにナシェは心の中で笑った。
だからウーがもうどこへも行かないと言ったことをうれしく思った。
彼女さえそばにいれば、先生は幸せだと思うから。
彼女の愛し方は独特だけれど、ウーのような美女に愛された先生をナシェは羨ましく思い、ほんの少し嫉妬した。
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