SKY WORLD 番外編 ネーデとギール

――僕は、戦いの男神、ザクトールだ。


 ナシェは霧がかったような世界で、繰り返し頭の中でつぶやく。


 キエスタ南部の守護神、戦の神ザクトール。

 炎の中から生れた彼は、何もかも燃やし尽くし、自分自身でさえ燃やし尽くす。

 そして、炎の中で何度でも生まれ変わる。

 永遠に、戦が続く限り、ザクトールは蘇り続ける。


 銃の手入れを続けるナシェは、周囲の大人たちの雰囲気がいつもと違うことには気付いていたが、どうでもいいと思っていた。

 昨日から大人たちの様子がおかしかった。

 政府軍とか、慈善団体とか。

 その単語が発せられるのが普段より多く、彼らがあせっているのを感じた。

 ナシェと共にいる男たちは離脱したがっているように思えた。

 昨晩、男たちはリーダーの男を撃ち殺した。


 ここに来て一年。


 紺のターバンを頭に巻きつけたナシェは、銃身内にガンオイルを吹きつけた。

 真鍮ブラシを中に入れ、薬室と出口中心に往復させ汚れをかきだす。


 大人たちーー南部独立戦線の兵士たちは、自分のことをいい兵になると言った。

 怯えず、逃げようとせず、無駄口を叩かず、ただ言われた仕事をこなすたいした男だと。

 薬を使わなくても済んだのは、お前が初めてだと彼らは言った。


 当然だ。

 僕はザクトールの化身だから。

 食前や就寝前の祈りは、ここに来てから一度もしていない。

 ケダン教会にいたナシェは、今の僕じゃない。


 彼は自分に、自分は自分ではなく違う人間でいなさい、と言った。彼が自分を迎えにくるその日まで。

 その日がいつか分からないけど、だから僕はその日まで、ザクトールの化身でいなくてはならない。

 彼が、彼自身を消して聖人ギールの化身でいたように。


 周囲の兵たちはリーダーを射殺したあと、何か争っていたようだが、いつの間にか姿を消していた。

 あとに残されたナシェは一人、四角い無機質な部屋の中、言いつけられた作業を続ける。

 ロットの先にとりつけた布を銃身内に入れ込むと、ナシェは中の汚れをふき取る。


 まだ、僕は戦いに出たことはない。兵士たちの食事や身の回りの世話と、武器の手入れが主だった。


 南部兵にも規律があり、初陣は十歳を過ぎてからと決まっていた。

 十歳以下は子供とみなす概念がキエスタにはある。

 堕胎がこの国では大罪だとみなされるのと同じように、十歳以下の子供の命を奪うのは忌むべき行為とされていた。

 運が良かったんだと思う。まだ、僕は九歳だったから。

 最初に連れてこられたとき、一緒にいた十一歳の少年はすぐに姿を消した。

 それに、グレートルイス人がこの国にいなくなってから、彼らの活動は減った。

 でも、兵士たちは僕に狙撃を教えながら、そろそろだと言った。

 僕のいるグループじゃないグループは、最近僕よりも小さい子や女の子を戦いに出していると言っていた。



 ナシェは黙々と銃身の外側を布で磨きあげた。


「ナシェ」


 背後から声が聞こえた。

 懐かしく、夢の中で繰り返し聞いた、耳に心地良い声。


 ナシェは振り向いた。


「ナシェ」


 背後に立っていた彼は、記憶の中の彼よりやつれたようで、着ている服は修道服ではなかった。

 茶色の髪はぼさぼさで乱れており、労働者のようなよれよれの生地の服を着ていた。

 だが、彼の両目からは涙が流れており、ナシェは間違いなく彼だと認識した。


 ナシェはつぶやいたが、声はかすれて出てこなかった。


 彼を見た瞬間から、朦朧とした世界が霧が晴れていくようにたちまち鮮明になっていくのをナシェは感じた。


 ナシェは立ち上がって、彼に近付いた。


 記憶のままの、優しい深い茶色の瞳。

 彼が自分に向かって手を差し伸べた。


「先生」


 ナシェは、泣きながら彼に抱きついた。

 僕は、僕に戻れる。

 やっと。

 ナシェは声の限りに泣いた。――




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