6

デイーが目を見開いた。


 はは、緊張してる。

 まさかキス、今が初めてじゃねえよな。

 ……いや。こいつならありえる。おかあさん以外にしてもらったことないとか。


 シアンは顔を離した。

 おもちゃをとりあげられた子供のような目で、デイーが自分を見下ろしていた。


 ふ。ちょろいな。

 シアンは心の中で微笑みながら唇を手の甲でぬぐった。


「機嫌なおしたら、|今の続き(・・・・)してやる。……許すよな?」


 こくこくと頷くと思ったのに、デイーは体を硬直させて自分を見下ろした。

 ……あれ?


 次の瞬間、デイーはシアンをドアの方に向けさせると背中を押した。


「ああ!? なんだよ、お前……!」

「帰れよ。今すぐ、帰れ」


 ひどく怒ったような声が背中から聞こえる。

 やべ。なんかやらかしちまったのか? 逆効果だったか?


 デイーの激しい怒りの様子にシアンは焦った。


 あせって抵抗を繰り返すがデイーはドアまでシアンを押しやる。

 シアンは身をよじってデイーを見上げた。


「ちょっと、まてよ、お前……!」

「帰れよ。遅いんだから」


 デイーはぐいぐいとドアにシアンを押し付けてくる。


 いて。いてえな。

 なにすんだ、こいつ。


「待てって!」


 バン、とシアンはドアを手のひらで思い切りたたいて音を出した。

 驚いて力を緩めたデイーに向き直る。


 ……ああ。もう。なんか腹立ってきた。

 ここいらで一度、はっきりさせとくか……。


「……いい加減、はっきりさせようぜ」


 低い声でシアンは言った。


 オレに言わせんなよ、バカ野郎。

 このままお前とまだしばらくじゃれあっていたかったのによ。


「……俺は子供が産めないし、これから先も当分ボスのものだ。お前が将来家庭を持つ普通の生活がしたいんだったら、はやく可愛い女の子を探せよ」


 ああ、言っちまった。


「……じゃなきゃ、さっさとオレに手を出せ」


 シアンが投げつけた言葉にデイーは目を見開いて立ちすくんだ。


「どうなんだよ。今日こそ、はっきりさせようぜ。オレは気が短いんだよ」


 さあオレが舞台ととのえてやったぜ。

 お前が前者を選ぶなら、オレはもうお前に一切会わないようにする。


「……」


 デイーはシアンから目をそらしてうつむいた。


「お前に、手は出せない」


 ……前者か。だろうな。オレはボスのもんだしな。

 それでもシアンは心の中で軽くショックを受けた。


「はあ? ボスが怖いのかよ」


 思わず攻撃的な言葉が出てしまう。


「いや……」


 デイーは消え入りそうに小さな声で答えた。


「だって、お前と結婚してないし」




 ……きた。

 きたよきたよ。


 そうだよな。

 こいつ。


『温室育ち』のキエスタ西部出身だった……!


「……出たよ……|キエスタ思想(・・・・・・)……!」


 あきれをとおりこした声で、シアンはデイーに向かって大きく叫んだ。


「しんっじらんねえ……バカじゃねえのか、お前。今年で二十八だろうが」


 だからその年まで貞操守ってたのかよ。ゼルダ人もびっくりだぜ。


「信じらんねえ……キエスタ人の男はオレには理解できねえ」


 デイーはそんなシアンに小さい声で続けた。


「俺も分かってる。……今はボスは自由にさせてくれるけど、いずれ俺は家族(ファミリー)の顧問弁護士だ。嫌われ役だろうし、恨み買うこともあるだろう。だから、簡単に家庭とか持てないだろうし、そんな俺と好きこのんで一緒になってくれるような女もいないだろうし」

「……なんだ、そこは割り切ってんじゃん」


 シアンは若干驚いて息を吐いた。


「ならこっちもそんな風に割り切れよ。……言っとくけど、ボス、まだまだオレに飽きないと思うぜ。飽きがくるの何十年後かもしれないぜ。オレがシワシワになって白髪になるくらいだったらどうするよ。……あ、やべ。シワシワで思い出した。最近、肌の調子が悪くなったら戻んのに時間がかかんだよな。三十までは多少不摂生しててもなんとも無かったのによ」


 そうなんだよ。お肌の曲がり角を過ぎたあたりでやばいと思ってたんだけど。


「だから、それまで俺が待てばいい話だろ」


 煙草やめるか?

 いやいや、やめたら太るし。


「基礎化粧品のレベル上げようかな。保湿力倍のリッチなクリーム買っちゃうか?でも、まだ三十四だぜ、オレ。ああいうのは四十過ぎてからでいいと思ってたんだけど……今、なんて言った、デイー」

「だから、俺がそれまで待てばいい話だろ」


 デイーは言葉を繰り返す。

 シアンは呆気にとられた。


「……ボスが飽きるまで? ……オレがシワシワの婆さんになるまで?」

「うん」


 デイーは笑顔で頷いた。

 シアンは息をのみ、目玉がこぼれ落ちそうになるほど目を見開いて目の前の彼を見つめた。


 なんだ、こいつ。

 本気かよ。

 勘弁してくれよ。


 ……そこまで、オレのこと好きなのかよ。


 シアンはため息をついた。


「……お前は気が長いね、デイー」


 シアンはデイーに近づくと、デイーの肩に腕を乗せ、顔を寄せた。


 ああ、もう、お前がかわいくてたまらないよ。

 初めて会った時から、ずっと。今も。

 ……だから、もういい加減、いただいちまってもいいよな。


 褐色のデイーの耳元でシアンはささやいた。


「悪いけどオレは、そこまで我慢できそうにないわ。……言っとくけど、ずっと前からボスに息抜き程度の関係の許しはもらってるんだぜ」


 シアンはデイーの頭を引き寄せて口付けた。

 デイーが自分の背におずおずと腕を回すのを感じ取る。


 ……すげえ、かわいい。


 慣れないなりに、必死でぎこちなく返してくるデイーの様子に、シアンは心の中で笑みを浮かべる。


 本当にオレ以外の女の子知らないんだな。色男がもったいねえなあ。

 オレはすごく嬉しいけど。

 お前の最初の相手、オレがしちまっていいのかよ。


 デイーの目がとろん、としてきたのを見てシアンは満足する。

 ふふ、まいったか。伊達にこの仕事してきたわけじゃねえぜ……


 デイーがあわててシアンの肩をつかんで顔を離した。


 おい。なんだよ、いいとこなのに。


 不満顔でシアンはデイーを見上げた。


 あ、もしかして、技を披露しすぎて引かれちまったか?


「あ、あの。さ、さっきのサボイホテルの話だけど」


 目の前のデイーが震える声で言った。


「……上の……部屋も……一緒に予約していい?」




 ……バカかよ、お前。

 今、この流れ分かってんのかよ。

 このまま、寝室にオレを連れて行くんじゃねえのかよ!


 むっつりとしたシアンの表情にデイーは狼狽したようだった。


 やる気そがれたわ。折角、オレはその気だったのによ。

 まあ、しょうがねえか。

 初心者だしな。


「……いいけど。……わざわざ了解取るような男もいないと思うけどね」


 シアンは素っ気なく答えた。


 あー、イラつくなあ。

 さっきと反対で、寝室までお前を押して行ってやろうか。


 シアンはくるりとドアに体を向けた。


「送ろうか」


 ためらいがちに、デイーが後ろから聞くのが聞こえる。


「結構」


 萎えたわ。がっかりだぜ。


 シアンはドアを開けた。


「じゃあな。三か月後の六月十日。空けとけよ」


 言って、シアンはデイーの顔を振り返った。

 反応のない彼に、シアンはしびれを切らす。


「……気付けよ。オレとお前の初デートの日だろうが」


 デイーが目を見開いた。

 ついで、こくこく、と頷く。

 シアンは呆れて微笑んだ。


 全く。オレのこと好きなら大事な記念日ぐらい覚えとけよ。


「……じゃあな」


 シアンは肩をすくめて外に出た。


 あ。

 そうだ。

 アレも、あったな。


 思い出して、シアンは振り返って再びドアを開けた。

 顔だけドアの隙間から出し、中をのぞき込む。


「あとひとつ、忘れてたわ。七月七日前後三日も空けとけよ」


 デイーが目を見張った。


「なんで、それ……」


 七月七日。お前の誕生日だろ。とっくに調査済みなんだよ。


「なめんなよ」


 デイーの様子を見てシアンは笑った。


「カチューシャ市国行くからな。そのつもりで。……お前、とっくに忘れてんだろうけど、幸運の十人の特典に、ホテルの無料宿泊券あっただろ?あれ、まだ有効だから」


 オレとお前の最初の思い出の地だよな。

 いつか、お前ともう一度いきたいと思って、このオレが失くさずにずっと持ってたんだぜ。


 デイーの驚愕の表情にシアンは満足した。


「三ヶ月後の、初回は期待してないから。気楽にやれよ。……まあ、二回目も期待してないけどな」


 ニヤニヤ笑って言うシアンに、デイーは顔を赤らめた。

 大丈夫かね、こいつ。


「と、それから……」


 悔しいから、最後にこれくらいの意地悪は言っとくか。


「|今日じゃなくて(・・・・・・・)|良かったんだ(・・・・・・)」


 シアンの言葉の意味を理解したのか、数秒後、デイーは目を見開いた。


「あ、ちょっ……まっ……!」


 ばーか。


 シアンはドアを閉めて歩き出した。


 全く。

 ラミレスがきいてあきれるぜ。


 やっぱりミナが言ってたラミレスってのはデイーじゃなくて、キースだったのかな?

 まあ、どっちでもいけどな。



 ……キース、あいつ今ごろウーとよろしくやってんだろなあ。また、いつか会えたらいいと思うけど。


 ふ、とシアンはキースを思い出し、表情を緩めた。


 キース。

 |あいつ(デイー)さあ。


 お前の百倍も可愛いわ。

 まいったよ――――




 三ヶ月後のデートを期待はしてないが、すごく楽しみだとシアンは思った。


 あと三か月か。

 くそ、長いな。

 でも楽しみは後にとっとくほどいいっていうしな。


 ……それより、あいつが必死で可愛過ぎて、笑っちまったらどうしよう。

 くく、と想像して笑いながら、シアンはタイル貼りの階段を歩き下りる。


 あいつ、デイー。

 オレのラミレスになってくれる気、ほんとにあんのかよ。


 ……まあ気長に、あいつがラミレスになるのを待つとしようか。


 シアンは白い息を吐くと、鼻歌を歌いながら帰路を歩き出した。


 空にかかる白い月の光が、彼女をやさしく照らしていた。――

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