5

 デイーもシアンに気付き、立ちどまって目を丸くした。


「……楽しそうじゃねえか」


 シアンは血色の悪い唇でそう言った。


「……なんで……ここ……」


 デイーは驚いたように立ちつくしている。

 シアンはもたれていたドアから身を離して、身を縮こませながらデイーに近付いた。


「とりあえず部屋に入れて。寒くて、たまんねえ」


 デイーはあわてたように鍵をとりだしてドアを開けた。


「あー、寒かった。ゼルダに比べたら序の口だけどな」


 ドアから中に入り、シアンはほっとする。

 デイーはシアンをリビングに招き入れた。


 へえ、わりと広い。

 掃除もしてるみたいだなあ。

 ていうか、なんだこの本の量。


「すぐ部屋温めるし、コーヒー入れる。そこで座ってて」


 リビングのソファーに座ったシアンにデイーはそういうと部屋を出て行った。

 別の部屋に入った音がする。


 ……寝室か? 寝室を整えにいったのか?


 おいおいデイー、まさかその気なのかよ。

 おねえさんびっくりしたわ。まさかお前が……。


 毛布をもって戻ってきたデイーに、シアンは少々気落ちして毛布を受け取った。


 シアンは毛布にくるまって、部屋を見渡した。


 本、本、本。

 全て、法律関係。

 部屋の至る所に、本が置かれ、机の上には山のごとく乱雑に積み上げられている。

 もしかしてかわいい雑貨とか、口紅がついたコーヒーカップとかあるかもな、と思っていたけど。

 そんな気配は全然ない。


「はあ、すげえな。本ばっかり。……女っ気全くなし」


 シアンはふ、と笑った。


「……散らかってて、悪いけど」


 デイーがバツが悪そうに答えた。


「俺の家、知ってたんだ」

「ボスに聞いてた」


 あいつは毎日二十時間勉強してる、てボスが笑いながら言ってたっけ。

 お前に差し入れとか持っていきたかったけど、オレが行ったら絶対勉強の妨げになると思ってさ。

 司法試験受かるまで、お前の顔全然見られなくておねえさん寂しかったんだぜ。


「なんで、ここに……」

「ほらよ、これケーキ。食おうぜ」


 毛布にくるまったまま、シアンはデイーに近付いて持っていた袋をデイーに差し出した。


「……お前、店に来ねえんだもんよ。予定より早めに切り上げて、先に帰らせてもらったのに、お前、帰ってないし」


 デイーは箱入りのケーキの入った袋を受け取った。


「悪かったよ。予約のなかなか取れないレストランカイザー、キャンセルさせて。お詫びに、お前とケーキ食べようと思って来たんだよ」


 ほんとにな。悪かったよ。

 シアンはデイーを見上げる。

 まだ、怒ってんのかな。


「……ありがとう。ごめん、待たせて」


 答えたデイーの表情は、いつもの自分をうっとりと見つめる表情だった。


「本当にな。俺が風邪ひいたら責任とれよ。……つーか、お前、どこ行ってたんだよ」


 心の中でホッとして、乱暴にシアンはソファーに座りこんだ。

 言いにくそうにデイーは告げた。


「……レストランカイザーで、食事してた」

「はあ!?」


 だれとだよ!? まさか一人じゃねえよな。


 ……ちょっと、おねえさんびっくりしたぜ。

 まあお前ももう二十八だし、イケてるし、声かけりゃついてくる女の子はいっぱいいるか。


「なるほど、そうだな。オレ以外に相手いるだろうしな。……あの子かよ。裁判所で見たぜ。ブロンドの赤い眼鏡の知的美人さんだ」


 きょとん、とした表情でデイーはシアンを見返した。

 あれ? ちがったか?


「ちがうのかよ。なんだ。あの子、お前に気があるぜ。一回、ご一緒しろよ」

「いや、そんなはずない。彼女は親切なだけ。……レストラン行った相手は、今日パブで会った……」


 パブで今日知り合った女の子かよ。そんな子とレストランカイザーに行ったのかよ。

 もったいなさすぎるだろ。オレをさらってでも、連れて行けよ!


「パブで今日会った女の子かよ。おいおい、デイーお前意外に冒険家だな」

「……男だけど」

「男!?」


 男かよ……こいつらしいっていうか。まあ、いいけど。

 そのわりには帰ってきたときすごい楽しそうだったな。相手、男で楽しめちゃうんだ。


「男かよ。なんだ。男二人であのレストランの食事楽しんできたのか。よかったじゃねえか。かなり、ご満悦のようでなにより」


 シアンはダイニングの沸騰し始めたケトルの気配に気づく。


「まだ寒い。早く、コーヒーちょうだい」


 デイーはあわててガスを切り、インスタントコーヒーを入れたカップにお湯を注ぐ。


「そっち、行くわ」


 シアンは毛布を肩にひっかけて立ち上がって移動し、二人がけのダイニングテーブルに座った。


「あっちのテーブル、本だらけだし」


 リビングの方を見たままシアンは言った。

 大事な勉強道具……仕事道具かな。汚しちゃいけねえしな。


 デイーは目の前で食器棚から皿を出し、ケーキの入った箱を袋から出した。


「……お前、ほんとうに弁護士になったんだよな。司法試験、受かったんだもんな。……すげえわ」


 シアンはリビングにあふれかえる書物の量を確認しながらつぶやく。


 最初会ったときは、王侯語(キングス)話す上品なモデル少年で、次にはマフィアのおにいさんになったと思ったら……今じゃ弁護士かよ。

 どれだけ人生の方向転換激しいんだよ。


「まあ、これからだけど」


 デイーはケーキを皿にのせながら答えた。


「……お前、チーズケーキが好きだったよな」


 シアンはデイーに目を移して言った。

 デイーは頷く。


 そうだろうそうだろう。

 オレは気づいていたぜ。

 お前がオレにつきあってスイーツをいやいや食べるとき、チーズケーキだけには嫌そうな顔をしないのをな。

 我慢してオレにつきあってくれるお前が可愛いと思ったよ。


「……いつから、お前、眼鏡かけだしたっけ」


 眼鏡をとって机の上に置いたデイーに、シアンは言った。

 うん、眼鏡かけても、かけなくても、両方イケてるわ。


「ロースクール入って、すぐだったかな。それ以前から視力悪くなってたんだろうけど、全然、気が付かなかった」

「それまで、視力どれくらいあったんだよ」

「4.0とか5.0とか、そんなもん」

「それ以前が良すぎだろ!」


 シアンはカップを持ったまま笑う。


「あそこに住んでりゃ、みんなそうなるんだよ。視界を遮る建物とかねえし。草原の羊の数、数えるだろうし。……眼鏡かけてるやつなんか、いねえよ」

「そうか」


 大草原の少年だったんだよな、きっと。そりゃあ純真でいい子に育つわけだ。

 小さいころのお前が想像つくわ。


「そんなに視力良かったのに、残念だったな」


 カップの端を口に当て、シアンはデイーを見つめて微笑んだ。


「あ……遅くなったけど、誕生日おめでとう」


 デイーが思い出したようにあわてて言った。


「おう。今年で二十五になったぜ」


 シアンは答えてコーヒーをすする。


 デイーは幸せそうな顔でチーズケーキを食べていた。

 そうかそうか。そんなにチーズケーキが好きか。

 買ってきて正解だったな。機嫌も直ったみたいで良かったよ。


 キエスタ人の食生活は乳製品が中心だもんな。お前もチーズとかヨーグルトばっかり食ってたんだな。


 ……こいつの家族は今どうなのかな。

 家族ファミリーに入って、仕送り以外は音信不通になった息子を心配してるだろうなあ、そりゃ。

 特におふくろさんなんか。


「……家族には、今も仕送りだけ?」


 シアンは聞いてみた。


「うん」


 デイーは頷いて答える。


 息子が今、弁護士になったって知ったら、おふくろさん喜ぶだろうなあ。

 ……そんで、こんな箸にも棒にもかからないような女にずっとハマってるんだって知ったら……ショック受けるだろうなあ。

 キエスタ人の観念じゃ、女ってのは子供を産むのがすべてらしいし。


「……そうか。寂しいけど。親孝行でえらいね、お前」


 シアンはかすかに微笑んで、カップに残ったコーヒーをのどに流し込んだ。


「じゃ、帰るわ。オレ。もう遅いし」


 シアンは椅子から立ち上がる。


 軽く頷いたデイーにシアンは心の中で舌打ちした。

 少しぐらい引き止めろよ。まだ、来て30分も経ってないだろうがよ。


「ありがとう。……寒い中、待たせてごめん」


 デイーも立ち上がりシアンを出口まで送る。


「あと……今日の、お詫びと言っちゃあなんだけど」


 シアンはデイーに毛布を渡しながら言った。


「三か月後、サボイホテルに夕食予約とっといたから。空けとけよ」


 てっきり喜ぶと思ったのに、意外なデイーの反応にシアンは眉をひそめた。


 ……なんだよ、なんだよ。その顔は。

 うれしくないのか。オレがわざわざ予約してやったんだぜ。


「なんだよ不満かよ。そりゃカイザーよりは劣るけど、最近あそこもなかなかいいって言うぜ? ……なんだお前。今日、店来た時にもすねてたしよ。しょうがねえだろ? ボスの了承得てないんだから」

「……」


 しょうがねえなあ。

 機嫌直しに、ご褒美じゃねえけど……。


 シアンはデイーのネクタイをつかんで引き寄せた。

 そのまま彼の唇に口づけた。

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