ホテル カチューシャ

 カチューシャ市国でのフィンチ元大統領の葬儀の夜。


 市内随一のホテル、カチューシャが占領された。

 犯人はキエスタ南部独立戦線同志の戦争の落し子たちである。

 グレートルイスに移住していた彼らの中には南部独立戦線に賛同する若者も多かった。

 受ける差別や向上しない生活環境に不満をくすぶらせ、故郷南部の夢のような謳い文句に参加した者もいただろう。

 明け方、ホテルに勤務していた従業員が彼らを手引きし中に入れた。

 それからは早かった。

 フロントのスタッフを脅し、次に彼らはホテルのオーナーを拘束した。

 彼らにたたき起こされた客はほどなくしてイベント会場でもある大広間に着のみ着のままで押し込められた。


 彼らの要求はつい先日、拘束された南部独立戦線幹部の男二名の釈放だった。

 ホテルには各国要人が多く宿泊していた。

 特に彼らにとって有益な交渉材料となる人物は三人居た。


 ゼルダの外務局長官、キルケゴール。

 グレートルイス副大統領、ブラック。

 そして、グレートルイス東オルガン在住の元王族、ヴィクトリア=フォン=ターナーである。


 彼らは宿泊していた部屋から出され、一つの部屋に集められた。――



「まさかお前と一つ部屋で夜を明かすとはな」


 椅子に座っていたブラックが鼻を鳴らした。スーツ姿のまま寝ていたのか、シワだらけのスーツである。


「学生時代、君と私とクラリスで夜通し店で飲み明かしたろう。あの時、以来かな」


 ブラックの前でソファーに沈み込んでいるキルケゴールの腕の中にはヴィクトリアがいる。


「……いや、俺はあのとき悪酔いして先に帰った。残ったのはお前とクラリスと……ヘアトンだ」


 ブラックの言葉にキルケゴールの腕の中のヴィクトリアがかすかに反応した。

 寝間着の薄いワンピースを着た彼女は、ワイン色であるホテルのガウンを羽織っていた。


「驚くことはないだろう? 聞いていただろう、君も。カレッジで私と彼とヘアトンが同期だったのは」

「兄は……よく、あなたと出かけたの?」


 キルケゴールの胸に顔を預けたまま、ヴィクトリアはつぶやく。


「カレッジの付近にはあまりいい店がなくて。……行く店はいつも決まっていたけどね」


 キルケゴールはヴィクトリアの燃えるような紅毛を撫でた。ブラックはそんなキルケゴールの手先を眺めた。


「|彼女(クラリス)とは。まだ会ってるのか」

「いや。彼女ももう老いたし。わたしなんかより若い男の方がいいだろう。……君は? 彼女と連絡はとってるのかね?」

「……彼女が先の大統領の相手をしたとき以来、音信不通だった。最近、手紙が来た」

「へえ」

「自伝を書いているらしい。俺の名前を出してもいいかと。……お前も、ヘアトンも多分、話に出す気だ」

「そりゃ、こわい」


 肩をすくめたキルケゴールにブラックは傍らに銃を持って立つ男に告げた。


「水が欲しい」


 男は入り口ドア前に立っていた男に顎でしゃくった。ドア前の男は軽く頷くと外へ出て行った。

 ブラックは軽く舌打ちした。


「いつまで待たせる気だ。オネーギンの奴」

「……彼の立場になりたまえよ、ブラック」

「俺ならすぐに釈放する」

「君の祖国がキエスタでも?」

「それでもだ」

「どうかな。私ならどうするかな」


 煙草が吸いたいよ、とキルケゴールは唇の上の髭をいじってから続けた。


「何の関係もないあの国で我々は20年前ドンパチしたんだ。そりゃいろいろあるだろう」

「……何の関係もない? 白々しい」


 ブラックはキルケゴールをにらみつけた。

 その次にはゼルダ語でブラックは言葉を発した。


「当事者が。俺がこの20年何も調べずに過ごしてきたと思ったか」


 キルケゴールの胸の中にいたヴィクトリアが彼から身を離した。


「何の話をしているの……?」

「ちょうどいい。彼女にも話せ。キルケゴール。彼女にも知る権利がある。彼女はヘアトンの妹だ」


 傍らに立っていた浅黒い肌の男は聞きなれぬゼルダ語に眉をひそめた。


「俺の兄貴が死んで、フィンチ大統領も亡くなった。兄貴が死ぬまで俺は待ってた。お前と兄貴の関係を知るのをな」

「……ブラック氏は何を言っているの、キル」


 琥珀色の瞳で不安げにキルケゴールを見るヴィクトリアにキルケゴールは答えなかった。


「兄貴がなぜこの世界から退いたのか、俺は不思議でならなかった。俺より兄貴の方がはるかに優秀だ。断じて、カレン……俺の女を寝取った責任をとったわけじゃない」

「……兄上はお気の毒だった。まだ若いのに。レン氏が家督を継ぐのかね?」


 ブラックの兄でもあり、レンの父親でもある男の死を悼むキルケゴールの言葉にブラックは息を吐いて椅子に乱暴に深くもたれた。


「……ちょうどいい機会だ、オフレコで話せキルケゴール。ここはカチューシャ市国だ。俺はお前と同期生だった男として聞く。……お前は20年前、何をしにグレートルイスに来たんだ?」


 グレートルイス語で話せ、と傍らに立つ男が言った。


「グレートルイスに入ったのは画家のアルケミストじゃない。お前だ。……俺の兄貴とあのときお前は何をした」


 その言葉を止めろ、と傍らの男がいらだった声で叫ぶ。


「……バカンスみたいなもんだ。南西部の女性と甘い生活を数か月間送った」

「ウー嬢の母親か」


 グレートルイス語で答えたキルケゴールにブラックも母国語で返す。


「……君はかなり私の事を知ってるじゃないか」

「ぬかせ。昔から俺はお前が分からない。いまだに……だから、お前のことが俺は好かん」


 ブラックは声を潜め、再びゼルダ語で話す。


「兄貴はまだ死ぬはずじゃなかった。フィンチ大統領もな。レンに余計な思いをさせたくないから、黙っていたが兄貴の死には不自然な点が多い」


 部屋のドアが開き、入ってきた男がキエスタ語で部屋の監視役の男に告げた。


「釈放したらしいよ」

「二日間か。待たせやがって」


 キルケゴールの言葉にブラックは舌打ちする。

 三人に立つようにと、監視役の男が言った。


「フィンチ元大統領も報われないね。将来テロリストになる悪ガキどもををわざわざ引き取った」


 鼻を鳴らしながらグレートルイス語で言い、立ち上がるキルケゴールを監視役の男はにらみつける。

 ソファーに座るヴィクトリアの手をとろうと優しく見下ろしたキルケゴールの手を、ヴィクトリアは払いのけて自分で立ち上がり、さっそうと部屋を出て行った。


「……この借りは高くつくぞ。ブラック」


 その様子を見て口の端を上げるブラックにキルケゴールは非難するように目を向ける。


「自業自得だろうが」


 先に歩き出したキルケゴールの背に向かってブラックはゼルダ語で声をかけた。


「次はお前の番かもな。気をつけろよ、キル」


 一瞬立ち止ったキルケゴールだったが、ブラックを振り返ることなくキルケゴールは男に促されるまま部屋を出た。

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